2024年6月25日火曜日

俳句の妙味


 ブログを見てくださった方から、「私の近くの田んぼには、白鷺や青鷺がいっぱいいますよ」と知らせてくださいました。そう言えば、白鷺を最近見かけないと思っていた矢先、例の田んぼに珍しく白鷺が一羽いました。白鷺のことだから結構獲物があるのだろうと思って、さらに目を凝らしていたら、何と又しても、私の目と鼻の先に鴨家族がいました(下段参照)。しかも九羽でなく、しっかり十羽いました。一羽の欠けもなく。実に素晴らしいことです。そして親子で互いに水浴びを楽しんでいるのです。微笑(ほほえ)ましいと言ったらありゃしないと、何だかこちらの心まで豊かにさせられました。

 さて、そんな出だしの今日の散歩道でしたが、いつものように、雀、カラス、燕、椋鳥、鳩やオオヨシキリの面々が出迎えて、それぞれの姿、声で楽しませてくれるのですが、今回初めて、古利根川縁の与謝蕪村の句碑に目が止まりました。

 「夕風や 水青鷺の 脛(はぎ)をうつ」

 何と素晴らしい情感じゃないでしょうか。今までもこの俳句は横目で見ながらも、見遣っておりました。冒頭の方の「青鷺」言及や、目の前に見た「白鷺」があって、私に初めてこの俳句の心が伝わってきた感じです。今回思わず鴨に入れ込みましたが、秋から冬にかけていつも鑑賞の一翼にあるのは「鴨」だけでなく「鷺」もそうでした。だから蕪村の句碑はこれまでも、心に刻まれていいはずでした。なぜ、そうなったのか、自分なりに考えてみました。それは一重に私は「水青鷺」という種類の青鷺を蕪村が詠んだとばかり思っていて、何の感興も催さなかったのです。

 ところが、今回、「夕風」と流れる「川水」が「青鷺」の「脛」を「うつ」と読めたのです。今は「梅雨期」、しかも蒸し暑い「盛夏」を経験している私にとり、夏を越え、一挙に秋の涼風と冬を覚えさせる厳しい寒さまでも思い出させる俳句となったのです。俳句という五七五短詩形に自然がしっかり読み込まれているのですね。俳句の妙味と思わざるを得ません。

 聖書のことばも凡庸に日を過ごしていた時にはわからないでいたことばがにわかに真実となって迫ってくる時があるものです。次のみことばは『九人の子ども』の「大きくなったら」(90頁)という題名で長男のジョンが大きくなったら、「サクリョク家」になりたいと言ってきたときに、さらによく聞いてみると、「作曲家」になりたいということだったと母親であるドリス・オルドリッチが明かし、ジョンが将来、自分の歩む道を主が与えてくださる「いのちの道」を尋ね求める者となってくれたらなーと引用していたみことばです。

あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。(旧約聖書 詩篇16篇11節)

このみことばは信仰者の諸先輩が頼りにしているみことばの一つであることは私も知っていましたが、イエスさまが開いてくださった「いのちの道」に私はそれほど目を向けていませんでした。今回『九人の子ども』を読みながら「いのちの道」を改めて子どもたちの素直な目線で体験させていただきました。何度その前を通っても、蕪村の俳句をやり過ごしていたように、このような聖書の詩篇のみことばも、すんでのところで私にとって死んだことばになるところでした。

 下の写真は白鷺のいる同じ田んぼの一角です。ここでは奥に母鴨、手前に三羽の子鴨しか見えていませんが、他に七羽の子鴨がはしゃいていました。


2024年6月23日日曜日

『九人の子ども』より(下)

梅雨入りへ 九羽の鴨 飛沫上ぐ
いよいよ関東は梅雨入りですね。昨日、朝見た時にはいなかった鴨の子どもたちが気になって、用事(兄弟たちとの祈り会)を済ませて、もう一度例の田んぼに出かけたところ、何と親鴨が一羽ポツンといるではありませんか。「どうしたの、一人でいて」と声をかけ、ふっと我が足元(側溝脇)を見ると何と子鴨がうじゃうじゃいるではありませんか。慌てて自転車を道端の側溝上に止め、カバンからiPhoneを取り出し、これはシャッターチャンスとばかりバシャバシャと撮ったつもりでいました。

そのうち、バシャンと大きな音を立てて、我が自転車が、前カゴに乗せていたカバンもろともざんぶとばかり田んぼに倒れ込んでしまいました。その音に驚いて子鴨たちは一斉に右の方(親鴨の方)に逃げて行きました。こちらはもはや、鴨どころでなく、田んぼに放り出された自転車とカバンを引き上げるのに精一杯でした。そしてその後始末たるや大変でした。おかげでカバンに入れていた聖書、聖歌集、ノート、iPadなど大切なものが大なり小なり水浸しになったからです。

ハンドルはもちろんのこと自転車全体がどろんこになって、帰るに帰れず、携帯で家内を呼び、協力を得、何とか収めることができました。辛うじてこの写真が最後の一枚として残りました。私としては損害は大きかったですが、子鴨は十羽の鴨だったのに一羽足りず、九羽の子鴨になっていましたが、子鴨の成長をこの目で確かめ得たのだから大満足であります。まるで『九人の子ども』に合わせるかのように『九羽の子鴨』の出現の出来事ではありませんか。

さて、今日の『九人の子ども』のお話の題名は「ある朝」です(同書99〜103頁より引用)。長い文章でお読みなさるには忍耐がいるとは思いますが、九人の子どもを持つ母親が、忙しさの中で忘れていた、主イエスさまのくださる平安・愛をいかにして取り戻したのか、私たちも味わいたいものだと思わされます。

