2024年5月29日水曜日

紫陽花の花咲く頃


 紫陽花の花について、迫田さんが一句詠んでおられました。「鈍色の空アジサイの花は咲く」(5/29)と。そう思って、我が庭を眺めると確かに、この写真ではお目にかけられませんが、手前の方にピンク色の紫陽花が青の紫陽花とコントラス良く咲いていました。そうかと思うと、玄関先には鉄砲百合が花開きました。たくさんの花が次々出揃い、季節は着実に初夏に向かっています。

 一方、都知事選は七夕決戦を前に、候補者がぼつぼつ名乗りをあげられる時期となりました。27日にはいち早く蓮舫氏が立候補を表明しました。東京新聞の佐藤正明さんの一口漫画が早速真価を発揮して出色の出来だと思いました。題名は「元キャスター同士の対決」と銘打って、それぞれの第一声として、蓮舫氏には「『カイロ大学をトップで卒業』は事実なのでしょうか」と迫らせ、一方迎え討つ小池氏には「二位でよければ、お出にならなくてもよろしいんじゃないでしょうか」と「キャスター」流に語らせています。またお二方の表情の表し方が素敵でいつまでも眺めていたい思いにさせられました。

 さて、目下の噂では、小池知事が今日(29日)にでも出馬表明をされると言われていましたが、結局なく、現時点では都知事選の本命候補が出揃うかと思いましたが、そうはなりませんでした。折角の佐藤さんの一口漫画は水をさされた感じですが、その漫画の小池さんの表情を見ると、このことも既に織り込み済みのように見えました。そこには小池氏のしたたかな計算・計略があるように感じました。

 政治家が自己の信念に基づいて政治を行なうためには、第一関門として選挙が控えており、どうしてもそこをパスしなければなりません。選挙民の投票をいかに勝ち取っていくか、既に前哨戦が始まっていると思います。しかし、まさにこれまで培われたジャーナリストとしての卓見、政治家としての覚悟を、小池・蓮舫両氏の場合には問うてみたいと思わされます(あっ、ごめんなさい、埼玉都民でした)。パフォーマンス、ノー!政治が、民のためならず、政治家の野心の道具・私利私益の道具とならないようにと祈るばかりです。

助言を与え、事を決めよ。散らされた者をかくまい。のがれて来る者を渡すな。あなたの中に、散らされた者を宿らせ、荒らす者からのがれて来る者の隠れ家となれ。しいたげる者が死に、破壊も終わり、踏みつける者が地から消えうせるとき、一つの王座が恵みによって堅く立てられ、さばきをなし、公正を求め、正義をすみやかに行なう者が、ダビデの天幕で、真実をもって、そこにすわる。(旧約聖書 イザヤ書16章3〜5節とびとび引用)

2024年5月28日火曜日

豊かな自然の恵み


 このところ古利根川散策は日参です。今日もいそいそと出かけました。お目当てがあるからです。それは水田にすっかり居着いた感のある鴨の安否を確かめるためです。十日間、毎日同じところに居ては、せっせと水田に首を突っ込んで這いずりまわっているのです。二、三日前には、お仲間が登場しました。もう一組の鴨さんです。それだけでなく、椋鳥までが数匹加わりました。一反歩もある水田でしょうか、秋にはたわわに稔り、私たちにとって大切な米となるのに、苗の段階で、すでに鳥たちの格好の餌場となっているようです。

 私たちだけでなく、興味を示す方もおられました。その方たちは彼らのエサなるものの実体を掴まれたようで、水田内に動く小さな生き物を不思議そうに覗き込んでおられました。魚のようでもあるし、おたまじゃくしのような気もします。そんなこともあって、期待をもって今日も出かけましたが、いませんでした。察するに、水田の持ち主が水を落とされたようで、これでは鴨もお手上げになったのではないでしょうか。残念な気がしましたが、持ち主にしてみれば気が気じゃなかった十日間だったと思います。

 一方で、今日は雨の予想が大々的になされたので、散策する人は私たち以外にほとんど姿を見かけませんでした。そのような中でも、河岸にはたくさんの小鳥が姿は見せねど、草地に潜んで絶えずあちらからこちらからと囀りを繰り返しています。こんなにもたくさん小鳥たちがいるんだと心豊かにさせられた思いがしました。そして、見渡す限りの草花の上を、ひらひらと自由に舞って行くのは蝶々です。モンシロチョウが飛びまわる姿を見るとどうしてあんな小さな体で飛んでいくエネルギーがあるのかと感心させられます。そんな時、一対の蝶々が、クローバーの白いぼんぼりのような花にとまって、せっせと蜜を吸っていました。今日の写真はそれです。

 でも、以前にもこのような写真を載せて、一人で感に入っていた自分がいたような気がします。変わらざる自然の営みなんですね。

主は心の打ち砕かれた者をいやし
彼らの傷を包む。
主は星の数を数え、
そのすべてに名をつける。

神は雲で天をおおい
地のために雨を備え、
また、山々に草を生えさせ、
獣に、また、鳴く烏の子に
食物を与える方。

われらの主は偉大であり、力に富み、
その英知は測りがたい。
主は心の貧しい者をささえ、
悪者を地面に引き降ろす。
 (旧約聖書 詩篇147篇3〜4節、8〜9節、5〜6節)
 

2024年5月24日金曜日

主よいつまでですか(袴田巌)

夕日落ち 家路何処や 鴨夫婦
 今日は一週間前に遭遇した鴨夫婦にまた会いました。変わったのは水田に苗が植えられていたことだけです。鴨夫婦は同じでした。いったいどこを根城として、いつまでこの水田に滞在するのでしょうか。改めてイエス様のことばを思い出しました。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません」(新約聖書 マタイの福音書8章20節)

 今朝は今朝で小さな小さな昆虫がベランダにいるのを見つけました。ほんのわずかな隙間に緑色と焦茶の体長を持つ虫でした、私が捕まえようとすると飛んで逃げていきます。わずか6、7ミリの小さな虫です。ベランダの穴から外へ出ようとするのですが、素通りできないで苦労しているようです。それにしてもいったいどのようにして生きてきたのでしょうか。多分ベランダの片隅に草が生え、それを食べて生きてきたのではないでしょうか。

 しかし、かわいそうに一日経った夕方には死んでおり、風に吹き飛ばされたのでしょうか、ベランダの反対側まで飛ばされてそこに身を横たえていました。

 昨日でしたか、袴田巌さんの再審の様子が報ぜられていました。過去に何冊か関係する本を読ませていただきましたが、その中で『主よ、いつまでですか』という袴田さんの獄中書簡が本になっていますが、その中の一文を写してみます。

死刑囚にとって今日の一日はあっても無くてもよい一日であったのだろうか。どうしても無くてはならぬ素晴らしい一日であったろうか。もしくは無かった方がよかった一日であったのか、そしてまた、彼らは考えるであろう。今日のような毎日の積み重ねは何の意味も無いと、自分の毎日の生活を大別すると、甚だないほうがよかったと思う日が多いのが獄中者に唯一共通するものである。しかしこのように少しでも生を意識すると、自分の生活を大切にしようと思うようになる。すると、おのづと一日と言えどもいい加減に生きてはならぬことを知る。前記の通り私たち人間はすべて死ぬ、必ず死ぬ。事故か、病気か、老衰か、とにかく必ず死ぬのだ。今日より明日は死に近い。私は漠然と日を送ってはならないのだ。この私に本当の生き方を教えてくれるのが聖書なのである。「常に善を追い求めよ」(※)然り、私は身に覚えのない罪により、本件で有罪死刑という汚名を着せられた。(1981年7月19日)

※この聖書の言葉は新約聖書 第一テサロニケ5章15節の言葉であります。ちなみに以下に全文を示しておきます。「だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。」どのような思いで獄中を袴田さんが過ごされたか、察するに余りがあります。

2024年5月20日月曜日

雨上がりの散歩道

五月雨の 水たまり避け 散歩する
 今日は、午後には晴れ間が見えましたが、午前中は曇っており、いつも散歩する道には、雨による水たまりが随所にできており、足元に気を配りながらの散歩となりました。

