2010年9月24日金曜日

同級生の誼

 先週の日曜日、高校の同級生N君と新装成った吉祥寺の会堂へ出かけた。N君とは同じ高校というだけで、在学当時は面識もなく、そのため6、7年前まではお互いに没交渉であった。そのN君がいつかの同窓会で会った時、同君が脳出血の病から奇跡的に立ち直ったことを聞かされ、話したいと思った。また同君も私がキリスト者であるというので、関心を示し、近寄って来、有楽町の通りの街路で二三言葉を交わしたことがあった。
 その後同君の八王子の自宅を訪ねた折には、今年90歳になられたお母様ともお会いしお話したことがあった。そのN君が今度郷里の近江八幡に帰ると聞き、この機会に再会しようと話が進み、吉祥寺の新会堂へとともに出席しようと相成った次第であった。同君と私は最前列に座って二時間ほどの献堂式に出た。同君がその式をどう感じたかはいまだに伺っていないが、同君はそれこそ近江兄弟社学園で幼稚園から中学まで過ごしたのである。信仰は持っていないが、お交わりしてくださったベックさんをはじめ他の方々にも本ブロクでおなじみのヴォーリズさんの最晩年に接して薫陶を受けたことを楽しそうに話していた。
 日改まって火曜日の麻布の家庭集会には、今度はやはり高校の同級生であるH君と出席した。H君は私より早く大学時代に主イエス様の福音を受け入れ救いにあずかった。ややこしいが同君は高校の同級生であり、大学は同じゼミで二年先輩に当たる。(何のことはない、劣等生である私が二年遅れて大学に入っただけであるが・・・)まだ高校に入ったばかりの一年生の初々しい時、クラスが一緒で成績をはじめお互いに席も近かったのだろう、よく知っている間柄である。もっとも彼はシャイで私のように恥知らずの男ではないので、余り彼から話すことはないのだが・・・
 同君は私より早く救いにあずかったが、ここ二十年ちかくであろうか、すっかり教会から足が遠のいていた人である。しかし、彼もいつしか私が彼に送っている集会の機関誌「主は生きておられる」を喜んで読むように最近では変えられてきて、池袋に住んでいるので時々集会に出席するようになった。数少ない集会出席に彼と行をともにしたのが先週の火曜日の麻布集会への出席となったわけである。Tさんがメッセンジャーであったが彼にとっては二回目にうかがうメッセンジャーで前回の話も良く覚えていて、今回の話は面白くわかりやすかったと帰りの道で話してくれた。それよりも驚かされたのは、同じ場所で交わっていただいた方の顔が光り輝いていたと言った言葉であった。
 彼の方からそんな感想が聞かされるとは想像もしていなかったので、正直驚いた。様々な方が彼の来会を歓迎してくださったが、その中で一人のご婦人が私を指して、彼に「Yさん、高校の時と変わられたでしょう」と水を向けたが、同君が、「いや、高校時代と少しも変わっていませんよ」と言ったので、「使用後(キリスト者になって変わった)」を強調したかった彼女だが拍子抜けしたようで、可哀想だった。
 そして帰り際に彼に冒頭のN君のことを話したら、三年のとき、席が隣同士であったと聞かされた。考えてみるとやはり高校のとき面識がなく浪人時代から親しくなり、私より早くイエス様の救いにあずかり、それゆえ私に熱心に信仰を勧めたT君も三年の時H君やN君と同じクラスであった。そしてそのクラスには私のいとこがいる。H君はともかく、N君もT君も一度も高校時代に一緒になったわけでなく互いに未知であったのに、いとこの三年のときのクラスの人と随分親しくさせていただいている。他には、まだ集会には一度も来たことはないがW君やOさんもいる。彼らも加えると、よりによって三年の他クラスの御仁の都合六名の方に福音が何らかの形で伝えられていることに気がついた。
 今は、同級生の誼を越えて、主イエス様が互いのうちに宿って栄光を現わしてくださるようにと、祈るばかりである。
彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。(詩篇34:5)
人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊があるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリント3:16~18)
(暑い夏、堪えに堪えた三人娘。ようやく秋に入り、いつか衣替えをしてやらねばならぬ。彼らもまた同窓の誼に生きているのだろうか?)

0 件のコメント:

コメントを投稿