日立駅のウインドーから見た太平洋 2014.10.19 |
女三人寄れば姦しい。三人寄れば文殊の知恵とか、結構三人にちなんだことわざがある。昨日私が経験したことはその流儀で行くと一体どれに当たるのだろうか。そのことに触れる前に若干いきさつを説明しておく。
私は今、男二人と女一人になる三人一緒で、縁あって女性の御父様が戦病死なさる前に奥様や友に宛てられた戦時中の数十通の書簡を一冊の本にまとめようとしている。互に利害打算を離れて主イエス様のご栄光があらわされればと考えての作業である。もちろん戦争の悲惨さを思い、二度とこうあってはならないという互いの共通の思いがある。だから、皆それぞれ自由に関わってきた。過去5、6年間、いつか本にしようと思いながらも、互いの事情が交錯して中々話は具体化せず、時ばかりが経過して行った。
ところが、今年になって、三人のうちで一番年配の男性の方から、そろそろまとめましょう、そうしないと年々しんどくなりますよ、と女性を通して打診があった。そうか、何とかせにゃなるまいと当方もやっと本気になった。これまで二度打ち合わせをした。二度目は今週の火曜日にすませた。和気あいあいで、時事問題も話に加えながら、時あたかも二人の女性大臣が辞任すると言うお粗末な話を聞かされたばかりで、もともと安部内閣の危なっかしさを問題にこそすれ、評価しない私たちではあるが、下世話な言い方で恐縮するが「あれは、誰かにはめられたんだ」という結論になった。
ところがどっこい、書簡集に誰がどのような解説を加えるかを検討する段になって、それに似たことが私たちの間で起きた。と言うのは、言い出しっぺの私自身が、調子に乗って、予定していなかった箇所の解説の頁までも快く引き受けることにしたからである。何のことはない、私自身がはめられたことになる。気づくのは遅かったが、そのことを口に出し皆で大笑いした。
けれども、いよいよ、昨日解説を加えなければならない手紙の一つを読んでいて、私は首をひねるばかりでどうしていいかわからなくなったのだ。それはその御父様が1939年10月18日ロンドンから書かれた手紙の末尾に次のことばが書かれてあったからだ。
目下決算で一ヵ月程夜業しております。勉強できないのが残念ですが、健康でおりますから御安心ください。ドイツからチョイチョイ空襲に来る様ですが、私どもは平穏におります。日本同様物価が上がって参りました。お宅の皆さんによろしくお願いいたします。
私はこの記事が気になった。日付が一年あとではないのかと思ったのである(手紙の日付は末尾に記されているから確かなのだが、何年のものかは消印のある封筒表で判断できるが、何しろ70数年経ちそれも紛失している場合が多いからである)。確かに1939年には第二次大戦は始まっているが、それはドイツ軍のポーランド侵攻であり、まだイギリス・ロンドンに対するドイツ軍の空爆は翌年1940年8月にならないと始まらないと物の本で知っていたからである。だから悩んだ。その女性の方にその旨電話で話したら、「あら、それはおかしいですね。でも『チョイチョイ空襲に来る様です』と書いてあるのだから、そう思ったんじゃないですか」と軽くあしらわれた。なるほど、私のような第三者は教えられた史実を重んじるのに対し、この人は娘だから父の言葉を素直に信じて、そういうように読み取るんだ、と史実と違うとわめいていた自分が愚かしく思えたが、心の底ではまだ納得できなかった。
それからしばらくしてその女性から明るい声で電話があった。もう一人の年配の男性に早速電話したら「それは偵察飛行に来たんじゃない、そうなのだよ。だから矛盾しないよ。」と答えがあったと言う。「なるほど、そうか、偵察飛行ね」と、さすが年配者はちがうという思いで電話のこちらの私と向こうの彼女と二人で大いに笑った。当然電話口にはいないその年配の男性も、私たちの語らいを聞いておられたら、またしても笑われたことであろう。私は今、この手紙が書かれた時の戦況説明をどのように書いたものか首をひねって思案中である。でも峠は越した。
これからも主イエス様にあって自由闊達な三人でありたい。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18・19〜20)