 これと言って何もない散歩ですが、今日は耳を澄ませる良い機会でした。先ずは川近くの草むらから、ふきゃガエルでしょうか、「グアー グアー」とはらわたに染み渡る、あの独特のバス(低音)を響かせていました。その一方普通のカエルが「ゲロゲロ」と鳴いているのには可愛ささえ覚えました。

 圧巻は、鳥の囀りが、草むらや梢から、次々止むことなく聞こえてきたことです。前々日、歩いた折は、一切小鳥の鳴き声が聞こえず、どうしたのかなと思って心配していただけに嬉しくなりました。カエルもそうですが、小鳥に至っては、どんな小鳥か、姿がわからず、せめて鳴き声だけでもキャッチしたいと思い、さえずりのあとを追っては、思い切って小鳥と一緒に口ずさんでみました。そのうちに、忘れないうちにとメモに書き留めました。

キッキ キキョ キケキ キキッキキ
スイピー スイピー

 と、だいたいこのような鳴き声があちこちから聞こえてくるのです。私が声を出すからと言って、飛び立つでもなく、逃げるのでもなく、相変わらず鳴きやまないで、さえずり続けています。まさに「田園交響楽」の世界ですね。

 それにしても、ちょっとした水たまりでも濡れないで歩くのは私たちには難しいのに、小鳥たちはこの雨曝しの中どのようにして、草むらの中で過ごしているのか聞いてみたい気がしました。

 ところで、今日こんな水たまりの写真を撮ろうとしたのは、他でもない朝読んだヨシュア記の記述に痛く感服していたからです。

ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。・・・その間に民は急いで渡った。(旧約聖書 ヨシュア紀4:7、10)

あなたがたの神、主は、あなたがたが渡ってしまうまで、あなたがたの前からヨルダン川の水をからしてくださった。ちょうど、あなたがたの神、主が葦の海になさったのと同じである。それを、私たちが渡り終わってしまうまで、私たちの前からからしてくださったのである。それは、地のすべての民が、主の御手の強いことを知り、あなたがたがいつも、あなたがたの神、主を恐れるためである。(ヨシュア記4:23〜24)

 ナイル川も見たことありませんし、ましてやヨルダン川も見たことがありません。目の前の古利根川は五月雨のもと徐々に水量を増して行くことでしょう。そんな川の水がせきとめられるとは、大変なことです。ちょっとした水たまりでさえ、私たちは躊躇して、それ以上進めないじゃありませんか。

2024年5月19日日曜日

復活の予測(下)


今日は聖霊降臨日でした。イエス様が復活されたことを記念したのは3月31日(日)のことでした。そして、今日5月19日(日)は、そのイースターの日から数えてちょうど50日目になります。聖書の示すところにしたがえば、イエス様は復活して「四十日間」人々に姿を現わされ、そののち昇天されたとあります。その上、昇天の前には、「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と言われました。昇天されてから、10日間、人々はじっとこの約束を待ちました。そして、この日曜日についに聖霊が約束どおり降ったのです。今日の礼拝は、そのことを味わわせていただく礼拝でした。

礼拝を終えて、外に出たところ、一羽のカラスが案内板を伝い歩きをしているのがなぜか目に留まりました。案内板の文字とちがい、そこに命のあるものが(現実には烏なんですが)私に手招きしているように思え、烏のあとに一緒について行きたいな、と一瞬思わされました。

それにしても一般にカラスは印象がよくないようですね。しかし聖書には12個所の引用がありました。中には「その頭は純金です。髪の毛はなつめやしの枝で、烏(カラス)のように黒く」(雅歌5:11)とイエス様の姿の美しさをたとえるのに用いられたりしていました。もちろん、「烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、烏よりも、はるかにすぐれたものです」(ルカ12:24)という有名なイエス様のお話があります。

イースターの日から、この五十日間はほぼ、「復活」に集中してメリル・C・テニーの『キリストの復活』を転写してきました。実際は34日、それに割くに留まりました。転写しながら、復活されて四十日間という期間はいかにも長い間なのだということを身をもって実感し、この揺るぎない証拠のうちに宣教は続けられてきたことを思いました。その転載も、今日で終わりです。最後に全内容を振り返るため、章立ての題名を掲げておきます。

第1章 復活の事実
第2章 復活の予測
第3章 復活の信仰
第4章 復活の自由
第5章 復活の効力
第6章 復活の熱情
第7章 復活の不屈の精神
第8章 復活の最終目的

長い間お付き合いくださりありがとうございました。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(新約聖書 1コリント15章19〜20節)

以下は「復活の予測(下)」です。

 復活の思想が強く含意されているのは、イザヤ書のしもべの預言である。これらの預言をメシヤ預言とすることは、それらを直接キリストに当てはめる新約聖書で、豊富に確認されている。主イエスは、ナザレの会堂で最初の公開説教をしたとき、イザヤ書61章を引用され(ルカ4:16〜19)、ピリポは宦官に、イザヤ書53章を説明して、「イエスのことを宣べ伝えた」(使徒8:26〜35)のである。イザヤ書53章の、しもべの死の叙述の中には、次のような言葉がある。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは
主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。

 この聖句によると、彼の墓はしつらえられてあり、彼は死に、葬られる。しかも、彼は「末長く、子孫を見ることができ」るのである。この逆説は、どうすればほぐされうるであろうか。答えは、復活だけに見いだされるであろう。それは、預言の成就である。墓は、悪者どもとともに設けられた。と言うのは、アリマタヤのヨセフが埋葬のために自分の墓を提供したので、「富む者とともに葬られた」と言いうるのであるが、そうでなかったら、イエスのからだは、疑いもなく、陶器師の畑に捨てられたと思われるからである。復活において、彼は再び生命に復帰した。そして彼は、子孫を見、彼の命を長くすることもおできになった。しかも、主のよろこびたもうことが、彼の手によって盛んにされたのである。

 ヨナの例は、主イエスご自身によって、ご自分の復活の表象として引用されている。この預言者が、三日三晩大魚の腹の中にとどまっていたように、主ご自身も、死にのまれるが、ついには再起すると言われるのである。イエスはこの聖句を、直接的預言としてよりも、一つのしるし、または例証として引用しておられる。しかし、それにもかかわらず、これは、イエスが死のあごから解放されることを、鮮明に描いて見せてくれるものである。

 最後の預言は、ある点では、すべてのうちで最も劇的なものである。ゼカリヤ書12章10節で、預言者は、未来の主の日についてしるしているのであるが、そこで彼は、エホバの言葉を次のように表現している。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。

 この聖句は、ヨハネによる福音書19章37節に、直接、イエスの十字架と死とを預言している言葉として引用されている。しかし、エホバなる神は、これを、最後の勝利の日におけるご自身に適用されるものであるとしておられる。そのうえで、イスラエルは、栄光の中に現われたもうかたを刺した者として悲しむ、と主張されているのである。カルバリの十字架において死に、ヨセフの庭園に埋葬されたかたが、再び栄光の中に現われたもうということは、両者の間に復活が介在するのでなければ、どうして可能とされるであろうか。この結論は、推論の域を出るものではないが、現存する聖書の光に照らして考えるとき、その復活は妥当とみなされうると思われる。

 このようにして、律法と詩篇と預言書とに見られる預言の声は、十数世紀にわたり、あらゆる異なった環境の中で語られたものであるにもかかわらず、次の点ーーよみがえりのあがない主が、人類にのしかかっている死ののろいを退けられる、このよみがえりの初穂が、神の子たちのより偉大な収穫の前兆であられる、このよみがえりの聖者が、永遠のいのちに対する私たちの切望をかなえて下さる、このよみがえりのしもべが、私たちの罪責の全きあがないを成し遂げ、神の目的を成就される、そして、よみがえりの主なるエホバが、仰天し悔悟したイスラエルにご自身を啓示される、という点ーーでは、一致したあかしをするのである。

きたれ なんじら忠信なる者
奏でよ そのよき調べ
勝利の喜びの歌を。
悲しみより喜びに入らしめ
神 イスラエルを導きたまえり
パロのくびきより
ヤコブの子らを解き放ち
その足を ぬらさずして
紅海を 行かしめたまえり

キリスト その獄(ひとや)を破りて
死の眠り三日にして
日のごとく立ちたまいぬ。
こは きょう迎えし心の春
長く暗きわが冬の日は
すべて 御光の前を過ぎ去り
われら たたえの歌を
とこしえにささげん。
        (ダマスコのヨハネ)

