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風そよぐ 薄野(すすきの)に蜘蛛 棲家あり(※1) |
その朝は寒々として冷たかった。湿っぽい肌を突き刺す風がポトマック川の鋼のような灰色の川面を波立たせていた。ペンシルバニア通りの広い立ち入り禁止の一帯は紙やがらくたのようなものが風で吹き飛ばされ、その風が連邦議会のドームに吹きつけ「ヒューヒュー」と唸っていた。
ワシントンの至るところで期待感がみなぎっていた。大通りに沿って何週間もかけて積み上げられてきた材木のかたまりはついに屋根付きの観覧席へとしつらえられていった。街角という街角にはネービーブルーの制服に身を固めた特別区の警官が彩りを添えていた。灰色の街灯には小さなアメリカ国旗やトルーマン(大統領)とバークレー(副大統領)の写真が飾られた。赤、白、青の旗が至る所にあった。数時間もすれば合衆国大統領を祝って4万人の行進者や40以上の山車が7マイルの長さで縦列をつくることになろう。この日は1949年1月20日、大統領就任式の日だった。
両翼を広げた重厚な連邦議会の建物の前で、私は12万人の他の人たちとともににわか仕立てにつくられたベンチに座って、前の貴賓席に場を占めている政府高官を眺めていた。ラジオ、テレビ、映写技師たちは新しく造られたひな壇で器具を調整したりテストしたりするのに上がったり降りたりして大わらわであった。昼の12時に全米の耳目はこの瞬間に吸い寄せられることであろう。
私はプラム色の革掛け椅子や緑色のカーペットの敷かれた通路を備える旧上院会議場で、ピーター・マーシャルがその瞬間祈ることを知っていた。彼は多くの新聞記者に「上院の良心」と呼ばれていた。彼の簡潔で真摯な地についた祈りは上院議員たちに次第に深い影響を与えつつあった。しかし祈りは親密なものであり、決して人が手軽に話すようなものではなかった。私は何度か見てきたようにその場面を描くことが出来る。ピーターが祈ると、人々は突然静まり返り、うやうやしく頭を垂れた。
「父なる神様、私たちはあなたを信頼しています。また、この国はあなたのお導きとお恵みにより誕生させられました。どうか合衆国の上院議員を歴史上のこの重要な時に祝福し、その義務を真摯に遂行するのに必要なすべてのものをお与えください。
私たちは今日特に私たちの大統領のためにお祈りします。そしてまたこの議会を主宰する大統領のためにお祈りします。彼らがその務めを果たすために、精神的肉体的緊張に耐え得る健康をお与えください。またしなければならない決定に対する正しい判断力をお与えください。また彼ら自身の力を超える叡智とこの困難な時期の問題に対する明確な理解力をお与えください。
私たちはあなた様に心からへりくだり信頼できますことを感謝いたします。どうか彼らが恵みの御座に絶えず行くことが出来ますように。私たちも彼らに対するあなた様の愛あるご配慮とあなた様のお導きの御手におゆだね出来ますように。
私たちの主イエス・キリストの御名を通して、アーメン。」
※1 日々大変な暑さである。この暑さの中で生きとし生けるもの様々な工夫をして生き延びている。土手を歩くと彼方此方にミミズの屍が見える。この暑さで地中から出ざるを得ず、出たは出たで熱にやられての結果であろうか、哀れでならない。一方、伸び放題の葦やススキが繁茂している。オオヨシキリはその豊かな自然環境の中で「ギヨッ ギヨッ」と囀るに遑ない。そしてそのススキには蜘蛛がご覧のようなシェルターにこもっては餌を狙っている。写真では一つしか示さなかったが、もちろんたくさんの蜘蛛のシェルターがある。よくも彼らはこうして「家」を作るものだと感心せざるを得ない。
※2 2008年当時、この本を読んで痛く感動した覚えがある。原本はアメリカで戦後間もなくベストセラーになった本である。典型的なアメリカンドリームの体現者がイギリス・スコットランドから移民としてやってきたピーター・マーシャルその人の人生であった。その人生を妻であるキャサリンが描いた「夫の肖像」とも言うべき本である。幸い、邦訳がある。村岡花子さんの訳である。当時私はこの本が手に入らないのでやむを得ず英書を購入して読んだ。ところが今回探して見たら、今や国会図書館デジタルライブラリーで自由に引き出せ、プリントアウトして読むことが出来ることがわかった。だから村岡さんの名訳を拝借してもいいのだが、私訳を載せた。村岡さんはピーターの祈りの言葉を載せておられない。不必要だと思われたからである。しかし、どっこい、その祈りこそ今私が必要としている祈りの一つであるので敢えて載せてみた。ついでに言えば、村岡さんはこの一連の叙述(20項目)の冒頭に必ず載っている聖句(下のイザヤ書の聖句)をやはり省略している。それらの祈りや聖句の省略が村岡さんにとって、その後どう言う意味・経過を辿ったかはその翻訳書の後書きで少し書いておられる。一読の価値があると思った。機会があれば紹介したい。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/11/blog-post_19.html
まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。(旧約聖書 イザヤ55章12〜13節)
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