2019.11.25 A.M.6:33 |
家内は家内で、私がこの日、帰ってくるらしいことは承知していた。しかし、何時ごろ帰ってくるかは知らなかった。多分いつも夜帰ってくるから、その頃だと高を括っていた。まして鍵を持っていないとは想像もしなかった。
当日は一人で重篤のYさん(95歳)を、自転車でU病院へと20数分かけて出かけ、見舞っていた。苦しそうで、前回お訪ねした時とはちがい、随分弱っておられた。みことばを読んでお祈りしたが、アーメンと言われたのかどうか。ただ最後に「ありがとう」と言われた、ということだった。
そのあと、美容院へ出掛けた。帰ってみて、私が帰っていること、しかも玄関先に荷物が置いてあることから、私が締め出しを喰らった事を初めて知った。あわてて私の携帯に電話したが通じなかった。私のiPhoneはすでに完全な電池切れの状態であった。
今にして思うと、家内は典型的なアナログ人間で、私はデジタル人間。擦れ違いは早朝からすでに始まっていたのだ。LINEは家族が重宝しているとは言え、家内は全く関心がない。私の方で見るようにやかましく言って、やっと重い腰をやっこらさっと上げて参加するのが常日頃の所作である。こちらが午前7時半ごろデジタルで発信していると言っても全く通じていなかったのだ。
問題は、そのあとだ。事態を知った私は数分前の家内への愛、感謝に満ち溢れてかけずりまわったこともそっちのけに、怒り心頭に喫して、あることないこと次々に繰り出しては、心ならずも亭主に締め出しを食わせた形になった家内を責めにかかった。とうとう最後は「ごめんなさい」の一言もないと言い張り、自らの「要求」を勝ち取った。「夫婦喧嘩は犬も食わない」とよく言うが、数分前までは野良犬同然だった私はとんでもない自己主張の権化と化した。
考えてみると、数十年前、まだ結婚する3、4年前、京都駅前で朝、お互いに会う約束をしていたが、会ったのは午後4時ごろであった。私は約束の時間に彼女が現れなかったので、もう二人の関係はこれで終わりだと思った。でもあきらめきれなかったのも事実だ。止むを得ず、私は岡崎の美術館に行った。その時何をみたか覚えていない。上の空だったのだろう。ところが4時ごろ、当時まだ存在した京都駅構内観光デパートの階段を降りてくる彼女、憔悴仕切った彼女が、その時帰りを急いで階段を上がろうとしていた私の視界に入って来た。うれしかった。
聞いてみると、彼女もまた岡崎美術館に行っていたということだった。ところでなぜ時間通り来なかったの?と聞いてみると、途中友人に会ってつい話し込んで遅れてしまった、と言った。こちらは関東からわざわざそのために来ているというのに・・・。人生には擦れ違いはつきものである。
しかし、主なる神様がおられる。その方はすべての時、場所を支配し運行されている。そう考えれば、擦れ違いは本来あり得ないことでないか。そう思うのが私のうちに巣食っているエゴ、罪であることを改めて知る。冒頭のみことばの前半部は私自身の浅ましい姿そのもの、後半部はイエス様ご自身の姿である。
明日は父の最後と自らの擦れ違いを書いてみよう。ちょうど中曽根康弘氏が亡くなったことが伝わって来た。政界の「青年将校」と言われた中曽根氏は総理大臣にまでなり、101歳まで生きられた。そう言えば一昨日前橋の知人の葬儀に出席したが、弔電のトップは御子息の中曽根弘文氏だった。