2024年5月18日土曜日

復活の予測(中)

水田に カルガモ夫婦 見つけたり

昨夕は泥田に首を突っ込んで、脇目も振らず、一心に獲物を探索している二匹の鴨を、古利根川の下の水田で見かけました。一口に「かも」と言っても、渡り鳥の雁もいれば、留鳥であるカルガモもいるんですね。鴨群の生態、識別も知らず、一喜一憂しすぎておりました。

さて、今日5月18日は私どもにとっては忘れられない日です。11年前、次男の妻が日本への帰国の際、武蔵小金井駅で倒れ、人事不省のまま多摩総合医療センターに救急入院し一命を取り留めることができた日です。研究者として将来を嘱望されていた彼女にとり、今もその病との戦いは続いていますが、幸い主イエス様にあって守られているようです。

カルガモ夫婦の進む泥田を見ながら、私は11年前に襲った次男夫婦の悲哀、またその折り信州の平原付近の車窓から撮った水田を思い出しました。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/05/blog-post_25.html 「復活」の日を待ち望んで、今も孤独な研究を続けている彼女のために、祈っていてくださる僚友に感謝します。

さて、本日の本命である『キリストの復活』の「復活の予測」は昨日に引き続いてお送りする(中)篇です。最初の数行の出だしこそ意味がよくわからない文章ですが、それ以外はよく意味が通る文章で、旧約聖書において、「復活」がどのように預言されているかを、新約聖書と関連付けして丁寧に教えてくれます。

 このような先験的な推理は、必ずしも常に正しいとは言えない。経験は、理論的には正しくなければならない多くの事が、実際においては正しくない、ということを教えているからである。他方で私たちは、イエスがその生前に、復活の必要を説いておられたことを知っている。サドカイ人が、律法の推論的解釈を根拠に、復活の教えに反対したとき、イエスは、「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです」と言われた(新約聖書 マタイ22:29)。今、彼が聖書に基づいて復活を教えておられたとすれば、その教えは、みことばの中に含まれていなければならない。したがって、私たちは、その預言を、新約聖書のそれに対応する教えに照らして捜し出すとしても、不当な事をしているとは言えないのである。

 それでは、この個所とは、どのようなものであろうか。

 記録によると、最初のメシヤ預言は、創世記3章15節の原始福音である。

わたしは、おまえと女との間に
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、
おまえは、彼のかかとにかみつく。

 ここに描写されている人物は、一庭師である。彼は有毒のヘビを行く手に見て、その頭を砕いた。しかし、そのかかとに、毒牙を受けてしまったのである。この本文には、いくらか復活に関連性のある内容が含まれている。

 第一に、この約束は、罪を犯して死に定められた者にとって利益となることに言及している。アダムは、「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われていた。しかし、ヘビの頭が砕かれたのなら、救いは約束されたのである。そして、救いの手が伸ばされるためには、あがない主は、死を克服することのできるかたでなければならない。

 第二に、その人物は、へびの毒牙にかかった。しかも生き延びて、それを押さえてしまったのである。キリストは、へびの一撃を受けてどのようにして、なお生き続けることがおできになったのであろうか。復活は、その回答である。

 創世記22章に見られる、モリヤの山でのイサクとアブラハムの例話も、世継ぎの子(すえ)の死とそれに次ぐ生還を描いたものである。もちろんイサクは、実際には死んでいない。死ぬ者と見なされたにすぎない。それにもかかわらず、彼がメシヤ、すなわち選びのすえを代表する者であって、ヘブル人への手紙の記者によれば、神が彼を「死者の中からよみがえらせる・・・イサクを取り戻した」(ヘブル11:19)と言われているのは、注目に値することである。この個所は、このように、非常に明白な平行関係があるにもかかわらず、新約聖書の記者のだれによっても、特にキリストに適用されるべきものとされてはいない。

 メシヤ預言の流れの中で、次に、明白な言明にぶつかるのは、モーセの五書の終わりのほうに記録されている、ユダヤの儀式の象徴においてである。レビ記23章には、「主の定めの祭(例祭)」として、三つの祭がしるされている。第一の過越の祭は、身代わりの犠牲と罪からの分離とについて語っている。第三の揺祭(ようさい)、パンをささげる祭は、五旬節すなわちペンテコステの祭である。この二つの間に、初穂の祭がある。この祭は、過越の祭から数えて三日目にとり行われる。それは五旬節から数えると、五十日前になる。この穀物の収穫の初穂は、種を埋めたあとで、生命が帰って来たことを示す最初のしるしとしてささげられたもので、祭りにおいては、犠牲の燔祭もささげられた(レビ23:9〜14)。

 この記録を、復活と比較していただきたい。復活は、過越の犠牲が死に渡されてから三日目のできごとである。また、五十日後には五旬節が待っていた。それこそ、死の中から出て来る新生命の先ぶれ、また象徴であった。主イエスは、この光景をご自分に当てはめて言われた。「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)。パウロも、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」と宣言したとき、同じたとえを用いていた(第一コリント15:20)。おそらくこの象徴は、彼が、旧約聖書のこの個所に対するイエスの解釈を知っていて、使用したものであろう。自然界の収穫が、土壌の水気や特性をもってしてはついには押さえきれない不屈の生命力を物語っているように、キリストの復活は、あらゆる墓の拘束力を打破しうる、神の生命の力を実証したものなのである。メシヤは、そのメシヤ性を証拠だてるために、そのような力を示威することを必要とされたのである。

 神政政治の時代が過ぎて、王国の創設を見るようになると、預言は、イスラエルの生活において、いっそう重要性を増してきた。そして、その先見者たちのうちで、最初の人々のひとりと目された預言者は、ダビデ王であった。詩篇16篇は、このダビデの霊的な渇仰を記録したものである。彼は「ゆずりの地」と「好む所」を慕うが、それにもまして、来世に生き続けることを願っている。そしてその言葉は、彼が大胆に次のように主張するとき、その渇仰を素通りして、先に進むのである。

まことに、あなたは、私のたましいを
よみに捨ておかず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
あなたは私に、いのちの道を
知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、
あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
              (詩篇16篇10〜11節)

 ユダヤ人は「よみ(隠府)」を、第一義的に刑罰の場所と言うよりは、善悪を問わず、単なる死者の霊のいこう場所と考えていた。たとえば、ヤコブは、自分のことを、「よみ」に行く者と考えている(創世記37:35)ユダヤ人が、「よみ」とはすべての魂が等しく行くべく定められた所と考えていたことからすると、この預言は、驚くべき響きをかなでているものとなる。それは、死からの救いと、死後の高揚とを歌っているからである。魂を、暗い陰の国にとどめておかなくてもよいばかりか、肉体を墓の腐敗のままにする必要もないのである。

 しかしながら、新約聖書は、この詩篇16篇の言葉を、キリストの復活だけに限定している。ペテロもパウロもともに(使徒2:25〜31、13:35)、この個所を、ダビデがメシヤの復活を預言したものと解釈している。この預言は、新約聖書の記者たちがひるまずに宣言しているように主イエスによって成就を見たのである。

 ダビデ王国より後の時代に書かれた他の詩篇も、同じ希望を反映させている。詩篇49篇15節は「神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ」と宣言しており、また、アサフの詩と言われる詩篇73篇24節は、「あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう」と言っている。これらの聖句は、詩篇16篇の言葉のような適確性を欠いてはいるが、詩篇における復活概念を強化する上では、十分な力を持つものである。

 預言者の著作の中にも、この題目に言及しているものが幾つかある。ホセア書6章1、2節は、イスラエルの国が次のように言うと述べている。

さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、
また、包んでくださるからだ。
主は三日の後、私たちを生き返らせ、
三日目に私たちを立ち上がらせる。
私たちは、御前に生きるのだ。

 この句をあまり強調することは、許されないであろう。第一に、それは第一義的には、個人にではなく、イスラエルの国に適用されているからである。第二に、その適用は、死からの復活と言うよりは、罪からの回復に限られている。第三に、それは新約聖書の中で、復活の預言としては直接引用されていない。他方、ホセア書11章1節は、明らかに国家に適用されているにもかかわらず、マタイによる福音書2章15節では、メシヤに関する預言とみなされている。しかも「三日目」という言葉は、旧約聖書では、復活をまっすぐにさし示すものとしては、前掲のホセア書6章2節だけに用いられている。もし、ホセア書11章1節が、間接的にキリストの預言として与えられているのなら、この個所もそうと考えられるであろう。

