テクテク必死で歩くやどかり 波照間島 by Yuriko.O |
「恐れて弱気になっている者はいないか。その者は家に帰れ。戦友たちの心が、彼の心のようにくじけるといけないから。」
(旧約聖書 申命記20:8)
我らの主イエス・キリストの軍隊では、逃亡は許されます。「弱気になっている者は帰れ」です。
イエスの弟子の、まことの共同体は、確かにひとつの軍隊です。ツィンツェンドルフ伯はこんな詩を作りました。
「あなたは我らすべてをご命令に従わせたもう。
あなたがご命令をなされば、それだけ我々の勝利も多くなる。
ご命令は完全な約束だから。
その約束は、塞がれた行く手を切り開く。
我らは、あなたに祝福された兵士となります。
伝令となり従者となり、突撃兵となりましょう」
よみがえられた主を知り、心から信頼する人は、この軍隊に喜んで身を投じます。
が、弱気になっている者は帰れ! なぜなら彼は主を知らず、その復活の力を全く知らないからです。
自分の力でやり抜こうとするクリスチャン生活は、早晩破綻を来すでしょう。内外からの試練に遭い、世のさげすみと敵対にあわてふためき、弱気な心に取り付かれます。
そのような弱気は、もちろん、悪です。というのは、きょうのみことばを補足する聖句が、聖書の一番最後に出てくるからです。
「おくびょう者・・・の受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある」(黙示21:8)。恐ろしいことばではありませんか! これはつまり、臆病とは、天においても地においても一切の権威が与えられた主を、否むことだ、というわけです。
主とともなる者であることを思い定めましょう。
「おお、キリスト、勝利者よ/御名を輝かしめたもうお方。/我ら、弱き者、惨めな者を助けたまえ/強きみ手をもって」 アーメン
(『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著岸本綋訳7月10日より)
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