27日当地で行われた別の方の葬儀で喪主からいただいたお花 |
火葬を待つ間、私は彼女の次兄に当たる方とたまたま隣席になった。私は前回の記事の内容をその方にお話した。その方は葬儀で初めて妹がキリスト者であることを知ったと言われた。兄弟も多く六つも歳が離れておられたからそれもやむを得ないことかも知れない。ところが、その方が私のいとこ※と中学・高校が同じであることを知って互いに驚き合った。その上、今も親交のある間柄であることが話の端々から窺い知れた。
その奇遇さに驚いたが、彼女からはそのお兄さんの存在は一度も伺ったことはなく、微かに家内が、お兄さんの中で一人だけ過去に教会に行っていた人がいるという話を聞かされていた程度であったが、どんなお兄さんでどこにお住まいの方かも私たちには知らされていなかった。私たちは地団駄踏んで悔しがった。でもこれも彼女がイエス様にあって私たちに遺して行ってくれた真実のような気がし、過去を振り返るのでなく、召されて行った彼女と同じように将来のこと、主イエス様と皆でお会いする日を待ち望むようにと彼女が語っているように思い、胸は新たな喜びで満たされ始めた。
帰って来てその方が書かれた御本を読んだ。それは『世界が友達(定年からの海外留学)』(朝日新聞社2005年刊行)という本である。前回、私は彼女のことを天女のようだと書いたが、お兄さんもまたざっくばらんな、何ごとも包み隠しなく話されるお方だったが、この本を読んでなお一層お兄様の人柄に接し、彼女が私たちの間で示してくれたあの印象深い有り様の共通点をより深く知る思いだった。
そして、この本にも短いが、しかし痛切な叫びが記されていることに心を打たれずにはおれなかった。こんな件(くだり)の文章だ。
長男の昌介が精神病院に入院したのは、高校に入学して間もなくのこと。函館の病院だった。その後、妻が主治医に相談して、1986(昭和61)年12月、児童部のある札幌のS病院に転院した。
札幌の病院に昌介を預けての帰り道、閉鎖病棟の鍵がガチャンと掛かったとき、病棟の中から「お母さん! お母さーん!」と叫ぶ昌介の声がした・・・と妻がたどたどしく話し始めた。暗く重い口調だった。話を聞きながら私は、言いようもなく悲しく情けなくて、地獄に落ちるとはこういう気分か、と思った。あのときの絶望感は今も忘れられない。(同書196頁「閉鎖病棟の恐怖」より引用)
このような心の痛みを経験されているお方が、召された彼女のお兄さんであった。彼女はもちろんお兄さんのこの苦しみを知っていたことだろう。それだけでなく、彼女自身の苦しみ悩みも一部を私は彦根で車に乗せてもらった中でもお聞きしたが、更に内面的に様々な自己矛盾を感じ悩んでいたことを私たちは死後、葬儀の席上で他の方から知らされた。彼女はそれらを封印して、ただ全てをご存知であるイエス様を信じて召されて行ったのだと改めて思わざるを得ない。
それにしても家族の救いは主の約束なのだと思いを新たにした。果たせるかな、スポルジョンの今週の日曜日の「朝ごとに」のことばは次の引用聖句であった。
"The church in thy house." Philemon2
あなたの家にある教会 ピレモン2
彼は問うている。
Is there a Church in this house? Are parents,children,friends,servants,all members of it? or are some still unconverted? Let us pause here and let the question go roundーAm I a member of the Church in this house?
(※このいとこのことは以前書いたことがある。http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2011/08/blog-post.html)
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