2024年5月17日金曜日

復活の予測(上)


今日は変な組み合わせの写真になってしまいました。ご容赦下さい。

左側は、私がこの一月半余り転写しております、メリル・C・テニーの本です。わずか100円の昭和37年(1962年)発行の、見るからにくたびれた本です。今ではメリル・C・テニーという人物を知る人も少ないでしょう。その上に、この『キリストの復活』という本をどなたが翻訳されたのかも「いのちのことば社出版部」と明示されてはいますが、個人名は省かれております。おおよそどなたが翻訳者なのか何となく見当はつくのですが。なのに、私はこの本を今から54年前、昭和45年(1970年)に手に入れていながら、しっかりと読んだ覚えがありませんでした。それで、今年のイースター(復活祭)の日から今日まで、一念発起して、いちいち転写して参りました。四月一日以降のブログはその成果です。

一方、右側は明治年代に、私から見ると「祖父」の代にあたる人物が18歳の時、横浜で丁稚として働いていたのでしょうか、その時彼にはこの本は高嶺の花だったのかもしれません、向上心よろしく『福翁百話』を墨筆で和紙に写し取っていました。いつの頃か、この和綴の冊子を倉の中に見つけた時、私はそのようなものが家にあることに驚くとともに、明治年間の福澤諭吉に対する庶民にまで及ぶ熱意と明治時代の息吹を感じたものです。

それが根底にあるのでしょう。私には転写は苦にはならないのです。今回、『キリストの復活』を転写して、私には大いなる財産になりました。著作は初めから終わりまでしっかり読まないとその本に対する正当な評価はできないと常々思うことにしています。メリル・C・テニーはこの本で、全部で8章に分けて、「復活」という私たちにとって最も大切な事柄を微に入り細に入り多方面から全聖書を縦覧して述べております。残念ながら、私の短慮で第二章の「復活の予測」というテーマの文章を全部割愛してしまいましたので、今日から三日間で転写したいと思います。引き続き忍耐をもってお読みいただければ感謝です。ご存知、最初は、エマオの途上での出来事から始まります(ルカの福音書24章13節以下の記事)。

キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり・・・(新約聖書 ルカ24章46節)

 あの十字架刑の行なわれた次の週の最初の日、ふたりの旅人が、エルサレムからエマオに向かって、いかにも疲れきったような、重々しい歩みを続けていた。昼下がりの太陽がじりじりと照りつけ、ふたりは、ひどく意気阻喪しているように見えた。先週、事態があまりにも唐突に変転し、また現に、彼らの感情があまりにも高ぶっていたので、彼らは、そのときもうひとりの人が加わり、自分たちと歩みをともにしているということにさえ、気づかないありさまであった。ふたりは、その人から、彼らの話題について尋ねられたとき、ぎくりとしたかのように立ち止まった。その人が、エルサレムで起こったばかりのできごとについて、知らないはずはない、と思ったからである。

 その人が同情的に見えたので、ふたりは、胸の中の思いを彼にぶちまけて話した。それは、ナザレのイエスが、彼らの指導者、また友人であったということについてであった。彼はその行ないのゆえに、すべての民に歓呼の声をもって迎えられた預言者であった。それなのに、役人たちは彼を死に定め、十字架につけてしまったのである。彼らの失望の激しさと、やるせない気持ちとは、「私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました」(ルカ24:21)という言葉に、如実に物語られていた。彼らは、この人こそメシヤであり、彼らの国に霊的政治的な解放をもたらす救い手にちがいないと、期待をかけていたのであるが、十字架は、すべての希望を水泡に帰させてしまったのである。十字架につけられてしまっては、預言者といえども、何をなしえようか。そればかりでなく、預言者たちの描いている、鉄のつえをもって諸国を治め、陶器師の器のように彼らを打ち砕くと言われるメシヤ像に、どうしてかなうと言えようか。彼の最後は、どんな点からも、預言の描写と似合わず、彼らは、自分たちの誤解を認めざるを得なかったのである。

 ふたりはもちろん、墓に行った何人かの女たちが、イエスは生きておられると告げた天使たちの幻を見たと言っていることを知っていた。この証言を彼らがどう思ったかは、「イエスさまは見当たらなかった」と言う、きつい言葉で明らかである。この言葉は、このふたりに復活を確信させるには、人づての証拠以上のものが必要であるということを意味している。彼らは、イエスはすでに死に、その最後は、彼が待望されていたメシヤ預言の成就であるという事実を排除するものであると、堅く信じていたのである。

 だが、この見知らぬ人は、彼らの見解には同調せず、かえって、きびしく彼らを戒めた。

ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。(ルカ24:25〜26)

 それから、モーセをはじめ、すべての預言者の、キリストについての聖書の預言を、ふたりに説明した。この説明の中に復活のことも含められていたことは、主イエスが次の機会になさった宣言によってはっきりしている。

「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、・・・」(ルカ24:44〜46)

 このふたりを絶望に陥れていたあやまちは、聖書の預言の不十分な理解にあった。彼らが見ていたのは、メシヤが栄光のうちに来られるという事実だけであった。彼らは完全に、メシヤの受難と復活とに関する預言を見落としていたのである。このとき主イエスが試みられた話は、彼をメシヤとして信じようとした彼らの根拠を破壊するかに見えた一連の騒乱が、実に、預言の言葉の正確な成就である、ということを彼らに悟らせ、彼らの心を再び落ち着かせようとしたものである。

 イエスがそのとき説明された聖書の個所がどこであるかは、知られていない。特に、復活の預言として旧約聖書のどこが使用されたのかは、全く私たちの推測に任されている。だいたい、ユダヤの聖書には、このような現象に直接言及した個所が、ごくわずかしかない。そしてそれを教えている典型的な例で、ここに当てはめられるような個所は、確信をもってこれと言えるものがないのである。しかし、そうは言っても、主イエスは、「キリスト」という用語を用いて、明確に、復活の預言はメシヤ預言に関係あるものであるとされた。私たちは、きたりたもうかたに関する預言の系列の中に、復活の、少なくともある暗示はあるものと思わなければならないのである。更に、「四十日」間になされた主の教えが、後日使徒たちがした教えの中に反映されているであろうということも、十分に考えうることである。そうだとすれば、旧約聖書のメシヤ預言を、新約聖書でメシヤが語られた説教と関連させてゆくことにより、旧約聖書の中で復活に関係のある個所は、しだいに知られてくると思われる。

2024年5月16日木曜日

復活の最終目的(3)最終的満足の完成


今日は30年以上前に教会で親交のあった方から、お手紙をいただきました。たまたま半年ほど前にその方と路上でお会いし、翌日には春日部から他都市に引っ越されると知り、それでは永遠(とわ)のお別れになっては大変だとばかり、急いで私たちの証の載っている冊子を家に取りに帰り、慌しくしていらっしゃるお宅のポストに投函しました。その後、どうされたかとは思っていましたが、それ以上お尋ねすることもありませんでした。

その方が自筆の美しい便りを便箋4枚にびっしりと書いて近況をお知らせ下さったのです。そのお手紙の端々に現れているのは、その方の主への感謝の思いでした。長年、信仰に反対してきたご主人が、病を得て車椅子に頼らざるを得ない日々の中で、「礼拝に出たい」と言われ、結婚後50年にして、初めて夫婦で近くの教会の礼拝に出られるようになったというお証でした。心温まる思いにさせられました。

昨日は昨日で、もっとも近隣にお住まいで毎日のようにお交わりをいただいている方が、定例の家庭集会の場で(多くの皆さんの前で)正直な証をなさいました。ネットで全国の多くの方がそのお証を聞いてくださっていると思うと、これまた嬉しい思いにさせられています。

思いもしない恵みは主から一方的にいただけるものなんでしょうか。今日お載せしました「すみれ群」は一週間ほど前に古利根川の上流の河辺に忽然と私の目の前に現れた感のあるひとり生えの花です。さて、以下は『キリストの復活』の最終稿です。黙示録22章についてメリル・C・テニーによる的確な「神の都」と「復活」の関係が読み取れる論考ではないでしょうか。

