2012年11月6日火曜日

三泊四日(転)

 四人部屋はそれぞれカーテンで仕切られている。その場合、最も身近なのはやはり隣のベッドの人である。その隣のベッドからカーテン越しに何やら他国語のような声が時おり聞えてくる。どなたかと携帯で話し中なのか、それとも癒しを求めて何やら呪文を唱えているのか、と思ったくらいだ。それにしても言葉が不鮮明である。ところが昼間、二人の女性が訪ねてきた。その人々の語らいを通して、とたんにその言語が明らかになった。いつもは看護士さんと話しているので日本人だとばかり思っていたが、そうではなかった。

 その方はしきりに看護士さんに頭が痛いと訴えていた。一方、医師は肝臓に針を刺しますが、うまくさせるかわからないがやってみましょうと言われている。時を追うごとにその方がかなり重症なのが分かってきた。でもカーテンで仕切られていて中々その顔を確かめられなかった。けれども第三日目にやっと顔がわかった。明らかに東南アジア系の方であった。

 この方は生死の境目の橋を渡りつつあるように思った。何とかこの方に主イエスさまにある永遠のいのちをお伝えしなければと思い始めた。どんなふうに近づいていいのかも分からないが、とにかくそのことを主に願った。同時にちょうどその夜、祈り会に集まっている方々にも、携帯で祈りを要請した。家内にはみことばの書いた小冊子を持ってきてもらうことにした。私は明日退院である。退院である自分がどのようにしてその方の痛み、苦しみの側に立ってイエスさまのことを伝えることができるのか皆目自信がなかった。しかし、なぜか平安があった。それは朝与えられた、イエスさまと一つなら、その願いは聖なる父が成就してくださるというお約束があったからである。

 ところが、その彼は事もあろうに、突然私たちの病室から別の病室に移されて行ってしまったのである。どこかはわからない。あきらめざるを得なかったが、翌朝早く、9時退院予定の当日ではあったが、三泊四日で少し慣れ親しんだ廊下を一部屋ずつ捜すことにした。何しろ彼の名前はカタカナの長いものであったから容易に見つかると思ったからである。ところが一向に見つからない。そう思って一巡りしたら、何と隣室の四人部屋の表札の上部に彼の名前が見えるではないか。

 ぐずぐずしていると機会を逸すると思ったので検温も終わり、朝食の配膳の前の時間を見計らって隣室に入った。四方向にカーテンばかりが見え、病室は静まり返っている。私は右奥まで一歩、歩を進め、おもむろにカーテンの内側に入った。ところが彼はベッドに寝ていず、椅子に腰掛けて呆然と窓の向こう側の川を眺めていた。私は直ぐ近づき、表札に書いてあった彼の名前で呼びかけ、「イエスさまを知っているでしょう」と言った。彼は「信じているよ」と答えたのだ。私はかまわず彼に以下の祈りの言葉を読んであげた。

愛する主イエスさま

私のわがままのために、代わりに罰せられ死なれたことを感謝いたします。
あなたの流された血によって、すべてのあやまちが赦され忘れられていることも感謝いたします。
あなたを信じますから、死んでからさばかれることがないことも感謝いたします。
あなたを信ずる者は、死んでも生きると約束されていることも感謝いたします。
死ぬことは終わりではありません。あなたと一緒になることです。
私の国籍は天にありますから感謝いたします。
今からのことすべて、あなたにおまかせいたします。
あなたの御名によってお祈りいたします。

アーメン

 彼は私がこのことばを読んでいる間、うなずいたり、眼にはうっすら涙を浮かべているように見えた。そして天を指差し、「信じているよ」と言うのであった。「名前は何?」って聞いたら、「ダニエル」だと言う。すごい名前だ、旧約聖書に登場する王の迫害にあって投ぜられた獅子の穴も恐れなかった信仰の勇者だ。これは表札に書いていなかった。私は思わず主の御名をほめあげずにはおられなかった。よく確かめてみると彼の信仰はフィリピンが母国なのでカトリックであった。しかし、彼の心が直裁にイエスさまの贖罪死を自らのものとしていることだけは確かなように思えた。

 主なる神様は彼と私が地上でこれからも主にあって交わるようにと隣のベッドに置かれたのだろうか。あと一時間足らずで退院しようとしている私に、逆に「元気でね」と彼は言ってくれた。しかも彼と入れ替わりに隣のベッドに入って来た人とも一夜を共にしただけだったが、退院直前には言葉を交わすことができた。歳はほぼ私と同じだが、何も食べられずすべて戻してしまうということでもう三回目の入院だと言うことであった。聞くばかりで慰める言葉もなく、心の中で主にとりなすばかりだった。そうして部屋を後にしようとする頃、今度は先ほどのフィリピン人の方が私の病室に入ってきて、詳しい病状や家族の問題までも話してくれた。私は名刺をわたし、転院しても連絡してね、と言い置いた。頭の痛さはすでに脳に腫瘍ができていてそれによるもので、この病院では手術は出来ず、転院すると言ったからである。

 主のご計画はどうなのか私にはわからない。このような主の恵みのうちに病院生活を送らせていただいて特にお世話になった看護士さんには、同じ看護士として32年前に召されたドイツ人少女リンデの証しの本『実を結ぶ命』を是非渡したかったが、すでに先に帰られており、直接お渡しすることができなかった。しかも彼女は明日は出勤しないと知っていたので、夜勤に入られた看護士さんを通して渡してもらうことにした。その方も入院直後の私の不安を和らげるのに気を配ってくださった方であった。この方には別の薄い本をお渡した。このような知恵や話は自分の力ではとても出来ないことばかりだったが、ごく自然に進行していった事柄である。果たせるかな、その夜、寝入ってしまった私の枕元に「素敵な本をありがとうございました! 大切にします。」という最初の看護士さんからの置き手紙があるのに深夜気づいた。今もって、既に帰られたはずのその方の手にその夜のうちにどのようにして渡ったのかは知る由もないが、この彼女の走り書きのタイミング・ことばほど私を慰めてくれたものはない。

 退院し自宅に戻れば戻るで、昼前、私が入院しているのも知らずに遠来のお客さん(かつての同僚)が訪ねて来てくださり数年ぶりに一時間ほどお交わりを持たせていただいた。それは私たちのお互いにとって全くタイミングの良い必要なお交わりとなった。こうして主は私自身が本当に主のはしため、しもべになるようにとすべてのことを計画しておられることは明らかであった。次回はそのまとめをしてみたい。最後に『実を結ぶ命』に記されているみことばの一つを紹介する。

彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。(新約聖書 ヘブル13・7)

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