2024年6月15日土曜日

小説『かたばみ』の素晴らしさ(中)


 今朝も鴨親子の姿を水田で確認できました。それにしても子育てとは何と忍耐のいる働きなのでしょうか。母鴨は子鴨をじっと眺めて居り、いざという時に備えているようですし、何もしていないかのお父さん鴨は母子から距離を置きながらも、決して離れることのない姿を見せてくれました。(実は、お父さん鴨はこの画面の左隅の上あたりにいるのですが、残念ながら、この画面には写せていません。「影」の人物です。)

 このような鴨家族に比べて、もちろん人間家族はそれ以上に愛の絆で結ばれた家族であるに違いありません。小説『かたばみ』には時代に翻弄されながらも誠実に生き続けようとするその家族の実相を描いている作品です。

 自らが行く末は結婚をと夢見ていた幼友達が、長ずるに及んで別の女の人と結婚してしまう。それだけでも、その目にあった当の女性にとってはとても耐えられないことでしょう。それだけでなく、事もあろうか、その好きな人は敢えなくも遺児を残して戦死してしまう。その遺児を引き取って育ててほしいとは、親しかった幼友達の相手の家からの立っての申し出であったとは・・・。でも、これほど矛盾したことはないのではないでしょうか。

 大事な人を結婚で失う。それだけでなく戦争で失う。大事な人が自分にとってかけがえのない人であるだけに余計にその悲しさは募るものです。そして、その愛が本物であるかどうかを試すかのように、その遺児を我が子として育てて行かねばならないのです。しかも、自らが選んだ結婚は、別人との成り行きの結婚であり、果たして夫婦としてうまくやっていけるか全く自信の持てない結婚生活なのです。読者にとっても、読んでいてきわめて危なっかなしい結婚に見えるのです。しかし、作者の描くこの両者の結婚は第二章の題名が「似合い似合いの釜の蓋」とあるように、まさに天与の賜物である愛が働いて、妻だけでなく、夫も妻が好きだった人の遺児を、共に喜んで受け入れ、我が子どもとして育てるのです。

 その子育てがいかに波乱を含みながらも順調に育って行ったか、そのことを描いたのが第三章の「瓜の蔓に茄子」という題名そのものの展開が描く子育ての数々の場面です。しかもこの章はその息子「清太」の立場から見た家庭の様子を語らせるのです。複眼思考という言葉がありますが、物事を一面からだけ見るのでなく、多方面から見て行くのです。

 この作品自体に登場する家族は岐阜にいる山岡悌子の家族、同じく岐阜の悌子の幼友だちの神代清一の家族、悌子が結婚に導かれる東京浅草の中津川権蔵の家族、権蔵の妹で東京小金井で惣菜店を営む木村朝子の家族(ご主人は後に復員してくる茂樹)など実に数家族にすぎませんが、それぞれの家族がいろんな重荷を担って、歩むうちにそれぞれ個々人としての人格形成がなされていきますが、作者はそれを一面的に描こうとはしていません。一番感心したのは、木村惣菜店の姑ケイが何となく意地汚く描かれているが、最後の方に行くと彼女がそうせざるを得なかった事情が明らかにされるにつれ、愛される姑像へと私のうちで変わって行った点です。

 その作者の精神、人を差別なしに受け入れて行こう。喜びも悲しみも共にして行こうという精神に満ちています。私にとってこの点が、作品を読みながら、言外に最も学ばされた点です。だから昨日の写真にはカラスを載せました。

 さて、母である悌子は体格に恵まれ、かつては槍投げ選手でもありましたが、父親である中津川権蔵は文弱でキャッチボールでさえままならぬ、運動苦手の人です。ところが二人が養育した「清太」という子どもは父権蔵と違って大変な野球の名投手として大活躍し、中学の都の大会で決勝戦まで進む逸材として育つのです。これはまさに「瓜の蔓に茄子」であります(それもそのはず、戦死した彼の産みの父は岐阜きっての名投手で甲子園でも六大学でも活躍する名投手神代清一だったのです。)

