2019年10月9日水曜日

読書日記(上)

「もの思い」(谷口幸三郎作)
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。(マタイ6:26〜27)

 今年の夏は昨年に増して暑かった。来年の夏のことを思うとぞっとする。しかしこんなことを書くのも健康に恵まれているからだろう。今病床で死を前にして苦しんでいる人には何の慰めにもならない言い草だ。

 この夏、ブログが更新できなかったのはその暑さのせいもあるが、もう一方で、何人かの方々の著作を読み、個人的には様々な境涯にあり、そのことを考え続けたからである。個人的なことは語れないが、読んだ著作のことなら語れる。その始めとなったのが、図書館で目にした『群像』9月号の高橋源一郎の「彼は私に人が死ぬということがどういうことであるかを教えてくれた」という長い題名を持つ論考であった。その末尾に彼はこの追悼文の相手である加藤典洋氏の手になる著作『人類が永遠に続くのでないとしたら』のあとがきの文章を次のように紹介していた。

「この本を書くなかで、私の環境にも変化があった。それは、息子の加藤良が昨年2013年の1月14日、不慮の事故で死んだことである。享年35歳。このことで、私は突然、この世に自分がひとり、取り残されたと感じた。
 彼は私に人が死ぬということがどういうことであるかを教えてくれた。
 それは人が生きるとはどういうことか、ということでもある。彼の死がその後は、私が右のことを考え続けるもう一つの理由になった。この本に、彼の存在の影がいささかなりとさしていることを、遺された者の一人として願っている」

 加藤典洋氏の存在を知っていたが、それ以上は知らなかった。しかし、この一文がきっかけとなり、能う限り彼の本を次々読んでいった。戦後の日本社会の歩みを理解していたつもりの自分にとって刺激の多い諸著作であった。と同時に東京新聞夕刊の「この道」の連載記事は加藤登紀子氏から西村京太郎に移っていった。そして推理小説の書き手であるとしか知らなかった西村京太郎氏の叙述を通して具体的な戦前から戦後への人心の変化を知るように変えられていった。

 そんなおりさらに図書館で『富士日記』(武田百合子著)に出会った。この本は戦後というより、高度成長時代も終わり翳りを見せる、しかし安定期に差し掛かっている時代の中で作家として円熟期にあり、それゆえ経済的に恵まれ、富士山麓に山荘を持つ武田泰淳夫妻の妻側から見た毎日の出来事が淡々と書かれている作品である。そこには生きた人間が次々彼女の筆をとおして読み手である私に伝わってきて手放すことのできない本になってしまい、今だに下巻を読んでいる始末だ。

 昭和39年から昭和41年の長い日記(上巻)の中に、一箇所、富士山の夕日であっただろうか、それを目にして思わず、創造主に対する畏敬の念が吐露されているところがあるのをみてびっくりした。それは百合子が聖書に接している不思議さを感じた瞬間であった。そして中巻に入って、百合子が愛犬の死に自らの罪責感で泣き暮らす様子が描かれ、それは年単位でその悲しみがあらわされるほどの悲しみようであり、私にとって作者の愛の心を逆に推し量るものとなった。

 その中巻の303頁、昭和43年5月22日の記事に次のような文章があった。

 私がまだ起きないうちの出来事。〈便所にいると、上の松の根元あたりで、がさがさ大きな音がする。大きな鳥でもきているのかと窓から覗くと、黒っぽい兎とイタチが死に物狂いで格闘していて、兎は噛まれたらしい。兎とイタチはもつれるように下の方へ走ってゆき、また兎だけ石段をよたよたと戻って上っていった。年とった兎らしかった〉と主人は話した。
 野の鳥獣は楽ではないねえ。獣は病気をしても看病してももらうこともなく、私は病気になりましたと発表することもなく、じっと死んでゆく。年とっても一人でじっと年をとるだけだ。病気をしたり、年寄りだったりすれば、歩いているだけで、すぐ襲いかかられる。噛み殺されるか。穴の中で動けなくなって死んでゆく。エス様は「空の鳥を見よ」とおっしゃるが。

 ここにもエス様と様づけで呼ばれているという発見であった。ひとり娘花子さんを立教女学院に進学させているようだから、決して福音に接していなかったとは言い難い人であったことが想像される。もっとも人は福音を聞くこと以上に福音を受け入れることが大切なのだが・・・

(今日の図柄は、この前、9/20~10.2まで京都で開催された畏友谷口幸三郎氏の個展の案内葉書を採用させていただいた。この幸三郎氏もつい二、三年前、立教女学院で大切な仕事をしておられた。)

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