 お母さんが靴のひもをぐっと引っぱると、ひもは切れてしまいました。そのとき、お母さんは急に何もかもいやになってしまいました。このはき古したベキーの靴、階段の上のゴミのかたまり、果てしない皿洗い、毎日毎日の洗たく物、どうしていいかわからない気持ちです。みんなが一度にだれかを待っているのです。
 「あんまりだわ。」お母さんの目に、思わず怒りの涙がこみ上げてきました。「よその子は、こんな古い茶色の靴じゃなくて、きれいな色の新しい流行の靴をはいて日曜学校に行くのに。ベキーにもあんな靴をはかせてやりたいわ。」
 「それに、よその家は、いつももっときれいにしているのに。お昼を食べに行ったり、会合に出たり、買物に行ったり・・・。」お母さんは、自分の家の毎日毎日の生活を思い浮かべながら、胸の中でこんなことを考えていました。
 それからあわてて朝食のしたくにかかりました。そしていつものように適当に料理をして、ガス台と食器戸だなと流しの間をグルグル歩き回って、台所とテーブルとの間を行ったり来たりしました。
 お母さんはこのとき、目の見えないロバの話を思い出しました。そのロバは、毎日毎日グルグルと行ったり来たりして、大きな寺院を造る石を運んでいたのです。時がたって、人々はその堂々とした大きな建物に驚嘆しましたが、その石をひとつずつ運んで積み上げていったロバのことを覚えてくれた人は一人もありませんでした。
 しかし、この話は、お母さんを少しも慰めてくれませんでした。「私はロバになりたくないわ」と、元気なくお母さんはつぶやきました。「たった一度でいいから、一日中、散らからない日がほしいわ。」
 テーブルの準備ができました。じゃがいもが湯気をたてています。パンも焼けて、うるさい連中を待っています。コーヒーもできたようです。お母さんは、子供たちを呼びました。
 「日曜学校で教えたり、一つのグループを指導したり、何かそんなことをしてみたい。」そんなことを考えていると、アイロンをかけなければならないワイシャツのことを思い出しました。それから「修理品」の札のついたボール箱のことも、思い出しました。その箱の中身は、多くなっても、決して少なくなることはありません。あっちにもこっちにも、しなければならない仕事が山のようにあるのです。
 「どんな人でも『荒野の体験』をするのだわ」と言いながら、お母さんはモーセのことを思いました。「いつか、あなたは自由になりますよ・・・・きっと自由すぎるくらい自由に。」「それはそうでしょうけれど・・・」とお母さんは、ますますいらいらしています。「だけど、年がら年中、砂漠の中にばかりいたら、いやになってしまいます。」
 「きれいなワイシャツあるかい?」お父さんが呼んでいます。
 「目の前にあるじゃないの。ほら、いすの背中にかかってるわ。」
 男の人って、どうしてこう捜すのがへたなんだろうと思いながら、お母さんが答えました。
 それから下に駆けおりて行って、九枚のお皿にじゃがいもを分けました。ミルクのびんが温まったので、ジェーンが、泣きわめいているタディーのところに持って行きました。
 「ほかの女の人は、毎日曜日にバイブルクラスに出られるのに・・・・」と、お母さんは思いました。「ほらジョン、もっとよく靴ずみをつけて磨きなさい。ジョーはどこへ行ったの? どうしてジョーは靴を磨かないの? べキー、アネットとそこにいたらじゃまよ、どいてちょうだい。お母さんは忙しいのよ。」
 お母さんは、柔らかな髪のタディーが、小さな頭をすり寄せてくるところや、四人のチビさんのお風呂に入った時のかわいらしかったことなど、頭の中から押しのけようとしました。
 「確かに、あの子たちはかわいいわ。それはわかります。でも、この疲れや、いつも追いかけられるような気持ちはいやだわ。」
 それからみんな朝食の席に着きました。お父さんは、聖書を開いて、マリヤがキリストを愛するあまり、高価な香油を惜しげもなく主に注いだ所(ヨハネ12:3)を読みました。香油は、マリヤの持っているいちばんたいせつな宝だったのです。けれどもマリヤは主に感謝し、心から主を愛していました。
 お母さんの心にこもっていた怒りの気持ちは、いつのまにか消えてしまいました。疲れも無くなってしまいました。主は私を愛してくださるのだ、主は私を理解してくださるのだ、という思いが心の中にわいてきて、耐えられないほどに迫ってきました。お母さんは、「どうしたの?」と子供たちに聞かれるのを恐れて、目をつぶってあふれそうになる涙を押さえました。
 「主の愛のために・・・主の愛のために・・・」と、心の中でくり返しました。すると、ロバは栄光に輝き、砂漠は甘いにおいの花畑になったような気がしてきました。

マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。(新約聖書 ヨハネの福音書12章3節)

以下は「我田引水」的な変な説明で恐縮ですが、私は一枚の写真を撮るために、自転車、カバンもろともに田んぼに投げ出され、少なからざる損失を受けました。しかし全損失ではありませんでした。代用品があるからです。それよりもかえって一枚の写真を撮れた喜びに満たされています。

一方、上掲のマリヤはイエスさまを愛するあまり、自ら持てる宝もの、香油を全部無駄にしたのです。明かに全損失です。代用品はありません。しかし彼女の、全損失を顧みないで自発的にささげる心はますますイエスさまを愛する思いで満たされたのではないでしょうか。

何よりも『九人の子ども』を抱え悪戦苦闘をしていた著者ドリス・オルドリッチの心に、上掲のマリヤの思いはストンと落ちたのではないでしょうか。このような話に満ちている、子どもを見る目、また己を見る目には、もっともっとたくさん教えられるところがありますが、今回は五十六話のうちのわずか三話だけの紹介となりました。また機会があればご紹介したいです。

2024年6月22日土曜日

『九人の子ども』より(中)


今日の写真は、悠々とヨット風カヌー(?)に乗って川下りを楽しんでいる三隻をキャッチしました(一隻は画面の左上、橋の下にその黄緑の帆が辛うじて写っているのですが・・・)。江戸期には、さぞかし米や酒などを満載した船が上り降りしていたのでしょうね。しかし今や水運は衰え、川を跨ぐ橋の上を走る道路を利用したトラック輸送が幅を利かせています。そんな時代への一プロテストとしてでしょうか。余暇を楽しむお三方のようです。

さて、とっくに巣立ったと思っていた鴨親子は昨日雨天のもと、田んぼを尋ねてみたらいました。さぞかし、今日は綺麗な姿でその成長ぶりを見られると思い、期待して近寄りましたが、またしてもお留守でした。一体どこに行っているのでしょうか。参考までに昨日、雨中で撮影した写真を左に載せました。興味のある方は、拡大してご覧になってください。十羽は確認できませんでしたが、四、五羽は健在のようです。子育てとはまことに難しいものなんですね。

さて、こちら十羽ならぬ、『九人の子ども』の著者は果たしてどんな人でしょうか。ドリス・オルドリッチというのがその名前で、訳者の紹介によると、以前やはりこのブログでも紹介したことのあるイゾベル・クーン(※)のために、その当時高校生であった彼女が、他の二人の仲間と一緒にとりなしの祈りをささげていたということです。(※https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/02/blog-post_18.html )

原題名は『Life out of the Mixing Bowl』で、直訳するなら、『混ぜ鉢からなるいのち』とも『こね鉢からなる生活』とでも訳せるでしょうが、家事に育児に忙しかった著者の様子がそのまま伝わってくる題名です。しかし、訳者は直裁に『九人の子ども』として邦訳版を出されたようです。賢明なわかりやすい題名ですね。

五十六の話を通してお子さんがどんなお子さんだったか、想像しながら楽しく読むことができますし、何しろ子どもの心をもって、「こね鉢」とも「混ぜ鉢」とも称される家庭の大変さの中で、どのようにしてイエスさまが子どもたちの経験となって行ったのかを知ることのできる貴重な証です。本日のテーマは「門をたたく」です(同書96〜98頁から引用、文中登場しますのはアネット、バージニア、ティミーという三歳前後の女の子(?)とべキーという名前の子です)。