 ところが、その小説の終局場面でその清太自身が、自分のお父さんお母さんは生みの親でないと勘付くことから、この家庭は大きな試練に直面するのです。清太自身の煩悶はまさに思春期の青年が必ず経験することではありますが、このことはひた隠しに隠して、産みの子としての養育に懸命になっていた権蔵・悌子夫妻を一挙にどん底に突き落としてしまう出来事です。もちろんその前にその事実を知った「清太」がどん底に突き落とされ、それまで熱心に続けていた野球部を退部すると決断するに至るほど、少年の苦しみも深かったのです。

 私が涙を流すことが二度三度あったと前回書きましたが、このようなどん底から中津川一家がものの見事、立ち直る場面でした。それはどのようなことなのか、それは読者ご自身がこの本を手に取られ、是非お読み願いたいところだと思っています。意外と言えば意外ですが、十分志向できる落とし所です。こうなきゃ小説は成り立たないと思わせる幕切れでした。

 私の今日の聖書通読個所の一つは士師記14章、15章でしたが、私にとってやはり『かたばみ』に劣ることのない、いや遥かにまさるのが聖書だと改めて実感させていただくみことばの数々でした。最後、その一部分を写させていただきます。

サムソンはティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘でティムナにいるひとりの女を見た。彼は帰ったとき、父と母に告げて言った。「私はティムナで、ある女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、あの女をめとって、私の妻にしてください。」すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。(旧約聖書 士師記14章1〜4節)

隠されていることは、私たちの神、主のものである。(旧約聖書 申命記29章29節)

2024年6月14日金曜日

小説『かたばみ』の素晴らしさ(上)


 なぜか、今日はこの写真を選びました。「カラス」と言うと 、いつの間にか悪印象しか持たない己が思いを自戒するためにです。それは『かたばみ』という作品を通して自分が作者から語りかけられてきた成果かも知れません。

 昨日三日がかりで大急ぎで読了した木内昇さんの作品は私の期待を裏切らないものでした。この『かたばみ』は一昨年から昨年にかけてでしょうか、東京新聞の朝刊に連載されたものが単行本として出版されたものです。毎朝読むことのできる新聞小説は作者の文章と同時に挿絵が載せられます。その中で作中人物の「山岡悌子」という類まれな体格と性格を持つ人物の存在だけはその当時大変興味関心をそそのかされた記憶があります。

 しかし、その彼女の生きた時代が戦中のこともあり、じっくり後で読んでみようと思い、取り敢えず、切り抜きだけは続けようと丹念に続けました。しかし、この作品に取り組んだのは今回が初めてになりました。私はこの作品を読んで、少なくとも二、三回は傍目も憚らず涙を流さざるを得ませんでした。その涙は私の魂を浄化させるものでした。その意味でこの作品はエンターテインメント(娯楽作品)としての資格を十分備えていると思います。

 驚くべきことは、作者が1967年(昭和42年)生まれだということです。私が大学を卒業して教員として実人生のとば口に立ったばかりの年です。その年に生まれた作者が、何とそれを去ること24年前、つまり私が生まれた1943年(昭和18年)から作品を紡いでいるという驚きでした。そして作者の語り口を通して私は一つ一つ、もう一度我が人生を振り返らざるを得ませんでした。

 そして物語の設定は、私が経験した実母の人生とある意味で共通したものでありました。母は戦死で愛する夫を亡くしました。その戦死がなければ私という人間は誕生していないからです。と同時に不思議なことに、1967年(昭和42年)に教壇に立った私がその後三十数年近く経験した教育現場での葛藤は、ある意味で小説の主人公「山岡悌子」が経験することと共通していたからです。いや、坊ちゃんの「赤シャツ」以来、すなわち明治以来、教育現場での非喜劇は今日も続いていると言って良いんじゃないかと思わされました。

 それにしても作者の力量は改めて大変なものだと思わされました。一年間という日々、朝刊の連載小説は一日一日が勝負であります。かつ全体として描きたい点が明確でなければなりません。私は今回読みながら、ある時は落語を聞かされているように精神がリラックスできる場面がふんだんにあることに気づかされました。作者としての構想がしっかりしているからこそ、この遊びもできるのだと感心しております。

