2014年1月22日水曜日

『唱歌と十字架 明治音楽事始め』安田寛著 音楽之友社

小平ふるさと村※ 2013.12.20
新年も早や20日余りが過ぎてしまった。何もしないうちに無駄な時間を過ごしているようで主(しゅ)に申し訳ない思いがする。でも、それには訳がある。半月以上も前であろうか、図書館にリサイクル図書が展示してあった。数十冊の書籍が並べてあり、どれもかも図書館が不用と考えて放出している作品だ。だから、こちらが思うような本はないワイと思いながらも、読書好きの私はひとわたり見渡してその日は通り過ぎてしまった。ところが次に訪れた機会に、新たな思いで出口に置かれている本を今度は一冊ずつ丁寧に見ていった。その中に前回は見落としていたのであろうか、『唱歌と十字架』(安田寛著)という一風奇妙な題名の本が目についた。一瞬「唱歌」と「十字架」がどうして関係があるのだと思い、手に取ってみた。中味をさっと見、興味を誘われたので、あとの二冊『死は終わりではない』(山川千秋・穆子著)『深夜の読書』(辻井喬著)と一緒にとりあえず持って帰ることにした。

本は10年前に大鉈をふって大量に処分したのに、いつの間にかまたたまる一方で、再び書棚にあふれてきてこのところ困っている。そこへ、新たに、それも図書館が放出している古本を手にして家に帰るなんて、また妻からお小言をちょうだいせねばなるまいと覚悟した。ところがどうして、どうして、それ以来とうとう『唱歌と十字架』の著者である安田寛氏の一連の本を渉猟する羽目に陥ってしまった。逆に言うとそれほど私には未知の世界であり、おっかなびっくりではあるが、今も読み進めているというのめり込みになってしまった。著者の熱意が私に伝播してしまった感がある。そのことが主に申し訳ないというのが、私の今の正直な告白である。

もともと私は歌は好きだが、音楽は大の苦手である。『唱歌と十字架』はその「音楽」という教科が学制発布に遅れること10年後の明治15年(1882年)にスタートするにあたっての隠された史実を著者がアメリカにわたり丹念に調べ上げた結果を推理小説風に仕立て上げたものである。そしてその背後には明治期にボストンから日本に福音を伝えにやって来た宣教師の目論見と禁教下で育った日本人とさらに天皇制国家を創出しようと懸命であった儒教派とのせめぎ合いがあった。しかし結果はどうであったか。ここには日本の近代化が結局どのように行なわれたかが音楽と言う文化の面から周到に考察されていて、興味深い。

音楽は嫌いだと先ほど言ったばかりだが、私はかれこれ20歳の時からほぼ50年間賛美歌を歌い続けてきた。そのうち最初はグリークラブという男声合唱で、そして40余年は信仰者として歌い続けてきた。そして経験してきたことだが、このメロディーはどこかで聞いたことのある曲だとしばしば思うことであった。結局、賛美歌は他の誰かの作曲したものを借りて、歌詞を当てはめているのだ、だから曲はともかく歌詞の意味をかみしめて賛美しようと割り切っていた。しかし、この本によると、むしろ明治期の音楽教科書には賛美歌が曲としてあり、それに日本の歌詞を入れ、「唱歌」として成立したことを証明しているのだ。そしてこんな大それたことをやった人物は誰なのか、それはほとんど当時の反動化の嵐の吹きまくる日本国内の政情からすると十字架を負うに等しいことであった。そして今も日本人の歌唱のルーツにはこの十字架がしっかりと刻印されているのでないかと著者は主張しているかのように受け取った。

しかもこの本は1993年、今から21年前に出版されている。それゆえ図書館は放出した。その本が今私の手許にある。だから私が21年間も知らないでいただけで、日本の音楽界ではすでに知られている内容なのだ。しかし、著者はその後も20年間その延長線上に様々な書物を書いておられるのだから事はそんな単純な問題ではなさそうだ。「作家は処女作に向かって成熟する」とは亀井勝一郎のことばのようだが、安田さんはそのとおりのことを仕事としていらっしゃる思いがする。参考までに、私がこれまでの半月の間渉猟した本の題名を書いておく。題名からして彼の仕事がどんなものか想像していただけるであろう。『「唱歌」という奇跡 十二の物語(賛美歌と近代化の間で)』(2003文春新書)『日本の唱歌と太平洋の賛美歌 唱歌誕生はなぜ奇跡だったか』(2008奈良教育大学ブックレット)『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(2012音楽之友社)。その上、ネット愛好の方なら充分に著者の考え方がわかるサイトが幾つかあるがそのうちの一点だけ紹介しておく。「音痴と日本人」http://shop.tokyo-shoseki.co.jp/shopap/special/music/artes/yasuda001.htm

最後にこの大変な労作にキリスト者として一点だけ申し上げたいことがある。それは「十字架」の意味である。確かに「唱歌」と「十字架」という題名は度肝を抜くこと請け合いであり、それゆえ私の食指を誘った題名ではあったが、聖書に出てくる「十字架」はきわめて限定的であり、一切のヒューマンなものを越えている言葉、「いのち」であるということだ。そのことを信者ではないと言われる安田さんに知っていただきたいと今痛切に思わされている。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」(1コリント1・18〜19)

( ※年末長女に五人目が誕生した。お祝いに行った病院の近くにこの村があった。江戸初期から中期の新田村の建物を復元したと書いてあった。明治音楽はこのような農村にも新しい唱歌として歌われていったのだろう。すっかり忘れていたが、そう言えば、長女は私と違い、音楽専攻であり、夫君は音楽教師だった。)

0 件のコメント:

コメントを投稿