 ふたごとアネットが、小さなテーブルの上にのって、熱心に天国のことについて話していました。お母さんは、お父さんのワイシャツにアイロンをかけながら、この子たちが何を言うのか聞いていました。
 「そしてね、天国って、ここよりもきれいなのよ」とバージニアは、腕をふり回して、部屋のちらかった所を指さしながら言いました。
 お母さんは、これからたたんでしまわなければならない衣類の山や、ベタベタした汚れのついたベキーのいすや、テーブルの上に残っている朝食のお皿などをながめて、「そうだといいわ」とつぶやきました。
 アネットは、大きな茶色のひとみを丸くして、三歳の子らしい、いきいきとした表情で言いました。「そして、天国に行ったら、ご門をたたくのよ。そしたらイエスさまが『こんにちは、どなたですか』って言って、ご門をあけてくれるのよ。それから『お名まえは?』って聞いて、『さあ、お入りなさい』って言うわ。それでみんな入って、きれいなものをいっぱい見るのよ。」
 ティミーとバージニアは、頭をふって賛成の意を表しました。そのようにして、子供たちは話し続けています。けれども、お母さんは、ちょっと手を止めて考えました。いいえ、私たちが、門をたたくのではありません。なぜなら、主は次のようにおっしゃったからです。
 「見よ、わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示録3:20)。主が私たちの心の扉をたたいていらっしゃるのです。そして、今、自分の心の戸をあけて主をお受けした人のために、主は、天国の門を広くあけてくださるのです。
 そして主は、「こんにちは、どなたですか」とはおっしゃらないでしょう。なぜなら、キリストを救い主として受け入れた人はだれでも、天国で閉ざされた門の前に立つことはないからです。
 また「お名まえは?」ともおっしゃらないでしょう、なぜなら、「主はご自分に属する者を知っておられる」(2テモテ2:19)と書いてありますし、また、その人たちの名まえは「いのちの書」に書かれてあるからです(黙示録13:8)。
 天のお父さまのみもとに行く道であり、救いと天国に至る門であられる主ご自身が、私たちのために備えてくださった場所に立って、一人一人をやさしく迎えてくださるでしょう。

「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。(新約聖書 マルコの福音書10章15〜16節)

2024年6月21日金曜日

『九人の子ども』より(上)


『九人の子ども』という本を知ったのは、もう随分昔のことです。家の本棚にありましたが、(家内は読んだのでしょうが・・・)私が読まないうちにいつの間にか姿を消してしまいました。その後、今から10年ほど前に、古本で見つけ、再度購入しました。ところが相変わらず、私にはその本に手を伸ばそうとする気が起こりませんでした。その私に食指が動いたのは、実に今回の「十羽の子鴨」の存在でした。十羽の子鴨が母鴨によって大事に育てられていく過程を見るにつけ、その神秘さに目が開かれると同時に、「あっ、そうだ! 『九人の子ども』という題名の本があったっけ、人間はどのようにして一人の母親が九人もの子どもを育て上げられたのだろうか?」と考えたからです。

そしてこの本を今週初めてひもときました。読んでみて、今の私にぴったりの本でした。そしてこの本に接する前に、木内昇さんの『かたばみ』を読んだこともタイムリーでした。薄々感じていたこの本の素晴らしさに目が開かれつつあります。今回の東京都知事選には五十六名の方の届出があったそうですが、この本には全部で五十六の話が載せてあります。以下の文章は「聞かれない祈り」と題する話です(同書67〜69頁より引用。文中出てきます、ジェーンは長女で、ジョンとジョーは二人の弟で、この話の中には登場していませんが他に四人いるはずです。したがってこの時はまだ全部で子どもは七人です。)

 一日じゅう雨が降り続いたその日も終わろうとするとき、お母さんは疲れてしまったので、ジェーンのベッドに腰を降ろしていました。青いすじのある壁、白いひだのカーテン(これもそろそろ洗わなければなりません)が、ゴタゴタした台所から出て来たお母さんには、心地よい変化でした。下にある洗たく物は、これからたたんで片付けなければなりません。それから、家の中を整理して、ジェーンとジョンの通学服を、そろえておいてやらなければなりません。でも、今、ほんの少しの間だけ、ここに座って、いちばん上の子と話すのは、休みになります。ほかの六人はみな眠っていました。
 七歳の子は、どの子もそうですが、ジェーンは何でも聞きたがります。
 「どうして、イエスさまは、私たちのお祈りを聞いてくださらないの?」ジェーンは少し怒ったように言いました。
 「どうして? 聞いてくださるわよ。」
 「ううん、いつでもは聞いてくださらないわ。ジョーなんかさ、何かなくすたびにお祈りしているけど(全くジョーはよく物をなくします)、出て来ないわよ。それから、こないだ、すごい風の吹いたとき、ジョンといっしょに学校から帰って来るの、とてもこわかったのよ。それで、二人で溝の中へ降りて、イエスさまに、どうぞ風を止めてくださいってお祈りしたけど、止めてくださらなかったわ。だから、ビュービュー吹く風の中を帰って来なけりゃならなかったのよ。」
 「だけど、あなたたちは、安全に家に帰れたのでしょう。イエスさまはね、ある時は、私たちから苦しいいやなことを除いてくださるけれど、ある時は、その中を通らせようとなさるのよ。でも、いつもいっしょにその中を歩いてくださるわ。それは、苦しい、いやなことを通して、イエスさまのことを、もっとよく知ることができるようになるためなの。」
 「そう?・・・・・」ジェーンは答えましたが、まだよくわからないという顔をしていました。けれども、大きくなるにしたがって、いろいろなことを学んで、次のように心から賛美することができるようになるでしょう。

  旅をしている毎日を 感謝します。
  かわいた砂漠の中で
  私は熱心に求めます。
  でも 私を満たしてくださるのは
  ただ、あなたの愛だけです。

昨日も子鴨を求めて、田んぼに出向きましたが、親鴨が別の田んぼに最初一羽いたのを見つけました。しばらくして、私が近寄ろうとするのを警戒してでしょうか、後ろの方からもう一羽が飛来してきました。どちらが雄か雌だったのかは遠目でわかりませんでしたが、肝心の子鴨はいませんでした。それで昨日は橋の上から見た、二、三日前に子鴨らしき鴨数羽が泳いでいたところを撮影しました。あいにく昨日は風が強く、波が出ており、鴨は見当たりませんでしたが・・・

前回、「川守稲荷大明神」の写真を載せ、「悲願込め 川守稲荷 明神」と書きましたが、このような五七五は単なる語呂合わせに過ぎず、愚作中の愚作で申し訳ない思いがしております。ただ、これを機会に「稲荷」「お稲荷さん」について少し考えることができました。特に前掲の「聞かれない祈り」の要旨と「川守稲荷大明神」の霊験とを比較してみるとその違いが分かるのではないでしょうか。以下のイザヤ書のみことばはその日私が通読の時、読んだみことばです。このことも素晴らしい主のご配慮ではないでしょうか。

わたしは盲人に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの地を平らにする。これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない。彫像に拠り頼み、鋳像に、「あなたがたこそ、私たちの神々。」と言う者は、退けられて、恥を見る。(旧約聖書 イザヤ書42章16〜17節)

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。(新約聖書 1ペテロの手紙1章8節)

