まだ羽が生えていず飛ぶことのできない小さな鷲の子が 、両親の鷲の大きな翼の下にあるなら、彼らはどんなに安全であることでしょうか。誰が彼らに恐れなく触れることができるというのでしょうか。もしも向こう見ずな登山者が巣に手を突っ込もうものなら、その時こそ瞬時のうちに力強い打擲が彼を見舞い、岩壁に落とされ粉みじんに打ち砕かれることでしょう。
そのようにあなたは主の翼の下で安全であり、そこではどんなものも如何なる手段によってもあなたを傷つけることはないでしょう。荒々しい雪嵐が高所の巣のまわりを襲い、その時は防御されず眠りこけているものには死であっても、巣の中にいる小さな鷲の子はどれほど暖かく守られていることでしょうか。 するどい衝撃をもって迫る矢も、か細い小さな羽を持たない鷲の子に迫ることはありません。冷たい雪片も触れることがないのです。いかに悩みの冷たい暗い日が来ようとも、またいかなる不親切や孤独という突然の小さな衝撃が来てさえ、主の翼のもとにあってはどれほど暖かなことでしょうか。
主の翼の下であなたは信頼することができるのです。あなたは知らないのですか。もし鷲の子の中の一羽が起きていることを見たがり、しばらく注意することができると思い、翼の陰の下から躍り出たなら、安全でも暖かくもならないでしょう。鋭い風が鷲の子を冷え上がらせ、その時非情な手がむんずとつかむかも知れないのです。
そのようにあなたは主の翼の下で信頼し、落ち着いて心安らかに休むことです。そこにとどまりなさい。ちらっと外を見て、神様が果たして自分を注意してくれるのかどうか知りたいと思わないことです。あなたはいつもそこで安全であり幸福であります。
私は安全です。なぜなら、主なるあなたの御翼の陰に私は避けどころを求めるからです。私は幸せです。なぜなら「御翼の陰で、私は喜び歌う」(詩篇63・7)からです。
あなたのみことばの上に休みます
それはどんなに力強く確かなことでしょう
どんなに元気づける祝福で一杯でしょうか
また甘美で純粋でしょうか
変ることがなく、決して崩れないみことば
私の王様である主よ
私はあなたのみことばの下にとこしえに憩います
それはどんなに力強く確かなことでしょう
どんなに元気づける祝福で一杯でしょうか
また甘美で純粋でしょうか
変ることがなく、決して崩れないみことば
私の王様である主よ
私はあなたのみことばの下にとこしえに憩います
The Autobiography of Maria Vernon Graham Havergall 第4章1846〜1848(4)
1846年11月 母の病気は重かったので、いなかった子どもたちが呼びやられ、伯母のストラットンがやって来た。兄のヘンリーが先ず到着し、母の側でひざまずいた。母は兄の柔らかな髪の毛に手をやりながら言った。「主イエス様を愛することに比べられる愛は何もないよ。イエス様はほんとうの宝、すばらしい救い主だから。私は16の時からずっと真心からイエス様を愛してきた。でもそれは私の力じゃない。私に生きる恵みの最小限の力を与えてくださったのは、神様の出し惜しみされないあわれみだった。私には何の良いところも、正しさもなかったのよ。」
(病床にあって)順序立ててなされることを指図しながら、母はつけ加えた。「天国にはどんな秩序があるのだろうね」 食べ物を手にする時には「いのちのパンは私のもの。私はもうすぐ小羊の婚宴の席に連なることが許されているのよ。」父に向かっては「私は天国に行けるように望んでいます。私自身の中には信頼できるものは何もありません。汚れていて、価値がなく、自分自身で満足できるものは何もありません。でもキリスト様の御功績(いさおし)と義を私は唯一信頼しています。昨晩も私にはまるで天国が開かれたように見えましたよ。ステパノのように私のためにとりなしをしていてくださるイエス様を見たのです」私たちが全員でまわりを取り囲んでいた時、母は言いました。「子どもたち。あなたがたのうちにいる私ほど祝福された母親は少ないのよ。でもそれも神様の愛のあらわれだった。」)
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