2025年1月20日月曜日

甲乙付け難し

鴨くん ごめんね みんなで寛いでいたのにね 2025.1.11

 歌は人間生活に欠かせない。そこには、「詩」がある。漢字は言偏に寺を宛てている、まさしくそういうものであろう。ところでキリスト者生活にはこの歌が欠かせない。この一ヶ月間年末から年始にかけても、聖書輪読と散歩は日々欠かしたことのない日課としてきたが、それに少しずつ讃美を加え始めた。その中で出会ったのがかの有名な『いつくしみ深き友なるイエスは』(※)「と三度も繰り返される讃美歌312番である(今の世、この歌に思い当たらない方も、you tubeで存分に聴くことができますね)。この歌が生まれるにあたってはそれなりの一人の人間の心が、「詩」があった。そして今やその「詩」は全世界に伝えられるようになった。

 この機会に邦文で知ることのできるその「詩」を三つ順次にあげた。いずれの邦文も甲乙付け難しである。読者諸兄姉はどう思われるだろうか。

讃美歌312番の歌詞は

いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを  とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、などかは下さぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは、我らの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、祈りにこたえて 慰めたまわん。

いつくしみ深き 友なるイエスは、かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友我らを 棄て去るときも、祈りに答えて 労(いたわ)りたまわん。

と、なっている。
聖歌607番の歌詞は

罪とがを荷のう 友なるイエスに 打ち明け得るとは いかなる幸ぞ。
安きのなき者 悩み負う者 友なるイエスをば 訪れよかし。

試みの朝(あした) 泣き明かす夜 気落ちせずすべて 打ち明けまつれ。
われらの弱きを 知れるきみのみ われらの涙の もとを読みたもう。

気疲れせし者 重荷負う者 隠れ家なる主に すがれ直ちに。
なが友は笑い 迫害すとも 主はなれを抱(いだ)き 慰めたまわん。

一方、キリスト集会が使用している『日々の歌』180番の歌詞は

心を主イエスに注ぎ出す時、主はいと優しく語らいたもう。
悩みと憂いに沈むその時、主イエスは呼ばれる、みそば近くに。

試みにもだえ涙する夜、痛む心をば主イエスの前に。
私の弱さも涙のもとも、優しい御手もて、抱きとめたもう。

重荷を負う者、疲れた者に、「来なさい」と主イエス呼びかけたもう。
浮世に責められ嘲られても、主はいつも我と、共にいたもう。

※原曲歌詞は”What a friend we have in Jesus ”Joseph Scriven

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、我らの避け所である。(旧約聖書 詩篇62篇8節)

3 件のコメント:

  1. 12/17から途絶えていたブログ。いったい何があったのかと心配していました。
    この件に関しては、何も触れられていませんので、お元気だったのでしょう。

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    1. ご心配いただいてありがとうございます。一日のスケジュールは聖書の朝、昼、晩と三回の輪読とその合間に古利根川を散策し、朝食・昼食や夕食のための買い物、さてはその準備であっという間に時間が過ぎてしまいます。今頃になって主婦の労働の大変さを知るようにさせられています。ブログ制作や読書にも時間をささげたいのですが、とても時間が足りません。特に聖書の輪読と賛美の時間は充実していて、神の言葉である聖書を通して明らかにされる人間の真実な姿はいかなる小説よりも圧倒される真実で、どうしてもそちらの時間を優先してしまっています。それやこれやでブログがほったらかしになってしまいました。悪しからずお許しください。

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    2. お元気ならいいのです。ひょっとして長期の入院でも?などと要らぬ心配をしていました。生活の中で、このプログがあまり優先順位が高くなっていない、ということでしょうかね。

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