2024年6月19日水曜日

わが心を満たすもの

悲願込め 川守稲荷 明神(※)
 昨日は雨で一日閉じ込められました。さすがに、古利根川縁の散策はやめにしました。それにしても、気になるのは、鴨家族のその後です。夕方、少し雨があがったので、お目当ての田んぼへと出かけましたが、いつものところにはいませんでした。

 今日は、昨日とは打って変わって、雲一つない晴天になりました。早速、田んぼに直行しましたが、親鴨が一羽いるだけで 、子鴨は一匹もいませんでした。その代わりに古利根川の右岸に四羽ほどの小さな鴨が泳いでいるのが、対岸である左岸から遠目に肉眼で確認できました。果たして十羽の子鴨の片割れなのかどうかはわかりません。それにしても田んぼから古利根川までは直線距離で50メートルほどのところです。どのようにしてたどり着けるのかと気にはなります。

 今日の写真は画面の左側(上流)から右側(下流)へと流れる古利根川の右岸にある「川守稲荷大明神」の全景です。田んぼはこの大明神の敷地の手前側に位置しています。それに対して小さな鴨が泳いでいたのは、まさしく、大明神の向こう側の土手を上がった川縁にあたるところです。本来なら右岸からキャッチできるのですが、川縁には鬱蒼とヨシ原が茂っており、対岸にあたる左岸からしかその様子は見えないのです。

 私にとって、十羽の子鴨を従える母鴨の姿に出会ったことは今も驚きで、私の脳裏のうちにいつまでも刻まれております。そのような中で過日は小説『かたばみ』を読むことができました。そこには人間家族の悲喜交々の姿が作者の優しい目で表現されていました。

 しかし、私は一方で、もう一つの世界があることをうすうす感じていたのです。それは『九人の子ども』と題する不思議な本の存在です。この本は1946年にアメリカで出版され、1961年に邦訳として出版されたものです。『かたばみ』が500頁を優に超える大作であるに対し、この本は200頁足らずの本です。

 私はその本を何回も今、音読しながら読んでいます。滋味あふれる喜びがその本を通して私の心のうちに流れ込んでくるからです。明日から少しその本について書かせてください。

※この大明神について昨年は次のように触れました。その写真は今日の写真とは反対で土手から大明神、田んぼ(3月の)を見ることができます。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/03/blog-post.html

私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって、楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。(旧約聖書 エレミヤ書15章16節)

2024年6月17日月曜日

鴨家族に幸あれ


 このところ、朝の聖書通読個所を読み、その後1キロ先の古利根川の川縁まで自転車を走らせ、決まって土手際にある社(やしろ)に乗り捨て、先ずは鴨の住みついている田んぼを見まわることが習慣になりました。その後、土手に上がり、二つの橋を利用して古利根川沿いに、ほぼ2キロを散策するというスタイルです。

 今日は遠くから窺うかぎりお目当ての鴨家族はその田んぼにはいませんでした。今日の写真は昨夕のものです。日曜日は礼拝があるので行かず、夕べに撮影したものです。もっと近くに寄って、しっかり子鴨の様子をとらえたいのですが、iPhoneの限界と鴨家族を無用に慌てさせないという気配りをしました。この時は、お父さん鴨はいませんでした。「まったくしょうがないな、親父!」と心の中で嘆息しながら、その場をあとにしました。

 写真で見るかぎり七羽は確認できますが、あとの三羽は重なっているのか確認できませんでした。今日は鴨家族の居場所にいないので、土手から見通すことのできる別の個所から見ると、雄と雌の鴨が遠目に見えました。やはり雄は家族から離れないでいるんだとこの時ばかりは嬉しくなりました。きっと子鴨はその辺にいるのだろうと期待しながら。それにしても一人前の鴨として巣立つのに随分と日にちがかかるのですね。

 土曜日のことだったでしょうか、鴨家族が田んぼにいないので、いよいよ巣立ったんだと思いました。その証拠に、古利根川に泳いでいる一羽の小さな鴨を見つけた時には大変な感動を覚えました。田んぼで餌を探して生きていた鴨が古利根川という大海原に堂々と生きていると思ったからです。左の写真はその時、逃すまいと思って橋の上から撮った写真です。実際は私が観察している子鴨たちはまだまだ親の世話にならねばならなかったのです。でもいずれはその時期を迎えるのですね。そして今年は梅雨が遅れているという特別な6月です。十羽のヒナを抱えて鴨家族が無事に巣立ちを経験して欲しいなと切に思います。

 孫娘は四ヶ月経ちました。木曜日やってきた時は、やはり普段見慣れない私たちには緊張するようです。人間の成長もやはりゆっくりと両親や周りの人の愛を受けながら成長していくのですね。81歳78歳と年輪を重ねる一方で、益々老化が激しくなる私たち夫婦ですが、鴨家族、娘家族の子育てが祝福されるようにと祈らずにはおられません。

 今朝の聖書箇所は士師記17章18章でしたが、次のみことばに目が留まりました。

このころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。(旧約聖書 士師記17章6節)

ミカ母子やダン部族の神を恐れない人々の生活の実態が縷々述べられているところにポツンと書かれていました。大変な警告のことばですね。自戒したいです。

2024年6月16日日曜日

小説『かたばみ』の素晴らしさ(下)

 このユニークな表紙絵は、裏表紙と表裏一体となってこの物語の全て(結末)を語ろうとしています。すなわち表紙絵は主人公悌子の「息子」清太の父とのキャッチボールを前にした姿であります。裏表紙は無精髭から父権蔵の姿に違いありませんが、清太の投げる球を受け取るべく待機しているのでしょう。以下はこの小説の最終頁の叙述です(『かたばみ(※1)』株式会社KADOKAWA発行 同書554頁〜556頁)。

 清太は勢いよくボールを投げた。パシッと権蔵のグラブが派手な音を立てる。
「痛ぇつ。よくこんな球投げられるな」
「きっと父さんももっと練習すれば、このくらい速い球が投げられるようになるよ。僕から受け継いでるんならさ」
 清太は冗談めかして言って、ケラケラと甲高い笑い声を立てた。そう言われて権蔵は、ムキになったのだろう。やたら大きく振りかぶって投げ返す。フォームが整っていないから、力がボールにうまく伝わらず、叩き付けるようなワンバウンドになった。
ーー明日はきっと、ひどい筋肉痛になるだろうな。
 悌子は夫の形相を見詰めながら、笑みを漏らす。でも、少々おかしなフォームでも、きれいな軌道を描かなくても、球はちゃんと清太のもとに届いているのだ、そうして清太は、しっかり球を受け止めている。それで十分だという気が、悌子にはしていた。
ーーこれが、うちの家族なんだから。
「清太、足の調子はどうだ!」
 権蔵が呼びかける。
「痛くないよ。変な感じも、もうない」
 清太が元気に答える。
「もう大丈夫そうね。球筋もぶれてないし、フォームも怪我の前と変わらないから」
 悌子は太鼓判を捺した。
「そしたら、今日の昼からの練習、行ってもいい?」
「うん、でも軽い調整くらいにしとくのよ」
「わかってる」
「よかったな、また野球ができて」
 権蔵が言うと、清太は勢いよくうなずき、
「あの日負けて、よけいに野球が好きになった気がする」
 晴れ晴れとした顔で言った。
「じゃあ、そろそろ戻って支度する?」
 悌子の声に、清太はかぶりを振った。
「もうちょっと、父さんとキャッチボールしたい。少し速い球投げるよ」
 権蔵は一瞬ギョッとして体を引いたが、
「お・・・・おう、ドンと来いだ」
 と、胸を張った。
 清太は笑って、ほんの少し球威を増した球を投げた。権蔵はへっぴり腰ながらも両手で受け取る。バシンという心地いい音が濃い緑の中に響き渡る。
 悌子は、もう怖いものが飛んでくることのない、青く抜ける夏空を見上げた。はるか彼方に、入道雲がむくむくと湧きはじめている。