 さて、前口上が長くなりました。明日はその梗概について述べてみたいと思います。昨日、聖書通読個所の一つに士師記10章、11章がありました。そこに登場する「エフタ」はこれまた大変な悲劇の只中にあった人物です。しかし、主はそのようにして彼を用いられるのです。

さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。・・・エフタは再びアモン人の王に使者たちを送って、彼に、エフタはこう言うと言わせた。「・・・私はあなたに罪を犯してはいないのに、あなたは私に戦いをいどんで、私に害を加えようとしている。審判者である主が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように。」アモン人の王はエフタが彼に送ったことばを聞き入れなかった。(旧約聖書 士師記11章1節、14〜15節、27〜28節)

2024年6月12日水曜日

愛の絆ここにあり


 今日の写真は、脇目も振らず、ただ一心にお母さん鴨に付き従っていく10羽の子がもたちの勇姿です。そこには相互信頼の深い絆を感じます。実は画面右は田んぼの畦道になっていて、画面の右側に垂直に走っています。初め、遠くから眺めると雄と雌の鴨二羽が見えるだけでした。いったい子がもはどこに行ったのだろうと、その畦道伝いに近づきましたら、何と畦道には10羽がおとなしく集まって休んでいたのです。

 そうとは知らず、私が突然闖入したものですから、危険だと思ったのか、お母さん鴨が先ず畦道を水田へと降り、続いて10羽の子がもがそのあとに続いたわけです。一人お父さん鴨は悠然と畦道に座ったままでした。すべてを奥さんに任せているようです。私は、この母子の姿を見るにつけ、改めて母親の愛に対する畏敬の思いにとらわれております。こうして、10羽の子がもは、子がもで、着実に成長して行き、いずれ巣立ちの時を迎えるのですね。 一方で苗は日増しに成長していっているのですね。太陽と雨のおかげです。そして、古利根川の水を汲み上げては水田に流す、ポンプに毎日欠かさずスイッチを入れる老婆の方の配慮があってのことです。悠久な自然界の営みを思うて、秩序ある神様の愛を深く思わされます。

 ところで、私は、昨日から考えるところがあって『かたばみ』という木内昇(きうち のぼり)さんの小説を図書館から借りていたのに、読まずに返却期日が目前に迫って来たので、大急ぎで読み始めました。この小説は昭和18年(1943年)からスタートします。まさしく私の生まれた歳からのストーリーで、実に興味津々の小説であります。そしてこの本は全部で3章に分かれています。第1章が「焼け野の雉(きぎす)」第2章が「似合い似合いの釜の蓋(ふた)」第3章が「瓜の蔓に茄子」となっていますが、第2章まで読み終えました。全部を読み終えてからその感想をこのブログでご紹介したいと思いますが、今日は数日間観察しております、鴨の生態と共通するかのような言葉が、たまたま以下のように紹介されていましたのでその言葉を紹介させていただきます。(同書138頁より引用)

主人公の(山岡)悌子は国民学校の教師ですが、引率していた生徒を空襲で亡くします。守りきれなかった自分の責任を覚えるだけでなく、子を亡くした親の思いを人生の先輩、のちに不思議な導きで義母となる(中津川)富枝から聞かされるという場面での話です。時は昭和18年です。

「おかしいわよね。御国のために、どうして命を捧げないといけないのかしら」
静かだけれど、奥底に強い憤りをはらんだ声だった。
「本当はみんな、自分のだいじな人には生きてほしいと願っているのに、そんな当たり前のことさえ、口にできない世の中なんて」
富枝がこんなふうに、はっきり世の中を批難するのははじめてのことだった

