ひとりの病人がある晩一人でしばらくの間、放置されていました。激しい痛みを多くの日々経験した後、小康状態になりました。「さあ」とその女性は思いました。「これから少し祈ることができる」と。けれども彼女は余りにも弱り過ぎており、この病気のために疲れ果てていました。実際に体験しなくては認識できない心と体の絶対的な弱さを感じていたのです。まさしく唇そのもののささやく力が衰えていたのです。あまりにも考える努力が要りすぎて、語られないことばを口にのぼせないように思われるのです。
一言のささやきを出すのが精一杯でした。「主イエス様、私は疲れました」。 彼女はもはや祈りませんでした。彼女は嘆願さえも口に言い表わすことができず、主に話しかけることができなかった時、主の方から話しかけられたのでした。
けれども、主イエス様はあらゆる安息をご存知でありました。主は彼女がどれだけ待って、主とのすばらしい心からの交わりを、すなわち、心の中にある全部のことを主に文字どおり話しかけ話すのを求めていたかをご存知でありました。それだけでなく、さらに主は、彼女が静かで比較的痛みのない時間がやってきたのに、たいへん疲れていて、考えることもできなくなっているということをご存知でした。
弱っている者に折にかなったことばをどのように話しかけるべきかを知っておられる主は、その小さなささやきに答えるメッセージをまことにやさしく選ばれました。「主の前に静まりなさい」その声は母が元気づけるために子になす「静けさ」のようにやって来たのです。御霊が与えられたことばはことごとく全く十分でありました。そして、静かに黙って従う心は完全な平和で満たされたのです。
ほんとうの友だちだけが沈黙を理解するのです。
私はあまりにも頑張るには弱過ぎます
休ませてください
甘美な従順の静けさのうちに
あなたの御胸のもとに
主イエス様 私はこの痛みを
あなたご自身の贈り物として
受け取ります
そしておののく讃美をとおして
今真実をおささげします
私は弱り果てて歌うことができません
けれどもあなたは聞いてくださいます
枕元ののささやきを
あなたはこんなにも身近におられるのですもの
The Autobiography of Maria Vernon Graham Havergall 第4章1846〜1848(7)
伯母に向かっては「私はよくあのところの文章を考えるのよ『娘よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。』(マタイ9:22)私もまた主の衣のふちにさわるだけで良いのよ。全部ゆるされているのだから。あなたは繰り返し歌ってくれる?『キリストのきよき御名を〈聖歌287番https://www.youtube.com/watch?v=NoPlwPUYWaw〉』」その時ヘンリーが「この罪と悲しみの世にあって」と復唱した。「そうよ、その賛美歌はいつも私を元気づけてくれたわ。ヘンリー、歌ってよ。お母さんも歌うから」
よく、私は他の人にうまく話すことができないことを嘆いたものですが、繰り返し歌う賛美歌が私の感情を表現するのにどれだけ役立ったことでしょう。
それから、母は歌って欲しい曲を選びました。「おお、シオンよ、私があなたを思う時http://www.hymnary.org/text/o_zion_when_i_think_on_thee」「おお、神よ、私たちの助けは過ぎにし昔もあなたから来る〈賛美歌88番〉」「みたみの住む地は〈聖歌643番〉」「私の空想は描くのに懸命だが、それは空しい〈ジョン・ニュートンの作詞http://www.hymntime.com/tch/htm/i/n/v/invainof.htm〉」「人々の喜びが飛び抜けて爆発するところhttp://www.christmysong.com/1339/index.html」そしてそれが私にとってふさわしい歌なのよと言いました。
※昨日、友夫妻の車に乗せていただいて、一人の方をお見舞いした。事情があって病床で賛美歌こそ歌うことはできなかったが、実質的に同じ交わりを主によって持たせていただいた。その上、その帰りにこれまた旧来の友を訪ね久方ぶりに、今度は三組の夫婦で交わりを持った。その折り、賛美歌が信仰に欠かせないものであることを改めて教えられた思いがした。上記の文章の引用でわかるように、フランシス・リドレー・ハヴァガルの家族は聖書と讃美歌で固く結ばれていたことがわかる。この病床の母とその子どもたちの交わりの次第は上記記載の5、6曲をとおして後世の、しかも異国の私たちも知ることができるのだ。探り得る限り英文歌詞を参考にその原曲にまで遡って調べたので大いに利用していただき、原曲名の訳など間違っているところがあれば教えていただきたい。)
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