 以上がこの小説の最後の文章です。「もう怖いものが飛んでくることのない、青く抜ける夏空」とは、かつて昭和19年、B29の来襲で引率中の教え子を亡くした主人公悌子の述懐でしょう。それは作者自身の静かな反戦の意思表示でもあります(※2)。もちろん、それだけでなく、実子でないことを知った清太と自分たちの間の関係が揺るぎないものになったことの確信でしょう。かくしてこの小説は幕を閉じます。思えば、キャッチボールとは親子の間だけでなく、夫婦の間でも、いや家族を越えて人間同士が取り結ぶ愛の絆の実践の場の象徴ではないでしょうか。鴨の姿に血を分けた親子の素晴らしさを、過去眺めてきましたが、人間界にはそれを越える愛の交わりがあることを教えられました。

 ただ「事実は小説よりも奇なり」の言葉どおり、いかな木内昇さんも描き切れない実人生が私たちの周りには転がっており、人々が今も苦しんでおられるのも現実です。しかし、このような良質の小説を読ませていただくと人間愛も捨てたものじゃないと思わされるのです。触れられませんでしたが、清太とはいとことして育てられる木村惣菜店の智栄、茂生という姉弟との密度の濃い人間関係、戦時の通信機運搬の仕事から戦後はNHKの街頭録音に関わり、徐々に生きがいを見出す中津川権蔵。権蔵の母富枝の練られた品性など、いつまでも私の脳裏に刻まれることでしょう。

※1 「かたばみ」は戦中、食材も十分見当たらぬとき、使われたということと、その花言葉「母の優しさ」が作中に出てきたように記憶しています。なお、2023年11月18日の東京新聞のリアル読書会の席で作者である木内さんが次のように語っていることを知りました。
「書き始めてからある日、自宅の庭を見たら、かたばみがはびこっていて、葉が3枚なんですね。3人の家族にぴったりだなと。家族って永遠の命題で、いい面も悪い面もひきずって生きていかないといけない。」この話を紹介しながら、「かたばみってどんな花?」と散歩中にしつこく尋ねていた私に、家内が家に帰るなり、庭にある「かたばみ」を見つけ、「高宮(私の田舎)の中庭にはいっぱい生えているよ」と教えてくれました。ちなみに私の高宮の家族は3人でした。3人で互いに苦労したものです。このような「かたばみ」が持つ意味を父母の生前に知っていたらなあーと思いました。

※2 以前、木内昇さんはきわめて真っ当なことを表明されていました。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/09/blog-post.html

 今朝の礼拝の席で読まれた聖書のことばを写しておきます。このみことばには、家族だけでなく、すべてをつつむ主のお住まいがテーマになっています。

万軍の主、あなたのお住まいは
なんと、慕わしいことでしょう。
私のたましいは、主の大庭を恋い慕って
絶え入るばかりです。
私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
雀さえも、住みかを見つけました。
つばめも、ひなを入れる巣、
あなたの祭壇を見つけました。
万軍の主。私の王、私の神よ。
なんと幸いなことでしょう。
あなたの家に住む人たちは。
彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。

なんと幸いなことでしょう。
その力が、あなたにあり、
その心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも、
そこを泉のわく所とします。
初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
彼らは、力から力へと進み、
シオンにおいて、神の御前に現われます。
(旧約聖書 詩篇84篇1〜7節)

2024年6月15日土曜日

小説『かたばみ』の素晴らしさ(中)


 今朝も鴨親子の姿を水田で確認できました。それにしても子育てとは何と忍耐のいる働きなのでしょうか。母鴨は子鴨をじっと眺めて居り、いざという時に備えているようですし、何もしていないかのお父さん鴨は母子から距離を置きながらも、決して離れることのない姿を見せてくれました。(実は、お父さん鴨はこの画面の左隅の上あたりにいるのですが、残念ながら、この画面には写せていません。「影」の人物です。)

 このような鴨家族に比べて、もちろん人間家族はそれ以上に愛の絆で結ばれた家族であるに違いありません。小説『かたばみ』には時代に翻弄されながらも誠実に生き続けようとするその家族の実相を描いている作品です。

 自らが行く末は結婚をと夢見ていた幼友達が、長ずるに及んで別の女の人と結婚してしまう。それだけでも、その目にあった当の女性にとってはとても耐えられないことでしょう。それだけでなく、事もあろうか、その好きな人は敢えなくも遺児を残して戦死してしまう。その遺児を引き取って育ててほしいとは、親しかった幼友達の相手の家からの立っての申し出であったとは・・・。でも、これほど矛盾したことはないのではないでしょうか。

 大事な人を結婚で失う。それだけでなく戦争で失う。大事な人が自分にとってかけがえのない人であるだけに余計にその悲しさは募るものです。そして、その愛が本物であるかどうかを試すかのように、その遺児を我が子として育てて行かねばならないのです。しかも、自らが選んだ結婚は、別人との成り行きの結婚であり、果たして夫婦としてうまくやっていけるか全く自信の持てない結婚生活なのです。読者にとっても、読んでいてきわめて危なっかなしい結婚に見えるのです。しかし、作者の描くこの両者の結婚は第二章の題名が「似合い似合いの釜の蓋」とあるように、まさに天与の賜物である愛が働いて、妻だけでなく、夫も妻が好きだった人の遺児を、共に喜んで受け入れ、我が子どもとして育てるのです。

 その子育てがいかに波乱を含みながらも順調に育って行ったか、そのことを描いたのが第三章の「瓜の蔓に茄子」という題名そのものの展開が描く子育ての数々の場面です。しかもこの章はその息子「清太」の立場から見た家庭の様子を語らせるのです。複眼思考という言葉がありますが、物事を一面からだけ見るのでなく、多方面から見て行くのです。

 この作品自体に登場する家族は岐阜にいる山岡悌子の家族、同じく岐阜の悌子の幼友だちの神代清一の家族、悌子が結婚に導かれる東京浅草の中津川権蔵の家族、権蔵の妹で東京小金井で惣菜店を営む木村朝子の家族(ご主人は後に復員してくる茂樹)など実に数家族にすぎませんが、それぞれの家族がいろんな重荷を担って、歩むうちにそれぞれ個々人としての人格形成がなされていきますが、作者はそれを一面的に描こうとはしていません。一番感心したのは、木村惣菜店の姑ケイが何となく意地汚く描かれているが、最後の方に行くと彼女がそうせざるを得なかった事情が明らかにされるにつれ、愛される姑像へと私のうちで変わって行った点です。

