2014年7月29日火曜日

点と線(下)

お母さんはヒマワリが好きでした。
年々気候の変動ははげしく、今年の夏の暑さは一段と厳しい。知人によると英語ではsweltering, scorching heat と表現するそうだ。体力のない人々にとって受難の季節にちがいない。Sさんのお母さんも6月の下旬には肺炎のため一時危篤状態に陥られた。その後、不思議と持ち直され、ここ数日はリハビリが視野に入るほど元気になられたが、先週の金曜日急に召されたのだ。その日のわずか二三時間前には姪御さんのお見舞いを受け、親しく話されていたというのに・・・。

日曜日のお別れ会を前に実施された火葬の待ち時間にこの方とSさんの妹さんとたまたま席が同じになったのでお話しできた。姪御さんには、召された方の三、四歳年上のお姉さんにあたるお母さんが今なお札幌にご健在である。母方のいとこであるSさん、妹さんとは北海道時代の幼いときから緊密な交りがあり、特に叔母さまが長男であるSさん家族のもとに身を寄せられてからは、ご自身も近くに住んでおられたので、「おばさん、おばさん」と慕っておられたようだ。それだけにその想い出が尽きず、楽しかった過去の想い出が一挙にわき上がるかのようだった。傍に座っておられた妹さんは母親の死の悲しみの中に佇んでおられたが、その方のひとつひとつの話に相づちを打たれていた。

葬儀を通して私はこうしたご遺族の方の悲しみの真近に接する機会が多く、いつも様々なことを学ばせていただく。それは一人の方、召される方の存在の大きさと言うことに尽きる。そして突然の「死」というものを通してたぐりよせられることになる、肉親同士が互いに日頃から愛し合うことのありがたさを改めて実感する素晴らしさである。

それだけに葬儀がどうあるかは大切な問題である。昨日も書いたように喪主であるSさんは無宗教の葬儀には大賛成であった。自分の時もそうして欲しいと言われたぐらいだ。問題はその中味である。お別れ会の司会は葬儀社でなく、私たちにゆだねられた。金曜日の深夜ではあったが、私はYさんに早速この旨お話し、メッセージのために祈っていただきたいとお願いした。仕事の関係で今は東京暮らしが多くなってしまったが、YさんはもともとSさんご一家とは家も近く、Sさんのことをいつも覚えて祈っておられ、お互いに勝手知ったる間柄で、メッセンジャーとしてもっともふさわしいのではないかと思ったからである。

Yさんご夫妻は前回の危篤のおり、お母さんを見舞われたが、私も同行させていただいていた。その折り、Sさんにお会いして万一葬儀が生じた場合のことをあらかじめお話したいと思われたが、たまたま小康状態に入られたため中座されたSさんとは病室でお会いできなかったが、病院を出た車の中で、向こうから病院に帰って来られたSさんの車と遭遇された。そのまま引きかえす方法もあったが、私たちはそうはしなかった。そして突然訪れたお母様の死を目前にして葬儀をどうするかSさんご夫妻が下された決断は、まず火葬をし、そのあとキリスト集会でお別れ会をしていただきたいという要請であった。

決して聖書そのものを否定されているわけではないが、ご自身確信をもっておられないので、無宗教と言っても聖書の中心であるイエス様はやはり宗教の対象ではないかというのが恐らくSさんの素朴な疑問ではなかったのではないか。お別れ会の席上、Sさんを初めとして聖書に馴染んでおられない方々に口ずから神のことばを紹介する恵みにあずかられたYさんはおよそ次のような趣旨の話をしてくださった。

罪人に過ぎない私たちを神さまはどれほど愛してくださっているか、その証拠は御子イエス様の十字架の血に代えて愛してくださった尊さにある。そのイエス様がもっとも憎まれ、悲しまれたのは己を義とする宗教家であった。イエス様は無宗教である。そのイエス様を信ずる者にご自身のよみがえりのいのち、永遠のいのちを与えてくださる。その御子を信じて就眠されたお母様は天の御国で私たちを待っていてくださる。今別れることは悲しいが、私たちには必ず再会できると言う慰めが与えられているので悲しむ必要はないと言う内容だった。

メッセージの前後で皆さんとともに「心を主イエスに注ぎ出すとき」「恵みはやさしく降り注いで」を賛美し、バッハの「ただ愛する神のみにゆだねる者は」というオルガンの独奏あり、また「生きることの悩みも」「水晶よりも光る、いのちの水の」という二曲の独唱があり、最後Sさんがお礼の挨拶を述べられ、キリスト集会に参加される方の祈りで閉じた一時間弱のお別れ会になった。

この日は日曜日とあって、礼拝・福音集会を終えての更なる午後の集いになり、場所も異なったが、ご遺族以外に大勢の主にある友が集まられ、お別れ会を内側から支えてくださった。会場は小ホールを借りられ、50名が定員と言うことであったが、お別れ会が始まるころは椅子が足りず、葬儀社の方々はあわてて椅子を持ち込んでくださったほどになった。

今振り返る時に、私にはお母さんの「死」とその「お別れ会」にいたる経過は、多くの点が神さまのあわれみにより結び合わされ、一本の線になったように、一つ一つの行程を主が用意してくださったとしか思えてならない。それは私の独りよがりの思いに過ぎないのだろうか。 私は今下記のみことばに目を留めている。

あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。(詩篇65・11)

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