2015年11月4日水曜日

召された友のこと(尊い一語)(下)

「待望」H.H作

 ところで、召された友は、家内の高校・短大の同級生でごく親しかった。そして彼女のご主人は学科こそ違うが同じ短大で、ともに美術部の仲間で、互いに相見知っている間柄であった。だから家内はご主人と50年ぶりに会っても違和感はなく、ご主人も普段から奥さんを通して家内のことも聞かされていたであろうから、懐かしい再会であったに違いない。こんなことなら、ご主人ともっと早く会っていれば良かったと、家内は言ったがこれも後の祭りである。でも、このようにかけがえのない方を失った悲しみを共有し、主イエス様の復活にあずかる希望を持つことで、これからは私も加わっての新たなご主人と私たちとの関係が始まったと言えなくもない。

 朝早く、当地を出たが、火葬も終え、米原駅に向かった時にはすっかり日も暮れ始めていた。新幹線の中で、二人してひとしきり故人の思い出を語り合おうと思っていた。ところが、駅頭で椿事が発生した。自由席の列で待ち、すでに10人近い人が私たちのあとに並んでいたが、列の前を急いで歩いてくる私より背の高い人がいた。見覚えのある顔だった。高校二年の時に一緒のクラスになったことのあるIk君であった。思わず声をかけた。こちらの呼びかけにびっくりして、「よーく、見つけてくれたね」と言いながら、「オーイ、同級生がいるからこっちへ」と先にすたこら歩いていた奥さんを呼び戻された。

 私たち夫妻は先頭に並んでいたからいいものの、彼らは他の列車に乗ろうと移動していたのを私が呼び止めた形になり、おまけに懐かしさのあまり、並んでいる他の方には申し訳なかったが会った勢いに任せて四人で一団となって新幹線に乗り込んだ。その上、最初こそ通路を挟んで三人席と二人席に四人が並んで話し合っていたが、まわりの方の迷惑になるので、そのうち主人は主人同士、奥さんは奥さん同士で話し合えるように席を移動した。

 話し合うと言ってもIk君と私は高校時代、席が氏名の関係で端と端同士であったのでほとんど話したことはなかった。実質的にはこの時が初めての話しになったのではないか。まして家内同士は全くの初対面であった。ところが東京駅で別れる際には奥様が「またお会いしたいです。」と言われた。だから私たちが二時間余互いに話が弾んだことは言うまでもない。しかも彼らも実は葬儀の帰り道だった。私たちは日帰りの往復で喪服だから一見してそれとわかるが、彼らは平服に着替えていたので気づかなかったが、お聞きすると奥様のお母様が94歳で亡くなられ、やはりその葬儀の帰り道だと言われた。

 家内同士は「死」の問題、「介護」の問題を話し合ったようだ。私たち主人の方は高校卒業以来の互いの歩みを語り合うことになり、畢竟、私がなぜイエス様を信ずるに至ったのか詳しい説明を求められる羽目になってしまった。私はこれまで青春18切符の愛用者で、車内で初見の方と会い親しくなることはあったが、同級生に会うことはなかった。ところが今年は新幹線に乗る機会が増え、どういうわけかこれで今年三度目の同級生との出会いを経験している。これはどういうことなのだろうと思う。

 それやこれやで先週は日曜日から土曜日まで一日として落ち着いた日が過ごせなかった。途中の金曜日には家庭を開放させていただいてたくさんの方が集まられた集会もあった。でも、すべて恵みの日々であった。ところが幕締めの土曜日にとんでもないアクシデントに見舞われた。それは町田喜びの集いに日帰りで参加し、帰り電車は小田急多摩センターを8時半過ぎに出たのだが、家に着いたのは何と明くる日、日曜日の朝4時半であった。途中先行する電車と車の衝突の事故があったようで、各電車とも動かなくなってしまい、事故現場での復旧が捗らず大幅に時間を喰ったわけである。とんだ災難であった。気の短い私は情報が十分伝わらないもどかしさに、何度も車掌にかけあって「どうしているんだ」と言いたくなり、とうとう我慢できず、詰問に出かけた。家内は家内で「日本人はどうしてこう忍耐強いのだろうか」と半分あきらめ切っていた。

 たくさんの人を巻き込んだ騒動であったが、私の信頼する東京新聞も地方版の片隅に翌朝ほんの少し申し訳程度に掲載しただけであった。当日は日本はあげて私にとっては何が何だかわけのわからないハロウィーンに人々が血眼になっていたからであろう。ただ「警察は事故か自殺か慎重に捜査している」と記されていた。改めて人身事故であることを知るに及んで複雑な思いに捕われざるを得なかった。一人の人間の命がかかっての大混乱であったからである。

 ほとんど寝不足で臨んだ日曜日の礼拝であったが、礼拝の後、一人の方が小さい時自立を危ぶまれたご自分の息子さんが 、今日も一人で町田の集いに泊りがけで出かけていることを感謝の思いで報告し、ある時、御代田の会堂に虻が入ってきたが、「虻もイエス様の許しなしに刺せません」と言い、人々を安心させたその信仰にいつも自分たちは親だけれども脱帽していることを喜んで紹介された。その途端私も了解した。恵み多い一週間の歩みにもかかわらず、昨晩から今朝にかけて経験した出来事はいったいどういう意味があるのだろうかと考えていたが、このこともやはりイエス様の許しのもとで起きたのだ、と。そもそも主イエス様のご支配なしに人に何が出来るのだろうか。

 召された友はこのこともまた私たちに問いかけて召されたに違いない。もう一度彼女の言葉を記しておきたい。

 遅かったけど、私は生きたイエス様に会った

人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。(箴言20・24)

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