2019年3月17日日曜日

1969年3月12日(完)

巌華園 主を知りぬる  館なり 半世紀経ち 思い出尽きぬ

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15・6)

 白旗を上げたのがいつのことだったのか覚えていない。しかし、神様の大鉄槌を受けながら、すぐに主イエス様の軍門に下ったのではない。その間、様々な方々が私の救いのために祈って下さり、労して下さった。それがどういう順序であったかは思い出せないのだが、いくつか鍵になったみことばをあげてみよう。

 先ず第一に「神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」(1コリント1・21)というパウロのことばに出会ったことである。このことばは京都北大路にあった教会の玄関かどこかで、神学生だった方から教えていただいた。私は当時、何とか人間理性を満足させる確かな証明が欲しいと思っていた。しかし、その方の言をとおして、それは誤った求め方だとはっきり示されたみことばであった。

 次に「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(ネヘミヤ8・10)であった。このみことばはむち打ち症が一向に良くならず、苦しんでいた私に教会の牧師夫人により東京保谷市に住んでいらしたカイロプラクティックをなさる方が紹介されたことによる。この方はカナダの女性宣教師ベイカーさんと言う方であった。その方は日本語が得意でなく、英語で会話しなければならなかった。治療そのものもそれまで安静治療を続けていたのに一転して荒療法が始まり、抗議するわけにもいかず俎板(まないた)の鯉も同然であった私が、辛うじて発した「キリスト教真理を一言であらわすみことばは何か教えて欲しい」という質問に対して示して下さったみことばであった。

 このみことばは、信ずる対象がはっきりしなければ、信じようがないではないかと思っていた私に、ないものねだりをしていてもしょうがないよ、今あなたが信じている神様を喜べばいいんだよと、あれやこれや理屈をつけ、プール際で飛び込むのを躊躇していたも同然の私の肩をそっと押し出す役割を果たしたみことばであった。

 決定的な決め手になったのは、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記15・6)であった。このみことばは当時『創世記』をある方の注解書を参考に読むうちに、強く促されたみことばであった。

 前にも述べたが、私には不如意な身体の痛みが常時あった。一方、結婚しても子どもが与えられないのではないかという不安に苛(さいな)まれていた。その時、アブラム自身(多分75歳前後であったであろうが、子どもがずっと与えられなかった)に主なる神様があなたの腰の骨からあなたの子どもが与えられる。そしてその子孫はあの空の星のように数多くなるであろう、あなたはその星の数を数えることができるのか、とおっしゃる場面がある。

 この場面を50年前、当時下宿させていただいていた足利の旅荘『巌華園』https://gankaen.it-b.comの洋館の一室でその夜読んだ。私の心のうちに素直にアブラムの思い・信仰がそのまま入ってきた。そして自らもアブラムの見上げた星を見ようと、夜半であり、まだ暗闇の濃い外に出た。旅荘の前には小川と橋があり、その手前には畑があった。そこで一人輝くばかりの空を見上げた。満天の星空は私を圧倒した。創造のみわざが胸に迫ってきたからである。私は畑の一隅を見つけ、思わず膝まづいて祈らずにはおれなくなった。

「わたしは今まであなたがおられないと思っていました。だから、そのように歩んで来ました。お許しください。今、あなたがおられることがわかりました。これからはあなたに従って参ります。」

 こんなことばであったかどうかは覚えていないが、大要はこんなところであったろう。それまで弱いくせに肩肘張り、強がっていたに過ぎない無神論者であった私が百八十度向きを変えて、創造主である神様の前に一歩踏み出した瞬間であった。そうこうする内にいつの間にか、空は明けやり、暗闇から光に移り変わる光景まで目の当たりにし、私はますます荘厳な天地万物の創造者を心のうちに覚えさせられたのであった。

 これが、1969年3月12日に、想像もしなかった交通事故を通して地面に叩きつけられた私が、数ヶ月かかって自ら主なる神様の前に出て膝を屈することのできた経緯(いきさつ)であった。しかも、それは決して婚約者が証ししていた十字架のイエス様の贖いの愛を知ったものではなかった。それを体験するためには、私の罪のうちにある汚れは深く、もっともっと多くの時間が必要であった。

 しかし、全知全能の主は、季節外れの雪と交通事故をとおして、私と婚約者の真の不一致にメスを入れ、私たちが同じ主に向かって祈ることのできる自由を与えられ、結婚へとゴーサインを出して下さった。その後も相変わらず両親の結婚反対の態度は変わらなかったが、翌年の1970年4月26日に私たちは結婚した。そしてこのようにキリスト信仰に頑強に反対していた両親にも後には福音は浸透し、父と義父は福音を拒絶する者でなくなり、特に継母と義母は20数年後、主の御前に悔い改めて天国へと凱旋させていただいた。主のなさることは計り知れない。

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