庭の一隅にピンクの椿が蕾を見せ始めた。小ぶりの木に咲くこの椿はこれよりは大きめの木で紅い花を咲かせるもう一本の椿に比べると日陰者のような存在である。しかも咲き方が下に向いていてうつむき加減である。ここ二三日の気の滅入るような寒さの中で、このような彩りを提供する植物の妙と造物主の配慮には感嘆させられる。
考えてみると、この庭は31年前は隣家の土地であった。それが父が病を得て、一人息子である私のもとに転がり込んで来、父が買い求めた結果私たちのものとなった土地である。そして、今日はその父が31年前に召された日である。忘れることのない一日である。生きていれば100歳ということか。父は今で言う認知症を患っていたのだ。当時、私たちは何もわからず、昼夜逆転するような父の対応に困り、精神病院に連れて行ったり、同時に結核も患っていたので、近くの結核病院でお世話になったりした。しかし、そこでも扱いに困られて、親戚の世話で家からは遠く離れた大学病院に入院させてもらった 。
近くだと見舞いに行けるが、電車でかれこれ二時間程度かかる場所は心配であったが治療のためやむを得なかった。家内はこの時、五人目の子どもを身ごもっていて、転がり込んで来た父を半年にわたり面倒を見ざるを得ず、一方子どもの育児もあり、それも限界が来ていた。大学病院への転院はやむを得ぬ判断であった。
その年の11月23日の勤労感謝の日には6月に誕生した末の娘も連れ、家族7人で父の見舞いに出かけた。私たちには忘れられない至福の時となった。明らかに主がともに御臨在してくださったのだ。丘の上の窓越しに手を振る父に私たちはいつまでも手を振って幸せ一杯の思いで丘を下った。子だくさんの私を、父は初めてとも言ってもいい言辞で、ねぎらってくれた。私は私で父をふくめて8人で祈ったとき、「お父さんの病のうちにイエス様がともにいてくださいますように」と祈った。なぜか病を癒してくださるようにとは祈らなかった。
そしてそれから一週間ほどして29日、この日は31年前は日曜日であった。教会の礼拝を終え、取るものも取りあえず父の大好物の品々をあちらこちらで買い求めて、父を喜ばせようと、その日は私一人で、その大学病院へ急行した。つい一週間前に降りて行った丘に今度は登って行くのだ、病院内を下から見上げる形であった。しかし近づいてみると、何となく病院内があたふたしているように見えた。入るなり、看護士さんが申し訳なさそうに「お父さんは昼前亡くなりました。ご家庭に何回も連絡したのですが・・・」と言われた(教会に家族がいたので連絡がつかなかったのだ)。そして父の変わり果てた亡骸に対面させられた。私にとって生涯これ以上のショックはなかった。
父は信仰告白をしていず、普段から私の信仰に理解を示そうとしていたが「キリスト教」だけが唯一の宗教でないと反対していたが、なぜか、葬儀は牧師の配慮で教会でさせていただいた。葬儀が終わっても、丸二日泣いていた。どうしてこんなに涙が自分のうちにあるのかと思ったほどだった。家内もともに泣いてくれた。一人息子として父に苦労をかけっぱなしで、事情があったとは言え、同居せず、同居が実現した時にはすでに心が病んでいた父、地上における幸せを何一つ人並みに味わわせてやれなかった無念さも混在していた。
しかし、涙を流し切ったあとにすがすがしい主の御声を聞いた。それは父は私たちより先に天の御国に凱旋したのだ、という私の内なる魂に直接語りかけられた主のおことばであった(信仰告白をするとか、そういうことだけが絶対的な条件でなく、ぼろぼろになって、主の前に心の底から助けを求めていた父を主は憐れまれたにちがいないという確信であった)。そして父にしてやられた、先を越された、と思った。教会生活をこの通り守っていますと言うパリサイ人的な生活をして、それを何よりも良しとしていた私より先にという思いであった。そして父をあっぱれだと思い始めた。
口をついで出て来たことばは次の聖書のみことばであった。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています 。(新約聖書 ローマ8・28)
このみことばは私が栃木県に住んでいた時に、礼拝する教会が近くに見当たらず悩み苦しんでいる時に、洗礼を授けてくださった古山洋右牧師(京都福音自由教会)が心配して泊まりに来て下さり、読んでくださったみことばである。牧師は、「神を愛する人々」と書いてあるけれど、私たち一人一人は生まれながら神を愛する者ではないですよ、そういう私たちを一方的に主があわれんでくださった結果、初めてそう言えるんですよ、そしてその私たちのためにはさらに神様はすべてのことを働かせて益としてくださるんですよ、という意味のことをおっしゃっていた。そのみことばが父の死を前にして再び私の心を支配したのである。
その日から31年が経つ。私はその父と同じ年齢になった。この年齢で父が私恋しさに病に陥ったと思うと切ない。けれども主なる神様は私たちの思いを越えてすべてを支配していてくださることを思う。内外とも身辺一日として心穏やかでない日はない。しかし一たび主イエス様が地上に来てくださり、救いとなってくださり、十字架の死からよみがえられ、今も生きておられ、私たち一人一人のためにとりなし、天の御国を用意してともに住むと言ってくださっている御愛を思うと、そのような沈んだ心も吹き飛んでしまう。
天の父 庭咲く椿 見てゐたり
日陰にて ピンクの椿 面下げる
主イエス様を賛美しつつ、ピンクの椿のように沈める人の心を慰めるものでありたい。
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