雨の中、家に引きこもっているのもどうかと思い傘をさし用足しに出る。昔ながらの狭い道を歩行者と車の運転者は仲良く共存しなければならぬ。唯一と言ってもよい四ツ辻には見上げて見なければ気づかず通り過ぎてしまう大鳥居がある。ふだん気にしない石碑が目についた。
みちばたに 多賀の鳥居の 寒さかな 尚白
と読めた。そう言えば、師匠の芭蕉の歌碑
おりおりに 伊吹を見ての 冬ごもり
も、途中の民家の店先に紫陽花の植え込みとともにあったのを思い出した。師弟二人が認めるほどここ湖東は青空より、どことなく曇り空がふさわしいのだと言い聞かせる。水墨画の世界である。もっとも芭蕉の句は大垣あたりで詠まれたのかもしれぬが。
減らず口を叩いていたら、昼近くになった。間もなく役場から、正午のサイレンが鳴るはずだ。地の底から聞こえるようでいて、今では昨今の後発の物質文明に押されるかのように小さく唸っているにすぎない存在になってしまった。
しかし、このサイレンも私には産室に次ぐ懐かしい世界である。先述の四つ辻には「これより多賀道三十(丁)」と記す石柱があった。
ここは近江は中仙道の、高宮の宿場である。
ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心のうちの真実を喜ばれます。(旧約聖書 詩篇51:5〜6)
0 件のコメント:
コメントを投稿