 その作者の精神、人を差別なしに受け入れて行こう。喜びも悲しみも共にして行こうという精神に満ちています。私にとってこの点が、作品を読みながら、言外に最も学ばされた点です。だから昨日の写真にはカラスを載せました。

 さて、母である悌子は体格に恵まれ、かつては槍投げ選手でもありましたが、父親である中津川権蔵は文弱でキャッチボールでさえままならぬ、運動苦手の人です。ところが二人が養育した「清太」という子どもは父権蔵と違って大変な野球の名投手として大活躍し、中学の都の大会で決勝戦まで進む逸材として育つのです。これはまさに「瓜の蔓に茄子」であります(それもそのはず、戦死した彼の産みの父は岐阜きっての名投手で甲子園でも六大学でも活躍する名投手神代清一だったのです。)

 ところが、その小説の終局場面でその清太自身が、自分のお父さんお母さんは生みの親でないと勘付くことから、この家庭は大きな試練に直面するのです。清太自身の煩悶はまさに思春期の青年が必ず経験することではありますが、このことはひた隠しに隠して、産みの子としての養育に懸命になっていた権蔵・悌子夫妻を一挙にどん底に突き落としてしまう出来事です。もちろんその前にその事実を知った「清太」がどん底に突き落とされ、それまで熱心に続けていた野球部を退部すると決断するに至るほど、少年の苦しみも深かったのです。

 私が涙を流すことが二度三度あったと前回書きましたが、このようなどん底から中津川一家がものの見事、立ち直る場面でした。それはどのようなことなのか、それは読者ご自身がこの本を手に取られ、是非お読み願いたいところだと思っています。意外と言えば意外ですが、十分志向できる落とし所です。こうなきゃ小説は成り立たないと思わせる幕切れでした。

 私の今日の聖書通読個所の一つは士師記14章、15章でしたが、私にとってやはり『かたばみ』に劣ることのない、いや遥かにまさるのが聖書だと改めて実感させていただくみことばの数々でした。最後、その一部分を写させていただきます。

サムソンはティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘でティムナにいるひとりの女を見た。彼は帰ったとき、父と母に告げて言った。「私はティムナで、ある女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、あの女をめとって、私の妻にしてください。」すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。(旧約聖書 士師記14章1〜4節)

隠されていることは、私たちの神、主のものである。(旧約聖書 申命記29章29節)

2024年6月14日金曜日

小説『かたばみ』の素晴らしさ(上)


 なぜか、今日はこの写真を選びました。「カラス」と言うと 、いつの間にか悪印象しか持たない己が思いを自戒するためにです。それは『かたばみ』という作品を通して自分が作者から語りかけられてきた成果かも知れません。

 昨日三日がかりで大急ぎで読了した木内昇さんの作品は私の期待を裏切らないものでした。この『かたばみ』は一昨年から昨年にかけてでしょうか、東京新聞の朝刊に連載されたものが単行本として出版されたものです。毎朝読むことのできる新聞小説は作者の文章と同時に挿絵が載せられます。その中で作中人物の「山岡悌子」という類まれな体格と性格を持つ人物の存在だけはその当時大変興味関心をそそのかされた記憶があります。

 しかし、その彼女の生きた時代が戦中のこともあり、じっくり後で読んでみようと思い、取り敢えず、切り抜きだけは続けようと丹念に続けました。しかし、この作品に取り組んだのは今回が初めてになりました。私はこの作品を読んで、少なくとも二、三回は傍目も憚らず涙を流さざるを得ませんでした。その涙は私の魂を浄化させるものでした。その意味でこの作品はエンターテインメント(娯楽作品)としての資格を十分備えていると思います。

 驚くべきことは、作者が1967年(昭和42年)生まれだということです。私が大学を卒業して教員として実人生のとば口に立ったばかりの年です。その年に生まれた作者が、何とそれを去ること24年前、つまり私が生まれた1943年(昭和18年)から作品を紡いでいるという驚きでした。そして作者の語り口を通して私は一つ一つ、もう一度我が人生を振り返らざるを得ませんでした。

 そして物語の設定は、私が経験した実母の人生とある意味で共通したものでありました。母は戦死で愛する夫を亡くしました。その戦死がなければ私という人間は誕生していないからです。と同時に不思議なことに、1967年(昭和42年)に教壇に立った私がその後三十数年近く経験した教育現場での葛藤は、ある意味で小説の主人公「山岡悌子」が経験することと共通していたからです。いや、坊ちゃんの「赤シャツ」以来、すなわち明治以来、教育現場での非喜劇は今日も続いていると言って良いんじゃないかと思わされました。

 それにしても作者の力量は改めて大変なものだと思わされました。一年間という日々、朝刊の連載小説は一日一日が勝負であります。かつ全体として描きたい点が明確でなければなりません。私は今回読みながら、ある時は落語を聞かされているように精神がリラックスできる場面がふんだんにあることに気づかされました。作者としての構想がしっかりしているからこそ、この遊びもできるのだと感心しております。

 さて、前口上が長くなりました。明日はその梗概について述べてみたいと思います。昨日、聖書通読個所の一つに士師記10章、11章がありました。そこに登場する「エフタ」はこれまた大変な悲劇の只中にあった人物です。しかし、主はそのようにして彼を用いられるのです。

さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。・・・エフタは再びアモン人の王に使者たちを送って、彼に、エフタはこう言うと言わせた。「・・・私はあなたに罪を犯してはいないのに、あなたは私に戦いをいどんで、私に害を加えようとしている。審判者である主が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように。」アモン人の王はエフタが彼に送ったことばを聞き入れなかった。(旧約聖書 士師記11章1節、14〜15節、27〜28節)

2024年6月12日水曜日

愛の絆ここにあり


 今日の写真は、脇目も振らず、ただ一心にお母さん鴨に付き従っていく10羽の子がもたちの勇姿です。そこには相互信頼の深い絆を感じます。実は画面右は田んぼの畦道になっていて、画面の右側に垂直に走っています。初め、遠くから眺めると雄と雌の鴨二羽が見えるだけでした。いったい子がもはどこに行ったのだろうと、その畦道伝いに近づきましたら、何と畦道には10羽がおとなしく集まって休んでいたのです。

 そうとは知らず、私が突然闖入したものですから、危険だと思ったのか、お母さん鴨が先ず畦道を水田へと降り、続いて10羽の子がもがそのあとに続いたわけです。一人お父さん鴨は悠然と畦道に座ったままでした。すべてを奥さんに任せているようです。私は、この母子の姿を見るにつけ、改めて母親の愛に対する畏敬の思いにとらわれております。こうして、10羽の子がもは、子がもで、着実に成長して行き、いずれ巣立ちの時を迎えるのですね。 一方で苗は日増しに成長していっているのですね。太陽と雨のおかげです。そして、古利根川の水を汲み上げては水田に流す、ポンプに毎日欠かさずスイッチを入れる老婆の方の配慮があってのことです。悠久な自然界の営みを思うて、秩序ある神様の愛を深く思わされます。