 人生のおもな価値の一つは、それによって望みがかなえられるということである。願望の充足ということは、それ自体が悪であることはないが、ただ、神の位置を侵すならば悪となる。しかし、正当な生活欲求は、満足しうる回答を得るなら、快楽を味わわせてくれる。確かに神の都は、回教の言う楽園のように、この世で知られているあらゆる欲望やあこがれを、無制限に満足させてくれるものではない。イエスは、復活において、私たちの構造そのものが全く変わってしまい、ちょうがいも虫の生活を熱望することがないように、私たちは肉的な欲求を持たなくなる、と言っておられる。しかし他方、黙示録22章2節で「 毎月実ができた」と言われている木は、おそらく、永遠の、しかも飽きさせることのない快楽を描写しているものであると思われる。あきあきすることのない満足、けん怠を伴わない享楽こそは、私たちの分け前なのである。

 しかし、満足な願望の充足だけを意味するものではない。それ以上のものである。それは物事を、達成を見るまで建設的に助成する。人は、夢に描いた完全な絵をかき、完全な調べを作曲し、完全な大教会堂を建設しようとする。それに比べて啓示は普通、私たちの夢よりはずっと保守的である。しかもそれは、次のような含蓄ある言葉を言明しているのである、「もはや、のろわれるものは何もない」、また、「しもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る」。

 「もはや、のろわれるものは何もない」。(黙示22:3)。これは、創世記3章17〜19節に直接言及した言葉である。「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」。

 のろいは、労働しなければならないという点にあるのではない。労働は、人が罪を犯す前にもあった。のろいは、労働の不毛性にあるのである。雑草や害虫、洪水や酷暑に戦いをいどまれ、最後に人間は、自分がしてきたのはただ、単調なほねおり仕事を長びかせただけなのではないかと思いながら、その生涯を閉じるのである。復活が開放してくれる世界では、このすべてが変えられる。のろいは解かれる。それで労働は、障害や失敗を見ることなく、十分な報いをもたらすようになる。農夫が、すべての穀粒があふれるばかりの収穫をもたらし、生産者が、きず物や不できの物を決して造らず、あらゆる努力が、それ相応の結果を確実に望むことができるとしたら、なんとすばらしいことであろう。きたらんとする神の経綸の中では、まさにこのような事が約束されているのである。

 「しもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る」(黙示22:3)。この究極の状態は、無気力な静止状態を物語るものではない。天国を、肉体を離脱した霊が、雲に乗って、ハープの弦をかなでながら、とりとめもない歌を永遠に歌っている場所として描くのは、とんでもないまちがいである。それはまさに戯画であり、また、真理にはほど遠い描写である。ここにあげた聖句は、積極的な活動を呼びかけている。神への礼拝は、天的楽しさの一断面以上のものだからである。確かに、そこでは、地上では知りえなかった敬けんさと献身とを伴う神礼拝と神への賛美とがささげられるであろう。しかし、そこには、他の活動の余地もあるのである。それがなんであるかは、まだわからない。それが、私たちが宣教師になって他の宇宙に行くことなのか、それとも、かつては想像することもできなかった資源や動力を用いて、全く新奇な世界の探検に乗り出すことなのか、などと推測したりすることは、愚かさの限りである。その事はまもなくわかる事なのである。疑いもなく、神は、それが明らかにされるとき、私たちを驚かせ、喜ばせようとして、それを今、秘密としておられるのである。しかし、一つの事だけは確実である。私たちの労働が、積極的、永遠的な価値を持つものとなるということである。そして、すべてがこのようにして最後的な完成を見る生活に到達するためには、復活の門を通らなければならないのである。

 もう一つの事だけを補足しておく。その満足は決して尽きないということである。「彼らは永遠に王である」(黙示22:5)。「よい事にも終わりがある」という格言がある。この世においては、これは真実である。きょうあった式典の感激は、あすの苦労にあえばたちまち忘れ去られてしまう。きょうの勝利で味わった満足も、あす敗北のうきめにあえば、その実を失ってしまう。一人物が勤勉さと好首尾とによって建て上げた事業も、後継者によってたちまち衰微、没落させられてしまうかもしれない。成功と失敗、勝利と敗北、目的達成と挫折は、寄せ来る海の波の連続のようなものである。ある一つの方向に、不断の、尽きることのない進歩を見ることは、この世では不可能なのである。しかし、神の都では、私たちは、栄光から栄光へと進む。「王である」とは、勝利の生活の不断の連続性を意味するものである。

 それは、神の復活の最終目的である。しかし、地上の物語との関係においては最終的なものでも、復活は、あがないが私たちに提供しているものとの関係においては、また第一歩を画するものでしかない。黙示を仰ぎ望んだ預言者は、見たことすべてを言葉に写す力を持っていなかったようである。そして、彼が用いえた、可能なかぎり強烈な色彩の言語で着色した絵画は、事実、現実にそぐわないものであると言われなければならないのである。しかし、その現実は、信じえないものではない。私たちは、もし、イエス・キリストの肉体の復活を信ずることができるなら、同じ原理によると言われているのであるから、世界の復活を信ずることもできるのである。また、もし、自分の新生と、現在における神との交わりの経験を通して、神の力をすでに味わっているのならば、神が個人に対してなさったことを、宇宙的な規模でもなさるにちがいないということを、信ずることができるのである。神は、「ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」(新約聖書 第一ペテロ1章3節)

 バンヤンが、歓喜山の頂からはるかに天の都の輝く塔を望み見たとき、彼の旅路が新しい勇気に満たされたように、私たちも、霊的ビジョンを得さえすれば、この悪と戦いとの世界の中で、神の都のきらめき、復活の福音の最終的栄光をそこに見ることによって、百倍もの勇気をいただくことができるのである。

乳と蜜との流るる国
黄金のエルサレムよ
深き御計らい覚えて
ただ黙して 声をのむ
われ知らず われ知らず
そこに待つ喜びを
栄光の輝きを
また たぐいなき祝福を

慕わしき 祝福の国
神の選びたまえる家よ
熱き心もて われらは待つ
慕わしき 祝福の国
父なる神 御霊とともに
あがめられたまえる
わが主イエスよ
あわれみをもて
安きに導きたまえ

2024年5月15日水曜日

復活の最終目的(2)環境の最終的完成


今朝は、「母の日」に長男から贈られてきた花を窓辺に出して写真を撮りました。その日、お礼の電話をかけた家内に対して、長男は、「明るい花々を見て、少しでも晴れ晴れとした気持ちになって欲しいから」という意味のことを言いました。その言葉はいつまでも私の心に残りました。それに対して贈られてきた花々を見ることをうっかり忘れていました。庭には様々な花々が次々と咲き揃っており、いつもそちらの方に心を奪われていたからです。でも今朝は、違いました。外気の色とりどりの爽やかな庭を向こうに追いやり、室内のその花を手に取って眺めてみました。愛の表れである幾種類もの花々がそこにありました。贈り主の愛を改めて一つ一つ実感したことです。

さて、主が私たち罪人に対してご自身の復活を通して最終的にくださる愛はどのようなものでしょうか。メリル・C・テニーは、昨日は、まず第一に礼拝の最終的完成がなることを述べました。今日のところでは私たちの生活環境が最終的完成を見ると語っています。どのようなことでしょうか、お読みくだされば幸いです。なお聖句は引用者の判断で付け加えました。

 環境が人生に作用し、無意識のうちにも態度や思想を条件づけることは、言うまでもない。三人のむすこを持つある母親の話がある。むすこたちは三人とも、家を去り、船乗りになっていた。母親は、その寂しさを、ある訪問客に、悲しそうに訴えた。

「どうしてみんながうちを飛び出したがるのか、わたしにはわかりませんわ。できるだけの事をして、楽しませてあげましたのに。とにかく、わたしは、この年老いたわたしを慰めることも考えてほしいのですが・・・」

 しかし、訪問客は、少しも驚いた様子を見せない。ちょうど暖炉の上には、まっ白い帆をいっぱいに張った船の絵が掛かっている。マストの上に飛びかける空の鳥を背景に、全速力で海をすべって行く絵である。彼はその老母に、「それはあの無言の絵が、お子さんがたの心の中に、それが物語っている生活へのあこがれを植え付けたからなのですよ」と語った。確かにそのむすこたちは、彼らの環境のこの部分が心の中にかきたてたあこがれに抵抗することができなかったのであった。

