都電にて 嫗のこころ 乗せ来るに 娘心は チョコ手づくり |
「すれちがい」は人間同士の間で絶えず、生じる。しかし、それに対して一々腹を立てていたのでは、愛は成熟しない。
さて、以下私自身が38年前に経験したことを書いてみる。今年は、今日12月1日が日曜日となったが、38年前は11月29日が日曜日であった。日曜日の教会での礼拝に出席し、午後の教会行事も手際よく処理し、大学付属病院に入院中の父を見舞うために道を急いでいた。何しろ、その病院は遠方にあり、電車でほぼ二時間余かかるところにあった。
その6日前の勤労感謝の日には、家族揃って見舞い、父にも喜ばれ、それまでの人生でもっとも心の落ち着く幸いな一時を過ごすことができた。祈りを拒否するであろうと思われた父も頭(こうべ)を垂れて子どもたち五人を交え、私たち夫婦と合わせて8人で祈ることができたからである。その時の私の祈りは、「主なる神様、あなたが、お父さんの病の中にいてください」というものだった。不思議と「病を治してください」ではなかった。
そうして樹木が林立する、小高い丘状に位置するそのサナトリウムを私たちはあとにした。互いに手を振って、「また来るよ」、「また来いよ」といつまでも呼び交わしたい名残惜しい、けれども何か希望の湧いてくるようなひと時を経験させていただいたのだ。
ところが、私はその日曜日、まだ一週間と経たない日時ではあったが、忙しいスケジュールの間隙を縫って、一人ではあったが再び慰問を敢行した。道々、父の好物と思われるお菓子などを買い集めて、遠くでさびしくしているであろう父を喜ばせようとひとしきり道を急いだのだった。
ところがつい一週間前のサナトリウムの外観たたずまいではあったが、病院内では人の動きが激しかった。その内、院内の方々の視線は私が院内に入る動きに自然と収斂した。婦長らしき方が「今朝は元気だったのですが・・・。お宅に何度かお電話したのですが・・・」と言われる。そして霊安室に案内された。父に対面した。
父の遺骸は教会の友人が車を出してくれ、三人がかりで時間をかけて深夜教会まで運び入れることができた。よもやと思ったが、牧師さんが教会で葬儀をやるべしと言い、実行してくださった。あれやこれやで一両日あるいはもっとかもしれないが時は過ぎて行った。ある時は一日中泣き明かした。いくら泣いても泣き足りない思いだった。そのうちふっと苦境にある時に絶えず示されるみことばに目が釘付けされた。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
そうだ、父は、(福音を受け入れることに対して頑固だった)父は、主のあわれみで私たちより一足先に天の御国に行ったのだ。日曜日は「天下御免の寝て曜日」でないか、お前は何で「日曜日」は教会で礼拝しなければならないとがんばるのだ、と公私とも多忙な私の体を心配して言っていた。ある時など、父が瀕死の重傷を負ったにもかかわらず、たまたまその日が日曜日であったので駆け付けなかった時もあったほどの律法主義者であった私。父は召される日の朝、この日は息子家族は教会で礼拝をささげていることを間違い無く知っていたはずだ。
そして、何か父に先を越されたと思い、天晴(あっぱれ)とさえ思った。こんなすばらしい福音をもっともっと多くの人に知っていただきたいと思い、それまでどちらかというと内向きの奉仕であった教会会計の奉仕をやめさせていただき、伝道の奉仕へと牧師に願い出て奉仕分担を変えてもらった。
「すれちがい」と言えば、これほどの父子のすれちがいはないのでないか。人間的に言えば、一直線に私を愛してやまなかった父に対し、私は親不孝そのものだった。すれちがいの元凶だった。しかし主なる神様はまさにこの人間の愚かな行為のうちにちゃんとご自身の計画をもっておられるのだ。問題は鈍い私が知らなかっただけだった。
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