そんな今朝の散歩中、またしても躓きそうになりました。10日ほど前、躓き、しこたま足を強打し医者にもかかったほどにもかかわらず、性懲りもなく、同じ過ちを繰り返しています。まったく我ながら情けないです。先日の同窓会の席でも、皆さんに「躓かれませんように」とご注進申し上げたばかりなのですが、この様(ざま)で、話になりません。そこへ行くと、同行の家内は幸いそのようなことがないのは年齢差三歳の違いですかね(※)。
今や短期記憶のできない家内と、補聴器なしには耳の不自由な私とでは、二人で一人前だと、これまで、やや自嘲気味に今の夫婦関係をなぞってきましたが、最近、肝心の私自身の記憶も怪しくなって来ました。それだけでなく思い込み、思い違いが激しく、この歳になって、自らの自己像も大いに修正されるべきだと思うようになりました。その上、昨日の閣議で、認知症施策の指針となる基本計画が決定され、新聞報道によれば、「急速な高齢化で認知症は『いまや誰もがなり得る』とし、みんなが支え合う共生社会の実現に向け取り組みを推進すると明記した」とありました。そこまで認知症は喫緊の全国民的課題になっていると思わざるを得ませんでした。
のんびりと 親がめ子がめ 日向ぼこ |
今、認知症について、国民的理解が進む中で、我がこととして新たな決意のもと、どのように向き合っていけば良いのか、主イエス様の知恵と助けを叫び求めながら歩みたいと思わされています。
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(旧約聖書 詩篇107篇1節)