 いろいろな意味において、私たちはその環境の産物である。もしそれが、卑しくさもしいものであれば、私たちはがさつで不甲斐のない者になるかもしれない。子どもを貧民くつで育てるならば、彼らは貧民くつの道徳を身につける。中には、泥沼のすいれんのように、環境を超越した人も出るであろう。しかし、大多数の人は、水のように低きを求めて、人間性を失ってしまうのである。親ならばだれでも、子どもたちが自分と同様、またはそれ以上に、近所の環境に染まってしまうということを、知っている。

 ここでは罪の環境が私たちを囲んでいる。私たちはすでに内部にあがないをいただき、またキリスト者の社会は、悪しき世の中で義の小島を形成しているかもしれないが、それでも世界は、私たちにとって依然として手ごわい相手である。ジャズのすさまじい調べであるか、劣悪な小説であるか、野蛮窮まりない戦争であるか、風紀を乱す飲酒であるか、他の、私たちを取り囲む無数の何かであるかは問わず、それらは、私たちを、決定的にわなにかけてしまうことはないかもしれないが、いずれも、私たちの霊的生活を鈍らせてしまうものである。文明も、罪への運動作用を果たすことがあり、その最善の産物さえ、悪い動機や偽善性を表わすことがある。

 神の都は、私たちに、新しい環境を約束している。真珠の門や黄金の通りを文字どおりに取るべきか、それとも、預言者が幻で見た目もくらむような美しさを叙述するのに最善と思った手だてとだけ取るべきかは、ここでは問題にしない。それはともかくとして、神は、復活した信者に、神が彼らに植え付けたもうた霊的生命の純潔さを具現させているような環境を与えようとしておられることは、明らかである。新しい生活のためには、こうして、腐敗していないことは言うに及ばず、腐敗することもない環境が与えられるのである。それは、使徒と預言者の活動を土台とするものであり、その社会は、小羊のいのちの書に名を書きしるされた者たちだけのものとされる。復活はこのように、神の子たちを新世界に住みうる者とする、神の準備の、最後の段階を意味するものである。それは、永久に古い罪による環境をかたずけ、清潔ですばらしい世界に私たちを生まれさせるものなのである。

都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と十二の門があって・・・十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。・・・すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。(新約聖書 黙示録21章11〜12節、21節、27節)

2024年5月14日火曜日

復活の最終目的(1)礼拝の最終的完成


今日は昨日の雨に比べて、爽やかな一日でした。二日続きの病院通いでしたが、今日のは心臓の動きを調べるための24時間ホルダーを提出するためでした。無事に提出し、帰る時、目にしたのが写真の絵でした。山本容子さんの「沼の花」という作品です。絵はさらに左の方に続いていますのに、一部だけで、作者には申し訳ないです。病院にこのような空間・絵があることはありがたいことだと思い、撮らせていただきました。お許しください。

夕刊には全国の介護保険料が月6225円に上昇したことが報道されていました。高齢化の進展で介護サービスの利用が増加しているのがその要因だそうです。認知症基本法元年の年、介護福祉の充実は国民的課題です。一方、私たち人間の霊的課題は何でしょうか。昨日に引き続いて「復活の最終目的」の「(1)礼拝の最終的完成」の部分を転写しました。お読みください。

 私たちの霊的生活は、すべて、完全な神との交わりを目当てとする闘争である。この意味では、誘惑や悪へのけしかけに満ちた罪の環境は、私たちの神へ向かう渇仰をとどめる、一種のブレーキである。天へ向かう旅路をきびしく貫こうとする気持ちは、しばしば、禁断の野で快楽の草花を摘む手を差し出すことによって、中断されてしまう。あとになって、誘惑に引いて行かれたことを自ら悔やむかもしれないが、それにもかかわらず、私たちの敗北は明らかであり、事実それによって私たちは、神のみそば近くいることができたのに、いられなくなったのである。私たちが、みそば近くに進んで行くとき、しばしば、自分の感じを表現できないこと、また、肉体の必要が思いと祈りの継続を中絶させることに気づく。私たちは幕を通して礼拝する。だから、幕の後ろに神のかたちを識別することはできても、そのおかげで、神からの明らかな光をいただくことはできないのである。復活だけが、その幕を永久に引き払ってくれる。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示21:3〜4)

 歴史のいかなる瞬間にも、神は、人とともに住むことを求めてこられた。それは。罪によって、実現をはばまれている。神は楽園に下って来て、禁断の木の実を食べたために恥を知って神から隠れていたアダムを捜し出された。また神はシナイ山においても、雲と雷鳴のうちに下って来られた。しかし、そのときにも人々は、恐怖にかられ、「神が私たちにお話にならないように、私たちが死ぬといけませんから」(出エジプト20:19)と叫んだ。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)のであるが、そこもやはり、彼が永遠にまくらしうる所ではなかったのである。聖誕の時には客間に彼のための余地がなく、説教の時は会堂に部屋がなく、教えをするときにも、宮は両替人でいっぱいで、彼のための余地もないありさまであった。ついに彼は、バラバの十字架にかかり、ヨセフの墓に葬られた。人間の罪の苦い皮肉は、それが、人間が必要とし、神が求めておられる交わりの道をふさいでいるということである。

 復活は、その事態を終わらせ、罪なき新しい世界を創始し、神が人と永遠の交わりを持ちうるようにするのである。そのとき可能になる礼拝においては、仲介者も儀式も象徴も、何一つ必要ではない。それは、神との直接の結びつきをもたらすのである。

 交わりが深められることを除けば、礼拝においてこれ以上の事を望むことはできない。復活は、最終的礼拝を可能にしてくれるものなのである。

2024年5月13日月曜日

復活の最終目的(序)


昨日は、ミンヘンママのお別れ会の席で、五女にあたるスーシーさんが挨拶された言葉を「母の日」にちなんで、ご紹介させていただきました。その中のポイントの一つは、主イエス様によって天国へと召された愛するお母様にご自分もまた天国で再会できるという主イエス様に対する感謝の表明だったのではないでしょうか。この確信を持つようにしてくださったのが、イエス様の十字架の死による私たちの罪の贖いと復活です。それゆえに、誰でもイエス様を素直に信ずる人はその場で直ちに、間違いなしに天国に行けるのです。それ以外の何の条件もいらないのです。

以前、と言っても8年前のことですが、ミンヘンさんの夫であるベックさんがその年の8月23日に召されるのも知らないで、私はその時、せっせとフランシス・リドレー・ハヴァガルの『霊想』を翻訳しながら、一方でそのお姉さんの「マライア・ハヴァガルの伝記」も併せて翻訳しては、このブログに載せていました。それは8月を遡ること、二ヶ月前の6月のことでした。私にとってその翻訳をとおしてキリスト者の死がいかに希望に満ちたものであるかを教えられた思いでした。そしてそれは私にとって、ベックさんの死に備える心の準備でもあったのです。ご参考のためにそのうちの一部6月15日の文章を紹介しておきます。お読みくだされば幸いです。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_15.html

さて、しばらく、中断していた「キリストの復活」というメリル・C・テニーの著作の最終章「復活の最終目的」を引き続いて転写させていただきます。

すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする」(黙示21:5)

 ヨハネの黙示録は、絶えず、多くのキリスト者にとって、神秘的なものとされてきた。それをめぐって、ばかげているとしか思えないような多くの本も著された。しかし一つの点で、すべてのキリスト者は一致している。それは、最後の二章に描かれている神の都こそは、キリスト者の最後の状態だということである。その信仰は、ヘブル人への手紙では、「この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです」と表現されている(13:14)。そこに私たちは、アブラハムが求めた「堅い基礎の上に建てられた都」、またイエスが語られた「父の家」を見いだすことができるのである。

 神の都が、信者の最後に行き着く所であるとすると、それには必然的に、二つの結論が伴う。第一に、それが私たちの期待の目標であり、救いの冠である祝福を意味するものであるならば、それこそは、キリスト者の生涯の偉大な希望、また、動機を鼓舞するものでなければならない、ということである。ペテロは、私たちは「信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです」と言っている(第一ペテロ1:5)。そこは、私たちの市民権が登録されている真の母国であり、私たちはそれを今、外国にとらわれの身をかこつ者のように、仰ぎ望むのである。この地上の旅路を進めば進むほど、私たちは、この永遠の都の影を、熱心に捜す。神はこの国を、その贖罪の目的が完成される所として準備された。私たちはそこに行き着くまでは、完全にはならない。