 ところで、私は、昨日から考えるところがあって『かたばみ』という木内昇(きうち のぼり)さんの小説を図書館から借りていたのに、読まずに返却期日が目前に迫って来たので、大急ぎで読み始めました。この小説は昭和18年(1943年)からスタートします。まさしく私の生まれた歳からのストーリーで、実に興味津々の小説であります。そしてこの本は全部で3章に分かれています。第1章が「焼け野の雉(きぎす)」第2章が「似合い似合いの釜の蓋(ふた)」第3章が「瓜の蔓に茄子」となっていますが、第2章まで読み終えました。全部を読み終えてからその感想をこのブログでご紹介したいと思いますが、今日は数日間観察しております、鴨の生態と共通するかのような言葉が、たまたま以下のように紹介されていましたのでその言葉を紹介させていただきます。(同書138頁より引用)

主人公の(山岡)悌子は国民学校の教師ですが、引率していた生徒を空襲で亡くします。守りきれなかった自分の責任を覚えるだけでなく、子を亡くした親の思いを人生の先輩、のちに不思議な導きで義母となる(中津川)富枝から聞かされるという場面での話です。時は昭和18年です。

「おかしいわよね。御国のために、どうして命を捧げないといけないのかしら」
静かだけれど、奥底に強い憤りをはらんだ声だった。
「本当はみんな、自分のだいじな人には生きてほしいと願っているのに、そんな当たり前のことさえ、口にできない世の中なんて」
富枝がこんなふうに、はっきり世の中を批難するのははじめてのことだった

「あなたは『焼け野の雉、夜の鶴』っていうことわざをご存じ?」
悌子は黙って首を横に振る。
「雉というのは、自分の巣がある野原が燃えているさなかでも、子供を救うため巣に戻るんですって、鶴もね、凍えそうな夜に羽で覆って雛を守るというの。子供のためなら身を挺す、っていう親心を喩えた言葉なのよ」
腿の上に置いた手を、富枝は強く握り合わせてから続けた。
「亡くなったお子さんの親御さんは、自分があの日の空襲の中へ飛び込んでいってでも、お子さんを救い出したかったと思うのよ。あの日に戻って子供を助ける空想を、きっと繰り返し、繰り返ししていると思うのよ、かなわないことだとわかっていても、そうせずにはいられないのよ。そういう空想をすることは、とっても苦しいことなのに」
現実を頑なに拒むような、賢治の母親の顔が浮かぶ。・・・・

 私の家では、この二月八日に誕生した孫が少しずつ成長しております。今日(こんにち)、その有様はLINEで日々知らされる時代になりました。その中で初めて母親となった次女は日々悪戦苦闘しながら母親としての自覚を深めつつあるようです。明日はその孫を見せに次女家族が来る予定です。どんな風景がそこには見られるのか大いに楽しみです。

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(新約聖書 ヨハネの福音書 15章13節)

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。(新約聖書 ヨハネの手紙第一 3章16節)

2024年6月10日月曜日

被造物である私たちのうめき


 相変わらず、鴨の観察を続けています。 今日の写真は昨日のものです。実は、今日の写真を載せたかったのですが、遠方でiPoneにはとらえきれませんでした。ただし、この二、三日観察する人が増え、ちょっとした通り行く人々の「観察」スポットになっています。

 近くで野良仕事をなさっておられる地主さん(腰が屈んで伸ばすことができないお婆さん然とした方)に、思い切って、お話をお伺いすることができました。その方がおっしゃるのには「鴨は日が暮れると、(水田の奥にある)林の方に移動するんじゃないか。」こうして、私の数日間の幼稚な疑問は一挙に解決しました。彼らには宿がちゃんとあったのだ、ということでした。もっともその地主さんもどこでどうしているかを確かめられたのではないようでした。

 さらに続けてこうも言われました。「雄は遠くから見張っているし、母鳥は子どもの面倒を見ている、人間社会と同じです。水田の水は、毎朝早く起きてポンプで古利根川の水を汲み上げては、田んぼに流しているのですよ」ということでした。

 また、バズーカ砲のごとき望遠レンズを構えて連日お会いする人の言によると、「もう数日すると、(古利根)川に戻って行くよ。まだそれだけの力がないから親が、この水田で、面倒みているんだ」という話でした。現に、水田を上がって、行こうとするようですが、まだその力がないのは見ていて明らかでした。またこんな話を別の方から聞きました。「散歩していたら、目の前にカラスが舞い降りてきて、(生まれたばかりの子)猫を口に咥えて飛んで行きましたよ」とびっくりするような話でした。

 道理で、母鳥は10羽の子どもから目を離さないで、見守っているのですね。確かにカラスが二、三羽居て、遠巻きにうかがっている感じです。油断できません。近頃は蛇も見かけるようになりました。地主さんに言わせると、他の家の水田より田植えが遅くなって、今年はもう植えてくれないのかと思っていた(耕作は人に頼んでいるものだから)。

 今の苗の成長ぶりから、鴨がこの水田で子育てをするに条件がぴったり合ったんだなーと私なりに思っています(普通の水田に比べれば、遅植えでしたので、鴨たちが行き来するのには困らない)。10羽の子どもたちは苗と苗の間の隙間を上手に利用して、プールよろしく、互いに追いかけごっこをしているようで、みていて興味が尽きないです。この鴨家族が古利根川にどのようにして帰って行くのか、まだ当分目が離せません。

私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(新約聖書 ローマ人への手紙8章22〜23節)

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(旧約聖書 イザヤ書11章6〜9節)

2024年6月8日土曜日

鳥から教えられる

As an eagle...fluttereth over her young...※
 いささか鳥尽くめで恐縮ですが、今日も例の水田を見に行きました。何と鴨家族が全員いたのです。出稼ぎに出かけたと思われるお父さん鴨もいつの間にかまた家族の一員として二日ぶりに帰って来て水田を這いずりまわっていました。

 このような光景に気がつく方は少人数ではありますが、当然おられるのですね。今日は、私が現地にさしかかる前に、望遠レンズを構えて写真を撮っておられる方が先客としておられました。悲しいかな、私はiPhone一本槍です。いくら努力しても遠望の域を出ません。まるでバズーカ砲に普通の鉄砲で体当たりする思いでした。さぞかし、その方のレンズには間近な鴨の子どもたちの姿が実写されているはずです。こちらはやむを得ず、想像するしかありませんでした。

 けれども遠目ながらお父さん鴨は、出稼ぎから帰って来たのに、地面を這いつくばってばかりいて、自分の餌取りに夢中になっているのが確認できました。そこへ行くとお母さん鴨は立派ですね。子どもたちを暖かく見守っています、背筋をピンと伸ばして・・・。人間界でもしばしば見られる光景かもしれませんね。そんなわけで左にその写真を補足しました。

