玄関上部(黒塗りは戦争中に強制的に塗らされた外壁) |
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。(使徒17・26)
熱海でその方とお別れしての長旅のネット検索で、この女性宣教師は東北のその地では有名人で、1976年に召されたが、2012年に彼女の85年の生涯が本となって公刊されていることを、知った。いずれその本『みちのくの道の先』を読みたいと思っている。
しかし、関西の家に帰ったのは午後8時ごろになった。暗い中、玄関の惨状と庇が落ちている現場を確認した。昼間のあの不思議な感謝に満ちた出会いにもかかわらず、再び現実に帰って気が重くなった。早速、知り合いの大工さんに電話を入れ、対応をお願いした。
翌朝(9月6日)テレビでまさかの北海道の震災を知る。早速、札幌の知人にお見舞いの打電をした。段々、様子が明らかになるにつれ、北海道全域が大変な惨状に見舞われていることを知った。そう言えば昨日ご一緒したご婦人のお嬢さんは函館にいらっしゃると聞いたばかりである。さぞかし、その方も不思議な車中の出会いや同窓会の楽しい思い出の中で今では娘さんの安否を思い心を痛めておられるのだろうと想像した。
その函館は実母が生前、さんざん私にその地名を聞かせた都市である。実母は私の父と再婚する前、関西から函館の近くの森町に嫁いだからであった。そして先夫が戦死したため、北海道から引き上げ、今の私の家を建てたのであった。考えてみると玄関のガラスはそれ以来、無傷で戦時中も問題なく、今回の台風の結果78年ぶりに壊れたことになる。これまた不思議な巡り合わせである。
テレビはこれまでは関西における台風21号の惨状を報道していたが、6日からは北海道の震災に重点を移さざるを得なくなっており、死者のニュースに全国民が心を痛めている。かつて、2011年の3月11日の東日本の震災の時は「泉あるところⅢ(現在のOpen Windows 私訳)」を展開していたが、さすがにこの時はブログを更新する気になれなかった。そんなことをしている暇があったら現地の苦悩を思えと神様から問われている思いがしたからである。
今回は東日本大震災ほどの壊滅的な影響をなさそうであるが、夏以来頻発に起こる災害が身辺に例外なく襲ってくることへの教訓は大きなものがある。台風の被害は周辺の家で私の家だけであった。東風をもろに受けて必死になってガラス戸は耐えたことだろう。しかし、詮方なかった。これは運が悪かったからであろうか。
生けるまことの神様はすべてのことをご存知で事を起こされている。誰もが未来のことはわからない。しかし創造主である神様は私たち一人一人に「わたしを知りなさい」と「雨が降っても、雨が降らなくとも」一人一人に教えておられることを忘れないようにしたい。主なる神様は私たち一人一人に「優先席」を用意なさっているのである。それこそ、弱った者、気落ちした者に対する「優先席」である。いやそれだけでない。素敵な出会いを演出してくださる席でもある。
最後に冒頭のみことばの次の言葉を写しておく。これはほぼ2000年前パウロがギリシヤのアテネで人々に語った一節である。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。