 第二の必然的結論は、ここに言われている国にはいるには、復活を通して以外に道がない、ということである。文脈を注意深く見るならば、この事実が明らかになる。19章から21章8節までは、一連の不断の幻の進展をしるすものである。まず、神が大淫婦をさばき、小羊の婚姻の時をきたらせたもうという宣言がなされている。大淫婦によって特徴づけられる不敬けんな社会は除去され、ここに小羊の花嫁として表されている敬けんな者の社会が、キリストによって公に承認されるのである。

 征服者なるキリストが、次には、地をさばくために進み行かれる。地上の悪魔の使者たちは、そのとき火の池に送られ、悪魔自身は、「底知れぬ所」(黙示20:1、3)に閉じ込められる。キリストの支配の次には、サタンが解放され、断罪される。それからいよいよ、死せる者の大審判である。大いなる者も小さき者も、御座の前に立ち、開かれた書物にしたがってさばかれる。このさばきの恐ろしさは、「地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった」(黙示20:11)と言われているほどである。この審判に続くものが、新天新地の創始と神の都の下降である。

 この神の都が、祝福のうちに死んだ人々が現在いる所でないということは、次の二点から明らかであろう。第一は、それが大きな白い御座の前での審判の後のものであるということ、第二は、その前に復活が起こらなければならないということである。

 黙示録21章9節から22章5節までにある都の叙述が、全体の明確な一部を構成するものであることは、事実である。文学的構造も、その事を物語っている。この個所は、「最後の七つの・・・」という句で始まっており、思想においても、「また、七つの・・・」で始まっている17章1節と平行性を示している。この二つの部分は、構造において、また内容において(それはある程度までであるが、と言うのは、一方では大淫婦のさばきが語られ、他方では小羊の妻の顕現が述べられているから)、平行関係を持っているようであるが、本文の言葉は、ここでも時間的要素を考えるとすれば、後者(小羊の妻の顕現)が時間的には前者(大淫婦のさばき)のあとに来ることを、明りょうに示している。更に、21章1〜6節の言葉は、新しいエルサレムの到来が、最後の審判のあとであることを指摘している。したがって、21章9節から22章5節までは、この事を更に確認するものである。論理的には、それは17章1節から21章8節までと平行的であり、時間的には、それに続くものである。そうであるとすれば、新しいエルサレムは、祝福のうちに死んだ者たちの現存する場所の描写ではなく、まさにこれこそ、神の地上におけるあがないの働きの完成後における最終状態の描写なのである。

 更に、この最終状態は、復活に続くものでなければならない。20章4〜6節には、キリストのために苦難をなめた者たちの「第一の復活」が言及されている。彼らは、キリストの千年の支配のはじまりにあたってよみがえる。残りの死者は、この支配の終わりと大きい白い御座での審判の時までよみがえらない。とにかく、神の都は、よみがえりを経た人々の住居であり、復活した人だけがそこへの門をくぐることを許されるのである。もし復活が、霊的、肉体的新生、すなわち、罪人の神のかたちへの復元を意味するものであるならば、復活こそは、神の人間に対する最終目的へ向かっての入り口でなければならない。神はこの世を打ち砕き、それを、愛する者たちのために、再生したもうのである。

 したがって、復活は、あらゆる永遠的な決着の実現へのかぎである。それは手段であって、終わりではない。現在のように弱く罪深い血肉が望むことのできない、神の完全な啓示を、受けることができるように、私たちを備えてくれる一つの方法なのである。

2024年5月12日日曜日

また会う日まで、ミンヘンママ

昨日、浅間山の麓、長野県御代田町で、この5月5日、94歳で召されたミンヘン・ベックママのお別れ会がありました。以下の文章は、そのお別れ会の席で、遺族のお一人で六人姉妹の末娘にあたる方が述べられたものです。お読みください(※)。

 パパやママや私たち家族のために祈っていただき本当に感謝します。祈りに支えられてここまで来たのだと思います。ママと八年近くいっしょにいたので今はとてもさびしいです。

 このひと月食べなくなったりして、私たちはびっくりしていました。私はもうちょっといっしょにいたい。でもイエス様が身許へ連れて行きたいのなら、私たちに力と慰めと平安を与えてください、そしてママが天国へ行ったことを心から喜ぶことができるように、助けてください、と祈っていました。ママは何回もいっしょに祈ってくれました。

 最後の夜も一生懸命に祈ろうとする姿、言葉を出そうとしても言える力がありませんでした。それで、私もイエス様の十字架、罪の贖いについて感謝し、天国への希望を感謝し、イエス様がお迎えに来てくれるのを待っています、と祈ったら、軽くうなづきました。

 イエス様にベックママを、私のお母さんに与えてくれて、心からありがとうと言いたいです。特別、それぞれママが主と隣人に仕えたように、私も主と隣人に仕えたいです。ママは人を見ないでイエス様しか見ない人だったと思います。この最後の1日は、この地上がもうどうでもいい、目に見えないもの、天国だけを目指そうとますます願うようになりました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(新約聖書 2テモテ4章7節)

 本当にそういう人生を歩みたいです。本当に両親に心から感謝しています。

母の日にちなんで、こんな母娘の関係を持つ母子って素晴らしいな、と思いながら、お別れ会の録音から思わず聞き取らせていただきました。

※ゴットホルド・ベック夫妻は今から七十年前にドイツから日本に宣教師として来日されました。 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/08/blog-post_23.html

2024年5月10日金曜日

『隆明だもの』(ハルノ宵子著 晶文社刊)

 ゴールデンウィークもあっという間に日が過ぎました。私自身は、いつも通り、日課としている古利根川散策に励むのみで、どこにも出かけることなく、過ごした日々でした。この間にそれまで、その勇姿を見せてくれていた川中の雁も5月2日を最後に、完全にいなくなり、散策の張り合いをなくしていました(※1)。

 そんなおり、土手を歩き続ける私たちの側を、走り抜けて行った一組の父娘の方が印象に残りました。オレンジ色のTシャツを着たお嬢さんと、並走するのはお父さんでしょうか、大変身長のある外国人らしき方のお姿でした。気がついた時には、ずっと遠方に駆け抜けて行ってしまわれ、かろうじてその後ろ姿をこの写真のようにキャッチさせていただくのが精一杯でした。が、この父娘の後ろ姿を見ながら、TVなどで知る行楽地の賑わいぶりと違って、地元でのこんな素晴らしい過ごし方もあるもんだわいと感心させられたからです。

 もちろん、それだけでなく、私はその時、吉本隆明さんの長女であるハルノ宵子さんの著作である『隆明だもの』を読んでおり、その読後感をどのように自分の内側に内面化し消化していったらよいか思いあぐね、かつ願ってもない濃密な父娘関係についても考えさせられていたからです。

 お嬢さんの方では、(多分)高名な父親の呪縛から何とか逃れたいという思いもあったでしょうが、父親の開放的な〈来る者拒まずという〉人柄もあって、吉本家には実にたくさんの有名、無名の方々が隆明氏との交流を求めて次々訪れられ、その現場〈嘘偽りのない人間関係〉の中でお嬢さんは人間心理の裏表を知りながら成長されて行ったようです。

 そこに表現者として、一筋縄では決して行かない人間心理を熟知した吉本父娘の苦闘・研鑽があるのではないかと思わされました。隆明氏についての一連の文章はいずれも、吉本隆明全集の月報に編集者に請われてハルノ宵子さんが書かれた30篇の転載です(※2)。その最後は「読む掟・書く掟」という題名ですが、私にとって感銘を受けた文章でした。それは彼女がまだ無名の漫画作家であるときに、吉本隆明氏の長女であることを、知っている編集者が宣伝文句にしたかったのでしょうか、お父さんに何か一文を寄せてもらったらと言われて、思わず乗ってしまったことの顛末を記した文章です。(同書172頁より引用)