 さて、そのあとがまた問題なのです。件(くだん)の鴨家族は、またしてもしばらくして確かめたところ、昨日に続き、今日も全員いなくなっているのです。いったいどうなっているんだろうと、再び考え込みながら帰って来ました。

 こんなに連日鴨に夢中になっている私に、今夜もう一つの鳥との出会いがありました。今日の通読個所のイザヤ書31章の文言でした。その5節に

万軍の主は飛びかける鳥のように、エルサレムを守り、これを守って救い出し、これを助けて解放する。

と、あったからです。そして、同時に私はかつてのブログ記事を思い出しました。それが以下の2016年6月9日の記事です。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_9.html

この記事は私が2016年に一年間かけてハヴァガルの霊想を翻訳して掲載したものです。是非上のサイトをダブルクリックしてお読みください。きっと恵まれると思います。しかもその記事が8年前の6月9日のものだとは不思議ですね。鳥づくめは決して無駄ではありませんでした。

※英文の邦訳を中心に今日のみことばとさせていただきます。
主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に乗せて行くように。(旧約聖書 申命記32章10〜11節)

2024年6月7日金曜日

里帰りの褒賞「筋肉痛」


 先週土曜日から、今週の火曜日まで滋賀県の高宮(彦根市)という町に帰っていました。行きも帰りも、新幹線でなく鈍行列車を利用しての旅路です。現地に着くと、翌日の日曜日は近江八幡に出かけ、みなさんと一緒に礼拝に参加することにしています。翌々日の月曜日は決まって、家の外回りや、庭や畑の草刈りに勤しみます。必ずと言っていいほど私の里帰りはこのパターンで行動しています。春日部を何日間も留守にしたくはないので、私にとっては貴重な一日です。

 月曜日は滋賀県は天候にも恵まれていたので、この時とばかり、朝早くから夕方まで魂(こん)詰めて、働きましたので、成果が上がりました。ところがそれからがいけませんでした。大変な「筋肉痛」を経験しました。翌日の火曜日から今日の金曜日あたりまでずっと痛みがあり、立ち上がったり、屈んだりするのがままならないのです。歳を感じました。

 子どもたちは一様に新幹線での行き来を勧めてくれますが、私は長年培ってきたこの鈍行列車の旅が気に入っています。家内はどうなのでしょう。夫唱婦随というので、不承不承ついてきてくれているのでしょうね。そんな子どもたちに、鈍行旅行はこんなにも楽しいんだよと、LINEで写真を送ることにしています。今日の写真は火曜日、浜松ー熱海間で乗車した車内の様子を撮ったものです。明るい車内と車窓に展開する緑の景色は、新幹線では味わえないゆったりした気分にさせてくれます(痩せ我慢かな?)。ついでに浜名湖横断の際の写真も載せておきます。残念ながら、富士山はダメでした。大気が不安定でまさに関東域での降雨を予感させる雲行きでした。案の定、大宮に着いたら大変な驟雨でした。

 その後の日々は驟雨ならぬ「筋肉痛」が続き、いつまでも草刈りの余韻が身に残りました。立ち上がるのにも座るのにも苦労しましたが、やっとそれもなくなりつつあります。

 さて、今日も鴨家族は健在でした。ところが、お父さん鴨はいませんでした。どこかへ出稼ぎに行ったのでしょうか。子どももせっせと餌を食べるのに夢中でした。下の写真が表しているように、お母さん鴨の子どもたちを見守る姿勢が、私たち人間とまったく変わらないですね。ところが、半時間後に再び水田を確かめましたところ、もぬけのからでした。いったいどうしたのでしょう。


みことばは、今日の題名「里帰りの『褒賞』」にひっかけて、ヤコブの「褒賞」のみことばを選びました。

その人は、・・・ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。・・・そこでヤコブは、その所の名をぺヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。彼がぺヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。(旧約聖書 創世記32章25節以下)

2024年6月6日木曜日

鴨家族に躍動するいのちの証

お母さん鴨に見守られて
 古利根川の川縁には、過去の俳人の方々が詠まれた句が、随所に掲げてあります。江戸時代の松尾芭蕉は日光街道の粕壁宿に泊まっていますし、近代に至っては、加藤楸邨という水原秋桜子門下の俳人であった方が、粕壁中学(旧制)の教師であった時期があり、その影響でしょう、春日部にはたくさんの俳人脈ができているように思います。

 だから古利根川を散歩するたびに、それらの俳人の方々の俳句を味わいながらも散歩を楽しみにしておりますが、今日は小林一茶の句が気になりました。「古利根や 鴨の鳴く夜 酒の味」鴨料理に舌打ちながら、鴨が鳴いている夜、酒を酌み交わしているのであろうか、その味は如何ばかりなのだろうなあ、と一茶の思いを勝手にたどっていました。

 ところが。土手を降りた水田の意外な光景に出くわしたのです。すっかりいなくなったとばかり思っていた鴨夫婦がいたのです。それだけでなく奥の方には、何やら黒い塊状になっている生き物がいたのです。鴨夫婦の子どもたちです。大きい水田の奥の方にいるので肉眼では最初中々掴みづらかったのです。そのうち、黒い塊が動き出して、手前の方に近づいてきました。驚くなかれ、10羽の子どもたちでした。途端に、半時間ほど前に見た一茶の句が俄かに現実味を帯びて迫ってきました。「古利根や 鴨の子どもたち 育(はぐく)む田」(写真手前がお父さん鴨、右側がお母さん鴨、右奥の塊が子どもたち)と下手な句を考えました。

 私たち無力な夫婦はそれでも五人の子どもに恵まれました。それぞれが今も良くしてくれます。しかし、この鴨家族はどのようにして生計を立てているのでしょうか。先週の土曜日から今週の火曜日までには、春日部にはいませんでしたので、ついぞ古利根川に出かけることはありませんでした。それにしても、私はこのブログで一週間ほど前の5/28(火)には、鴨夫婦がいなくなったのを嘆いていたのです。とすると、私が古利根川に行かなかった間に、彼らには何かが起こったのでしょう。それにしてもそんな十日間余りで水田でたむろできるまで成長できるのでしょうか。

 こうなったら、明日も見に行きたいです。帰りにガード下のコンクリートの隙間にちょっぴり小さい花(ペチュニア)が咲いていました。ここにもいのちの躍動がありました。

 昨日もこのところ気分的に滅入っている家内に、友達が「絵を描いているか」と励ましの電話をくださいました。家内はたくさんの花の絵を描いては20年ほど、多くの方々にあげていました。それがコロナ禍以来、すっかり絵筆を握ることもなく、日を過ごしています。その友人曰く「聖書にソロモンよりも野の花は着飾っていると書いてあるじゃない、だから私は毎日花の絵を描いているのよ。あなたのように花の絵を描く人はそうはいないよ、だから絵筆をまた握ってよ」と電話の向こうで励ましてくれました。ありがたいことですね。人間にはこうして言葉でもって励まし合うことができるのですね。

 でも、それ以上に神様を信ずるということは、こんなにも素晴らしいことなんだと、私はその友人の電話の言葉をそばで聞きながら、思わされました。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(新約聖書 マタイ6章28〜30節)