時期遅れの紫陽花(小金井市立第二中学の植え込み内) |
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。(1ペテロ3・18)
「悪い人の身代わり」。悪い人とは私自身ではないか、私の罪の身代わりとなって死なれたイエス様がそこにおられました。私は自分の罪と向き合って来なかったのです。自分勝手に生きて来た私のために十字架にかかって贖ってくださったイエス様に悔い改めることをしてこなかった、救われていなかったと思わされました。悔い改めることなく、イエス様をお伝えすることはできない、お証にもならない。イエス様にお会いすることすらできない。悔い改めの時をいただきました。
さらに、みことばは、
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。悪いなまけ者のしもべだ。(マタイ25・25〜26)
「悪いなまけ者」心に突き刺さりました。一タラント、イエス様からいただいたいのちのタラントを地の中に隠している。自分だけのものにしている。救われて自分だけ喜んでいていいのだろうか。そして、あなたの家、あなたの家族のところに帰り、「知らせなさい」。「知らせなさい」とイエス様は言われている。夫や子どもたちに謝っていないことをイエス様はご存知でした。私には何もできないことも、イエス様がしてくださることも事実です。家族の救いは約束されていること、これも確かな約束です。宣べ伝えなかったら、私はわざわいにあいます。もう逃げも隠れもできません。
さらに、
主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。(エレミヤ20・9)
イエス様ごめんなさい。私はイエス様のたいせつなみことばを閉じ込めています。
名古屋にいる長男に会いに行きました。日曜礼拝、若者の交わり会へとイエス様が運んでくださり、聖書のことばを、証を聞くことができました。二週間後に帰って来た息子は、突然お母さんに何があったのと聞いて来ました。みことばを伝えました。
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。(ヨハネ9・1〜3)
長男は生後三日目に心臓に異常があると言われました。出産してホッとしたところを突然突き落とされたようでした。私のお腹の中で何が起きたのだろう、何がいけなかったのだろう、この子の病気は一生治らないのだろうか。医者からは具合が悪くなったらすぐ病院へ。○○が一番恐いからといつも言われ続け、この子を一生守ってあげることはできない、不安の消える日はありませんでした。健康志向に走っていきました。
お互いの心の正直な思いを話する時が与えられました。 「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。」このことばがずっと欲しかったと言いました。自分で自分の心を責めていたからです。お母さんはずっとぼくのことを負っていくんだろうな、と思っていた。だから心配かけないように、迷惑かけないようにがんばってきたと言いました。
息子の心にも負担をかけていた、そんなふうに思わせてしまったこと、今までのことを心から謝りました。
「神のわざがこの人に現われるためです。」
息子にしっかり伝えました。
「うれしいね」
と感謝しました。
イエス様はすべて、すべてご存知でした。私の手帳に始めて書いたみことば、ヨハネ9・1〜3、主のあわれみに感謝いたします。
みことばをいただいて重荷から解放されたこと、病気をいただいて、弱さもいただいて良かったねとも話しました。「あなたは天国の特別の子どもらしいよ」と伝えました。
イエス様を信じて罪が赦されてすべてが忘れられていることを、ゆいが天国にいることを、永遠のいのちをいただいて家族が一つとなって天国に導かれていきたいと、
それが
何よりの私の願いだと伝えました。
私たち家族はやっと一歩を踏み出したところです。いつもともにいてくださるイエス様に信頼しきって、たいせつな方々にイエス様のいのちのみことばをお伝えしていきたいと祈り願っています。みことばをお読みして結びます。
「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。(黙示22・20〜21)
(いったいこの方の証のどこが私の心を惹きつけるのか考えてみました。そしてみことばと証をする方が一体となっておられることに気づかされました。私に必要なのはそうした素直さなのだと思わされました。読者の皆さんはいかが感じられたでしょうか。)