2009年10月20日火曜日
単調の中の殉教者(上) カウマン夫人
アメリカ中西部のある大学の小さな礼拝堂に、小さな絵が掲げられています。祈りのために上げられた二つの手を描いたものです。ちょっと見たところ、それは平凡な絵にすぎませんが、その絵には、1490年の昔にさかのぼる感動的な物語が秘められているのです。
フランスで、ふたりの若い木彫りの見習い工が、絵を習いたいと話し合っていました。しかし、そのためには多額の費用がかかります。ハンスもアルブレヒトも非常に貧しい状態にあったのです。とうとうふたりはある解決策を思いつきました。ひとりが働いてお金をもうけ、もうひとりを勉学させる、その人が勉学を終わり、金持ちになり、有名になったら、今度は交替して他を助けるようにすればよい、というのです。
アルブレヒトがベニスに行っている間、ハンスは鉄工として、汗水たらして働きました。彼は賃金を受け取るとすぐ、それを友のもとに送りました。数週が数ヶ月となり、何年かが過ぎました。そしてついにアルブレヒトは、名匠として、富裕な名の知れた画家として、故郷の地に帰って来ました。今度は彼がハンスを助ける番です。ふたりは再会を喜び合いました。しかしアルブレヒトは友を見た時、目に涙があふれてきました。彼はハンスがどんなに犠牲を払ったかを見たのです。何年もの重労働の結果、その繊細な手は堅くなり、傷だらけになっていました。その指で絵筆を握ることは、もう決してできないでしょう。
有名な画家アルブレヒト・デューラーは、深い感謝の念をこめて、労働のために荒れ果てたその手―彼の才能を伸ばすためにこつこつと働いたその手―をかきました。彼は「イエスはその手を彼らにお見せになった」(ルカ24・40 英訳)というみことばの深い意義を悟ったのでした。
タルムードには、ある小作人が富裕な主人の娘と恋に陥った物語がしるされています。娘は父の激しい反対にもかかわらず、その小作人と結婚しました。彼女は、夫が向学心に燃えていることを知って、エルサレムにある大きなラビの学校に行くことを熱心に勧めました。彼は12年間そこで学びました。その間、彼女は、家族からは勘当され、貧しさと孤独の中に生活していたのです。夫はもっと学び続けたいと熱望していましたが、家に帰りました。家の戸口に着いた時、彼は妻が隣人にこう語っているのを立ち聞きしました。
「別れていることは、耐えられないほど苦しいのですけれど、私は、夫が更に学問をするために学校に帰ることを願い、そのために祈っておりますの」。
彼はだれにもひとことも語らず、学校に帰り、更に12年間学びました。そしてもう一度、決然とした歩みを生まれ故郷の村に向けました。しかし今度は、その時代の最もすばらしい、最も博学な人物が帰って来るというので、パレスチナじゅうが彼をほめたたえて沸き返っています。市場にはいると彼は、接待委員の人々に迎えられました。人々が周囲に押し迫ってくる中に、彼は、ひとりの婦人―背は曲がり、顔はしわだらけでした―が、必死に群衆をかき分け、彼の方へ来ようとしているのを認めました。
突然彼は、この早老の婦人が、群衆が無視し押し戻そうとしているこの婦人が、愛する妻であることを悟ったのです。彼は叫びました。
「妻のために道をあけて下さい。名誉を受けるべき者は、私ではなく妻なのです。妻は私が学んでいる間犠牲になっていました。妻が進んで働き、待ち、奉仕し、苦しみを忍んでくれなかったら、私は今日ラビのアケバではなく、小作人であったことでしょう」。
(文章は『一握りの穂』L.B.カウマン著 松代幸太郎訳 信仰良書選18 いのちのことば社 1964年刊行より引用。写真は自宅玄関で見かけた蜜を吸う蝶と花々。)
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