「あなたは『焼け野の雉、夜の鶴』っていうことわざをご存じ?」
悌子は黙って首を横に振る。
「雉というのは、自分の巣がある野原が燃えているさなかでも、子供を救うため巣に戻るんですって、鶴もね、凍えそうな夜に羽で覆って雛を守るというの。子供のためなら身を挺す、っていう親心を喩えた言葉なのよ」
腿の上に置いた手を、富枝は強く握り合わせてから続けた。
「亡くなったお子さんの親御さんは、自分があの日の空襲の中へ飛び込んでいってでも、お子さんを救い出したかったと思うのよ。あの日に戻って子供を助ける空想を、きっと繰り返し、繰り返ししていると思うのよ、かなわないことだとわかっていても、そうせずにはいられないのよ。そういう空想をすることは、とっても苦しいことなのに」
現実を頑なに拒むような、賢治の母親の顔が浮かぶ。・・・・

 私の家では、この二月八日に誕生した孫が少しずつ成長しております。今日(こんにち)、その有様はLINEで日々知らされる時代になりました。その中で初めて母親となった次女は日々悪戦苦闘しながら母親としての自覚を深めつつあるようです。明日はその孫を見せに次女家族が来る予定です。どんな風景がそこには見られるのか大いに楽しみです。

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(新約聖書 ヨハネの福音書 15章13節)

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。(新約聖書 ヨハネの手紙第一 3章16節)

2024年6月10日月曜日

被造物である私たちのうめき


 相変わらず、鴨の観察を続けています。 今日の写真は昨日のものです。実は、今日の写真を載せたかったのですが、遠方でiPoneにはとらえきれませんでした。ただし、この二、三日観察する人が増え、ちょっとした通り行く人々の「観察」スポットになっています。

 近くで野良仕事をなさっておられる地主さん(腰が屈んで伸ばすことができないお婆さん然とした方)に、思い切って、お話をお伺いすることができました。その方がおっしゃるのには「鴨は日が暮れると、(水田の奥にある)林の方に移動するんじゃないか。」こうして、私の数日間の幼稚な疑問は一挙に解決しました。彼らには宿がちゃんとあったのだ、ということでした。もっともその地主さんもどこでどうしているかを確かめられたのではないようでした。

 さらに続けてこうも言われました。「雄は遠くから見張っているし、母鳥は子どもの面倒を見ている、人間社会と同じです。水田の水は、毎朝早く起きてポンプで古利根川の水を汲み上げては、田んぼに流しているのですよ」ということでした。

 また、バズーカ砲のごとき望遠レンズを構えて連日お会いする人の言によると、「もう数日すると、(古利根)川に戻って行くよ。まだそれだけの力がないから親が、この水田で、面倒みているんだ」という話でした。現に、水田を上がって、行こうとするようですが、まだその力がないのは見ていて明らかでした。またこんな話を別の方から聞きました。「散歩していたら、目の前にカラスが舞い降りてきて、(生まれたばかりの子)猫を口に咥えて飛んで行きましたよ」とびっくりするような話でした。

 道理で、母鳥は10羽の子どもから目を離さないで、見守っているのですね。確かにカラスが二、三羽居て、遠巻きにうかがっている感じです。油断できません。近頃は蛇も見かけるようになりました。地主さんに言わせると、他の家の水田より田植えが遅くなって、今年はもう植えてくれないのかと思っていた(耕作は人に頼んでいるものだから)。

 今の苗の成長ぶりから、鴨がこの水田で子育てをするに条件がぴったり合ったんだなーと私なりに思っています(普通の水田に比べれば、遅植えでしたので、鴨たちが行き来するのには困らない)。10羽の子どもたちは苗と苗の間の隙間を上手に利用して、プールよろしく、互いに追いかけごっこをしているようで、みていて興味が尽きないです。この鴨家族が古利根川にどのようにして帰って行くのか、まだ当分目が離せません。

私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(新約聖書 ローマ人への手紙8章22〜23節)

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(旧約聖書 イザヤ書11章6〜9節)

2024年6月8日土曜日

鳥から教えられる

As an eagle...fluttereth over her young...※
 いささか鳥尽くめで恐縮ですが、今日も例の水田を見に行きました。何と鴨家族が全員いたのです。出稼ぎに出かけたと思われるお父さん鴨もいつの間にかまた家族の一員として二日ぶりに帰って来て水田を這いずりまわっていました。

