2012年1月19日木曜日

恐れを知らない我が内なる心

 月に二回の家庭集会をあわれみにより開かさせていただいている。昨日は新年になって二回目であった。沢山の方がそれぞれ集まって来られた。お名前を上げて数えてみると昼間は90余名の方が確認できた。一人一人の上に主のみことばの恵みは注がれた。

ベックさんは昼間は「主を恐れることの大切さ」と題してマラキ3:16〜18、ローマ3:18を引用され、夜は夜で「礼拝することの祝福」を黙示4:8〜 5:14で語られた。ひとつひとつのみことばが我が内なる心を、拳闘でダウン寸前の選手が受けるボディーブローのごとく責め続けた。

「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ3:18)

 もう一度主の前に整えられて再出発したいと思わされた。自己中心である自らの存在はどうすることもできないが、主を恐れて歩み、主の御前に幼子のようになって出られるようにと祈らざるを得ない。久しぶりにオズワルド・チェンバーズの本を紐解いてみたら次のような今日の祈りがあった。訳は例により適切でないが一つの試訳を載せる。

主よ、私はどのようにして活発に動きまわることの危険性が、静かに退いていることの危険性と同等であるかを悟り、ただ唯一の安全な休み場所はあなたご自身にあると悟れるのでしょうか。私があなたに完全に受け入れられるように助けてください。

Lord, how I realize the peril of work and activity equally with that of quiet and retirement, and that the only secure haven is Thyself. Help me to be taken up altogether with Thee.(January 19 by Knocking at God's Door of Oswald Chambers)

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