父の文章には、「はたして私は、この世界で娘と出会うことができるだろうか」ーーとあった。氷水をぶっかけられたように目が覚めた。大甘だった。私はこの世界では、まだ無名の一新人にすぎなかったのを忘れていた。ましてや、私が(編集者代わりに)仲介となって、父に文章を依頼するなど、掟破りもはなはだしい。思えば、父からあの言葉をくらったからこそ、私は(かろうじて)この世界で生きていられる。今は感謝しか無い。表現者として生きていく以上、この世界においては、誰に頼ることもできない。1人荒野を歩いて行く、それは途方もなく孤独な旅路なのだ。

 極めて、ストイックな人間の在り方に触れた一文ではないでしょうか。昔、森有正が『バビロンの流れのほとりにて』という作品の中で、自己を問い詰め、問い詰める、思索の中で、突然「娘が自分を余り愛し過ぎないように気をつける」 という意味のことを語っていたのを思い出します。

 考えてみると、冒頭の写真の父娘は肩を並べて、両雄相い並び立つ有様でゴールに向かって走っているかのようです。吉本父娘の間もそうだったのでしょう。そこに表現者としてのゴールを目指して生き抜こうとする姿勢があったことを思います。なお、この本にはもう一人のお嬢さん、吉本バナナ氏と姉のハルノ宵子氏の対談による父親の思い出が丁々発止よろしく、次々語られるものが、ハルノ宵子氏に対する編集者のインタビューと合わせて載せられていました。そして、このお二人の姉妹関係が微笑ましく、吉本夫妻は良きお子さん方を、しかも夫妻自身が奥様は句集を出しておられた俳人だったのですから、表現者としての十分なDNAが今も受け継がれているのだと思わされました。

 私にもちょうどこの姉妹と同じように年恰好の違う娘が二人いますので、吉本姉妹の父親母親を見る目から、普段何気なく接している親子関係をも振り返る良い機会となりました。こんなふうに書いてはいますが、実はこの本も図書館で数多(あまた)の予約者の順番を経て手にした本でした。図書館のおかげでこうして様々な本を読ませていただく恵みを感謝するものです。なお同書にはハルノ宵子氏の本職である挿画イラストが随所に載せてありますので、それも十分見応えがあります。私のように図書館に予約してお読みになってみられればいかがでしょうか。

※1 すっかりいなくなったと書きました雁(鴨)ですが、昨日(5/9)散歩していて、一羽見ました。まだいるんですね、少し嬉しくなりました。「ひとりでどうしたんだ!」「はぐれたの?」私たちの会話でした。

※2 三十本の月報記事は、言うまでもなく、その全集が30巻から成り立っているということです。ちなみに、30篇の月報の題名(下線部は別のものからの転載)を以下書き写しておきます。内容が何となくお分かり願えるんではないでしょうか。

じやあな! 父の手 eyes 混合比率 ノラかっ 党派ぎらい 蓮と骨 あの頃 小さく稼ぐ めら星の地より お気持ち ヘールポップ彗星の日々 ギフト 空の座 花見と海と忘年会 '96夏・狂騒曲 幻の機械 魂の値段 境界を越える ボケるんです! 非道な娘 片棒 銀河飛行船の夜 蜃気楼の地 Tの悲劇 孤独のリング 科学の子 形而上の形見 一片の追悼 手放す人 悪いとこしか似ていない 読む掟・書く掟

詳しくはhttp://www.yoshimototakaaki.com/

見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。(旧約聖書 エゼキエル書18章4節)

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(新約聖書 ピリピ人への手紙3章13節〜14節)

2024年5月9日木曜日

認知症基本法元年


 いつのまにか、四月が過ぎ、五月もあっと言う間に、10日ほど経ってしまいました。この間、ブログからすっかり遠ざかってしまいました。決して書くことがなかったわけではありませんが、中々文章を公開するまでには至りませんでした。

 昨日は雨でしたが、買い物に出かけたスーパーの入り口付近で、滑って転んでしまいました。どのようにして転んだのか、今もってわからず仕舞いです。同行者の家内に聞いてもよく分からないと言いますし、もはや家内は2分前のことは覚えていず、しばらく経って「滑って転んだんだよ」と言っても、もう記憶には無いようです。まして、側にいたのだからどのように倒れたか、客観的にわかるであろうと水を向けても、取り付く島もありませんでした。幸い、膝を強く打っただけで、いわゆる「打ち身」の症状で済みましたが・・・。

 よく、ご老人が階段から落ちて怪我したとか、転んで大腿骨骨折したとか聞きますが、いよいよ自分にもその番が回ってきたようです。考えてみれば、、5、6年前にはバスから降りる時、足がついて行かず、縁石に顎をぶっつけ顎骨折という大怪我を経験しましたし、その後も夜道の暗がりに蹴躓いて倒れ、その時は唇を切ってしまいました。また雨の日に歩いていてコンクリート面が滑りやすくなっていて、そのまま、滑って尻餅をついたこともありました。

 昨日の些事はこうして都合、四回目になります。いよいよ家内も当てにならず、自分のことは自分で責任を持たねばならないと思わされました。もっとも一人ではなく、全能の主が背後ですべてご支配していて、導いて下さっているのですから、安心して主の道を歩みなさい、との御声を覚える者です。

 今日の写真は野薔薇を載せました。古利根川の散策の中、河岸で目にした花です。花々に無知で不案内の私は、家内にいちいち「何の花?」と聞くのが常套手段です。すると、どうでしょうか。あれほど認知機能の衰えている家内は「野薔薇よ」と言って、早速「童(わらべ)は見たり、野なかの薔薇・・・」と歌ってくれました。私にとっては、昨日の出来事とは違ってまったくもって、もったいない伴走者と言わざるを得ませんでした。

 時あたかも、昨日厚生労働省が発表したとおり、今後超高齢化社会の中で三人に一人が認知症を患うと予想しました。「認知症基本法」が1月に施行され、個人としても家族としても国としても待ったなしですね。

 何日か前、吉本隆明さんの長女であるハルノ宵子(※1)さんの著作である『隆明だもの』を読みました。往年の吉本ファンであった私にとっては垂涎の書でありました。しかし、意外や意外、私にとっていま一番印象に残っているところは「ボケるんです!」という題名で父親隆明氏について触れている文章ですが、ついでに母親について述べた次のような件でした。同書88〜89頁より引用。

老人のボケは、一人ひとりまったく違う。がん細胞が、まったく千差万別なのと同じだ。他人と同じ過程をたどることは決してない。つまりエビデンスは、あくまでも参考でしかないのだ。母は元気な頃は、けっこうキツイ人で、父はよく「お母ちゃんは他人に優しく家族にはキビシイ」とこぼしていたが、ボケるにしたがって、角が取れてきたのは意外だった。もちろん1日のほとんどをボーッと眠りがちで過ごしていたし、2、3分前に言ったことを忘れたりはしていた。しかし、その場の会話は一応成立していた。一緒に動物番組などを観ていると「カワイイわね」と言ったり、深海生物には「あんな所に生まれなくて良かった」などと言っていた。かなり理想的なボケ方だったと思う。

 もちろん、この引用は『隆明だもの』の本質部分を全部網羅しているわけではありません。しかし読者というものは、得てしていつも自分の問題に引き寄せて読むのではないでしょうか。逆に言うとそれに十分答えられる本が最良の本と言えるのではないでしょうか。そう言う意味では私の吉本観(※2)はこのお嬢さんの書かれた本でも崩れず、ますますそうだったのだと確信するばかりでした。

 隆明氏亡き後、お嬢さんを通して、私どもの老後の世界にヒントとなることを垣間見させていただいたことは、私たち夫婦の今の有り様にとり、大いに益になりました。

※1 表現者を父に持った娘さんもまた表現者であることの複雑さがこの本には満ちていました。土台、この「ハルノ宵子」という筆名は、立派な父親を持つ娘さんの苦肉の策であったようです。何も知らない私は、何と人を喰ったペンネームとばかり思っていましたが、そこにはユーモアで受け流そうとする出発点がすでにあったようです。「春宵一刻価千金」という言葉があるようですが、「ハルノ」は「春の」に通じますし、「宵」とはまさに、その春と一緒になって「春宵」です。しかも「宵」は「よい」にも通じて、「よい子」です。日本語は何と融通無碍なんでしょうか。

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_30.html

昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。(旧約聖書 申命記33章27節)