 このような光景に気がつく方は少人数ではありますが、当然おられるのですね。今日は、私が現地にさしかかる前に、望遠レンズを構えて写真を撮っておられる方が先客としておられました。悲しいかな、私はiPhone一本槍です。いくら努力しても遠望の域を出ません。まるでバズーカ砲に普通の鉄砲で体当たりする思いでした。さぞかし、その方のレンズには間近な鴨の子どもたちの姿が実写されているはずです。こちらはやむを得ず、想像するしかありませんでした。

 けれども遠目ながらお父さん鴨は、出稼ぎから帰って来たのに、地面を這いつくばってばかりいて、自分の餌取りに夢中になっているのが確認できました。そこへ行くとお母さん鴨は立派ですね。子どもたちを暖かく見守っています、背筋をピンと伸ばして・・・。人間界でもしばしば見られる光景かもしれませんね。そんなわけで左にその写真を補足しました。

 さて、そのあとがまた問題なのです。件(くだん)の鴨家族は、またしてもしばらくして確かめたところ、昨日に続き、今日も全員いなくなっているのです。いったいどうなっているんだろうと、再び考え込みながら帰って来ました。

 こんなに連日鴨に夢中になっている私に、今夜もう一つの鳥との出会いがありました。今日の通読個所のイザヤ書31章の文言でした。その5節に

万軍の主は飛びかける鳥のように、エルサレムを守り、これを守って救い出し、これを助けて解放する。

と、あったからです。そして、同時に私はかつてのブログ記事を思い出しました。それが以下の2016年6月9日の記事です。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_9.html

この記事は私が2016年に一年間かけてハヴァガルの霊想を翻訳して掲載したものです。是非上のサイトをダブルクリックしてお読みください。きっと恵まれると思います。しかもその記事が8年前の6月9日のものだとは不思議ですね。鳥づくめは決して無駄ではありませんでした。

※英文の邦訳を中心に今日のみことばとさせていただきます。
主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に乗せて行くように。(旧約聖書 申命記32章10〜11節)

2024年6月7日金曜日

里帰りの褒賞「筋肉痛」


 先週土曜日から、今週の火曜日まで滋賀県の高宮(彦根市)という町に帰っていました。行きも帰りも、新幹線でなく鈍行列車を利用しての旅路です。現地に着くと、翌日の日曜日は近江八幡に出かけ、みなさんと一緒に礼拝に参加することにしています。翌々日の月曜日は決まって、家の外回りや、庭や畑の草刈りに勤しみます。必ずと言っていいほど私の里帰りはこのパターンで行動しています。春日部を何日間も留守にしたくはないので、私にとっては貴重な一日です。

 月曜日は滋賀県は天候にも恵まれていたので、この時とばかり、朝早くから夕方まで魂(こん)詰めて、働きましたので、成果が上がりました。ところがそれからがいけませんでした。大変な「筋肉痛」を経験しました。翌日の火曜日から今日の金曜日あたりまでずっと痛みがあり、立ち上がったり、屈んだりするのがままならないのです。歳を感じました。

 子どもたちは一様に新幹線での行き来を勧めてくれますが、私は長年培ってきたこの鈍行列車の旅が気に入っています。家内はどうなのでしょう。夫唱婦随というので、不承不承ついてきてくれているのでしょうね。そんな子どもたちに、鈍行旅行はこんなにも楽しいんだよと、LINEで写真を送ることにしています。今日の写真は火曜日、浜松ー熱海間で乗車した車内の様子を撮ったものです。明るい車内と車窓に展開する緑の景色は、新幹線では味わえないゆったりした気分にさせてくれます(痩せ我慢かな?)。ついでに浜名湖横断の際の写真も載せておきます。残念ながら、富士山はダメでした。大気が不安定でまさに関東域での降雨を予感させる雲行きでした。案の定、大宮に着いたら大変な驟雨でした。

