2014年7月28日月曜日

点と線(上)

年々体力は衰えて行く。今年はなぜかその思いが深い。昨年の今頃はほとんど週に二回ほど電車を乗り継いでは、遠く次男のお嫁さんのお見舞いに出かけていたのに、そのことが今となっては嘘のようだ。

そんな昨年の某日、そのお見舞いの帰りの武蔵野線の混雑する車中でSさんと乗り合わせた。Sさんとはかれこれ20数年間お互いに旧知の間柄であったが、お会いした時にご挨拶を交わす程度であった。ところがこの時はずっと西国分寺から南越谷までご一緒できた。どんな話をしたかはっきりとは覚えていないが、Sさんの人となりを受けとめることができ、確かなお互いの人格的触れ合いがあったように思う。

今年の6月ころからか、私自身の体の具合がよくなく、何度か地元の病院に通うことになった。徐々にあきらかになってきたことは「心房細動」が生じているということだった。様々な事情のもと、今は別の病院にかかり始めたが、その最初の病院の何回かの通院の際に、たまたま入院中のKさんを序でにお見舞いしようと赴いたおり、病室の談話室で話し込んでおられる方々の傍を通りかかった。

その場にSさんがおられた。そんなに親しく間近にSさんとお出会いしたのは武蔵野線以来のような気がするが、その場でSさんからご一緒におられる姪御さんご夫妻を紹介していただいた。その時、すごくSさんは姪御さんご夫妻のお見舞いを喜んでおられるご様子で、その上、私にも「母を見舞ってやってください」と快活におっしゃった。全く自然な流れのそのことばにSさんがいかにお母さんを大事にまた誇りにされているかを私は直感した。

これはいよいよお見舞いに行かねばと思った。お母さんが入院されていることを家内から知らされており、知人の方々が何回もお見舞いに行っておられることを聞いていたのに、自分からは行こうとはしていなかったからである。それから折りを見て三回ほどお見舞いした。

そのお母さんが先週の金曜日夕刻に89歳で召された。急の連絡を受けたのは食事中であったが、取るものも取りあえず、すぐ家内と二人で自転車で病室に赴いた。私は内心驚いていた。普段は病気をかこっており、我が身を愛(いと)しんでばかりいた自分がそこにいなかったからである。もはやそんなことにかまっておられない自分がいた。

急行した病室にはSさんの奥様がにわかなお義母様の急変を前にして、ご主人の病院への到着を今か今かと待っておられた。医師は息子さんであるSさんの到着を待って死亡診断をなさりたいようであった。待つこと30分ほどしてSさんが着かれ正式な診断がなされた。

当然の如くSさんご夫妻は次に葬儀をどうするかの問題に直面された。私たちはその場にいてご夫妻のご判断を傍でうかがうだけであった。私たちはお母さんのお見舞いを通して、みことばを読んで差し上げ、お祈りしてお母様がお喜びになったのを知っているので、天国に凱旋なさったことを確信していた。でもSさんにはその確信はなかった。奥様をとおしてイエス様のご存在を知ってはおられるが、日頃から科学の世界に生きておられるSさんにとっては今一つ確信がなかった。無宗教の葬儀には大賛成であったが、具体的にどうするかは中々決まらなかった。そうこうするうちに葬儀社の方が来られ、お母様の死を悼む余地なくことは進めれて行きそうであった。

かれこれする内に急を聞いて駆けつけたお孫さんがあらわれた。偶然だが、お孫さんは私が今度行くことになった病院の看護師さんでもあった。それだけではない。20数年前は私が幼い彼女に教会学校で聖書を読んだり賛美したり遊んであげたお子さんであった。見違えるばかりに成人した彼女のテキパキとしたアドバイスに、葬儀の次第で頭を痛ませていたSさんご夫妻も私たちもどれだけ力づけられたかわからない。

いよいよ病院から葬儀社の車にご遺体が搬送されるのを見送って、私たちは葬儀のことを主におゆだねして家に帰って来た。その後一時間ほどして夜中、奥様から日曜日に火葬し、四時から一時間程度のお別れ会をするようにしましたとの連絡を受けた。お母様が召されて、5、6時間のうちにすべては決定された。

「点と線」と思わず銘打たせていただいたが、主イエス様のご愛は網の目のように、私たちの思いを越えていつも張り巡らされている。明日はそのお別れ会の様子を描写したい。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)

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