2010年1月5日火曜日
謹賀新年
今年は新年第一日を長野県の御代田で迎えました。近くまで中仙道が入って来ているところです。滋賀の実家も、中仙道の街道沿いに位置しています。40年前に結婚したおり、新婚旅行の行き先地はなぜか信州にしました。けれどその時にはこうして中仙道の宿場小田井の近くで新年を迎えるなんて想像もしていませんでした。現在の地に縁ができたのはただ「福音」ゆえです。実は年末の次男の結婚式も御代田で行なわせていただきました。
さて、新年第一日は午前は6名の方が聖書からメッセージを取り次ぐ元旦集会が行なわれました。また午後は毎年恒例になっている「新春喜びのコンサート」が持たれました。また夜は夜でもう一度聖書のメッセージを聞く集会があり、そのあと洗礼式がありました。3名の方が洗礼の恵みにあずかられました。3名の方はそれぞれ日頃は接することのない方々ですが、いずれも既知の方で喜びをともにしました。
それらの各集会の中で、ここでは午後の喜びのコンサートのごく一部を紹介しておきます。コンサートですからバイオリン独奏、合唱、独唱など音楽の演奏が盛りだくさんあるのは当然ですが、その他聖書からのメッセージ、証しもなされました。
メッセージはイエス様のご人格7つが紹介されました。その一つに「わたしは、よみがえりです。いのちです。」(ヨハネ11・25)がありました。そしてお二人のお証がありました。そのうちのお一人は、つい一月前に42歳の御主人を亡くしたばかりの35歳の未亡人の方のものでした。まさしく上記の聖書のみことばどおりに御主人が主イエス様を信ずる信仰を通して天国で永遠に生きておられることを確信する証しでした。
小さなお子さんが二人遺されました。お子さん方もまた天国のお父様と会うことを楽しみにしておられるということでした。「私は今平安な思いに包まれています」とは人知を超えた「神の愛」を体験なさった方のお証しでした。その方が話を終え、壇を降りられた後、司会者の方はしばし涙され、静まり返った会場は主イエス様が与えて下さる永遠のいのちのすばらしさに浸ったことでした。
考えてみると、私の母もまた44歳の若さで亡くなっているのです。後に夫と一人子である私を遺して。その母はイエス様のよみがえりのいのちを知らないままで召されたのですが・・。(でも、私の今の確信は彼女が人知れず流した涙を必ず全知全能の主は受け入れて天国に入れてくださったという思いです。)
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。(2コリント7・10)
若くして未亡人になられた方も召された御主人も結婚当時イエス様をお知りではありませんでした。むしろ奥様は主イエス様の愛を退け、生みの家庭からも逃亡しておられたということです。その彼らが様々な人生の蹉跌の中で出会い、結婚に導かれ、育児の中で主イエス様の愛に立ち返られ救われなさったのです。一年前に不意に襲って来た御主人の癌発病も死も、辛い経験でしたが、主の愛から来ている故に耐えられたのであります。
イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」(ヨハネ13・7)
夜の最後の集会で司会をなさった方はこの感動を伝えて、神の御計画は生まれる前から、死の向こうまで、即ち天国まであることを教えられた、と言われました。私もまたこうしてこの地で新年を迎えたことも深い主の御計画のうちにあることを覚えました。「めでたさも 中くらいなり おらが春」(小林一茶)「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」」(一休)とは古人の(主のよみがえりを知らない方の)歌です。
最後に新年に与えられたみことばと駄句をご紹介します。
あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。(詩篇65・9、11)
「亡き母の 思い運び 中仙道」
「天国を 指し示しあぶら 豊かに」
(写真は元旦の御代田の朝です。生憎、曇り空でした。関東には雪がありませんが、山国信州は雪積もる新年でした。)
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