過日、家内の中学時代の先生だった方と夫婦で会食に招待され、お話を伺う機会があった。(本当は話が逆で、喜寿になられた先生を私たちが招待するのが本筋であるが・・・)その先生に家内は直接教わらなかったが、家内が二年のときに初めてその中学に赴任されたと言う。ただその後、妹の担任となられ、教員であった家内の父親とも知り合いだったので、その存在を覚えていただいていたようだ。教わりはしなかったが、もう一人の先生と一緒に、様々な問題のあったその中学を徹底的に改革しようとされていた若い熱血漢の先生としての印象が今も鮮明に残っている、と言う。私たちはおよそ7時間ほどのその先生のお話をもっぱらお聞きする側にまわった。そしてそれはすべて決して退屈することのない滋味に富んだ話であった。
小学校、中学校、高校の各先生を経験され、高校の校長も勤め上げられ、退職後は大学や大学院のの講師として後進の教育に当たられ、文字通り「教育一筋」に生きて来られた方である。お話をお聞きしている間中、この方とは対照的な自分の教師生活の腑抜けさを大いに恥じ入らされた。たくさんのお話をお聞きしたのだが、以下の話はその先生が初めて小学校の教師として赴任された昭和30年代初期の話である。
でもアンマリ言われるから、時間に余裕があった時に、「なんでそういうこと言われるんですか。ちょっとさしつかえなかったら理由を教えてください」って言ったら、「そんな先生決まってますがな」こう言わはるんです。「決まっている、と言ったって、ぼく全然わからんがな。」と言うたら、石部というのは旧東海道の宿場町やから道一本でしょう。そこへ通勤の先生がそこを通らはる、まあそれしか道がない。ほんで先生の顔見てると、新しい先生やなあーとわかると。そういう先生も精々一年か一年半経ったら普通の顔になってしまはる。それで先生の教育の姿勢が分かると、それで言うてるんやと。毎日一ヶ月近く言われるからいっぺん聞かなあかんと思うてね。聞いたんやけどね・・・
お聞きしていて心温まる話だった。このお母さんの眼力は鋭い。それだけでない。そう言われた先生がその言で引っ込まず、それを「ばね」にして51年にわたる教師生活を送ってこられたことを象徴する大切な話だと思いながらお聞きした。しかもこの先生は、私たちのようなでたらめな後進の者に膝を屈して、福音の真髄を求めて招待してくださったのだ。
私は石部町のこのおばさんと先生の話を聞きながら、バプテスマのヨハネがイエス様について次のように言ったことばを思い出していた。
あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。(新約聖書 ヨハネ3:30)
この言もまた路傍でなされた言であろう。「なんでそんなことを言わはるんやろ」と思う人はおられないだろうか。その言を解く鍵は次のイエスご自身の言明である。
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(新約聖書 ヨハネ14:6)
(招待してくださった大津プリンスホテルの最上階38階から見下ろした風景。)
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