 その後の日々は驟雨ならぬ「筋肉痛」が続き、いつまでも草刈りの余韻が身に残りました。立ち上がるのにも座るのにも苦労しましたが、やっとそれもなくなりつつあります。

 さて、今日も鴨家族は健在でした。ところが、お父さん鴨はいませんでした。どこかへ出稼ぎに行ったのでしょうか。子どももせっせと餌を食べるのに夢中でした。下の写真が表しているように、お母さん鴨の子どもたちを見守る姿勢が、私たち人間とまったく変わらないですね。ところが、半時間後に再び水田を確かめましたところ、もぬけのからでした。いったいどうしたのでしょう。


みことばは、今日の題名「里帰りの『褒賞』」にひっかけて、ヤコブの「褒賞」のみことばを選びました。

その人は、・・・ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。・・・そこでヤコブは、その所の名をぺヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。彼がぺヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。(旧約聖書 創世記32章25節以下)

2024年6月6日木曜日

鴨家族に躍動するいのちの証

お母さん鴨に見守られて
 古利根川の川縁には、過去の俳人の方々が詠まれた句が、随所に掲げてあります。江戸時代の松尾芭蕉は日光街道の粕壁宿に泊まっていますし、近代に至っては、加藤楸邨という水原秋桜子門下の俳人であった方が、粕壁中学(旧制)の教師であった時期があり、その影響でしょう、春日部にはたくさんの俳人脈ができているように思います。

 だから古利根川を散歩するたびに、それらの俳人の方々の俳句を味わいながらも散歩を楽しみにしておりますが、今日は小林一茶の句が気になりました。「古利根や 鴨の鳴く夜 酒の味」鴨料理に舌打ちながら、鴨が鳴いている夜、酒を酌み交わしているのであろうか、その味は如何ばかりなのだろうなあ、と一茶の思いを勝手にたどっていました。

 ところが。土手を降りた水田の意外な光景に出くわしたのです。すっかりいなくなったとばかり思っていた鴨夫婦がいたのです。それだけでなく奥の方には、何やら黒い塊状になっている生き物がいたのです。鴨夫婦の子どもたちです。大きい水田の奥の方にいるので肉眼では最初中々掴みづらかったのです。そのうち、黒い塊が動き出して、手前の方に近づいてきました。驚くなかれ、10羽の子どもたちでした。途端に、半時間ほど前に見た一茶の句が俄かに現実味を帯びて迫ってきました。「古利根や 鴨の子どもたち 育(はぐく)む田」(写真手前がお父さん鴨、右側がお母さん鴨、右奥の塊が子どもたち)と下手な句を考えました。

 私たち無力な夫婦はそれでも五人の子どもに恵まれました。それぞれが今も良くしてくれます。しかし、この鴨家族はどのようにして生計を立てているのでしょうか。先週の土曜日から今週の火曜日までには、春日部にはいませんでしたので、ついぞ古利根川に出かけることはありませんでした。それにしても、私はこのブログで一週間ほど前の5/28(火)には、鴨夫婦がいなくなったのを嘆いていたのです。とすると、私が古利根川に行かなかった間に、彼らには何かが起こったのでしょう。それにしてもそんな十日間余りで水田でたむろできるまで成長できるのでしょうか。

 こうなったら、明日も見に行きたいです。帰りにガード下のコンクリートの隙間にちょっぴり小さい花(ペチュニア)が咲いていました。ここにもいのちの躍動がありました。

 昨日もこのところ気分的に滅入っている家内に、友達が「絵を描いているか」と励ましの電話をくださいました。家内はたくさんの花の絵を描いては20年ほど、多くの方々にあげていました。それがコロナ禍以来、すっかり絵筆を握ることもなく、日を過ごしています。その友人曰く「聖書にソロモンよりも野の花は着飾っていると書いてあるじゃない、だから私は毎日花の絵を描いているのよ。あなたのように花の絵を描く人はそうはいないよ、だから絵筆をまた握ってよ」と電話の向こうで励ましてくれました。ありがたいことですね。人間にはこうして言葉でもって励まし合うことができるのですね。

 でも、それ以上に神様を信ずるということは、こんなにも素晴らしいことなんだと、私はその友人の電話の言葉をそばで聞きながら、思わされました。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(新約聖書 マタイ6章28〜30節)