彦根城中堀に面する旧彦根高商講堂※ |
以前、吉本隆明氏について書いたことがある。http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2012/03/blog-post_16.html その折りの講演記録が、今回出版された本の中に収録されているのを知った。早速、図書館に講読を申し込んで先頃手にすることができた。
講演の題名は『「ナショナリズム」について』で、1965年11月30日がその講演日であった。あれから今日半世紀が経とうとしている。なし崩し的に進む、今日の暴力的とも言える政権側の安保法制に唯々諾々と従っているとしか見えない私ども日本国民の姿は一体どうしたことか。これが日本のアイデンティティー確立の唯一の正しい道なのだろうか、悲しくなってくる。
50年前、学園に、「吉本氏現われる」のニュースは燎原の火のごとく広まって行った。弱小の地方の大学にどうして吉本隆明氏が来てくれるのだろうか、半信半疑であった私はそれでも興奮の面持ちでその講演会に臨んだ。再録された記録によると、まぎれもないその時の熱気が伝わってくる。冒頭と末尾のセリフだ。
「ただいま紹介のあった吉本です」
「現在でいえば、新憲法みたいな形で国家の幻想の共同性は法的に守られているのですが、これを越えてなにか知らないけれども世界の最高の段階に上昇せざるをえないという課題で共同性をむすぶのでなく、この上昇したところから再び大衆の原像にもどってくるところに課題を考えるのが僕らの立場です。(略)
こういう考えは、戦争体験とか、さまざまの思考の径路が錯綜して、自分の中に形成されてきたのですが、しかし僕の考えているナショナリズムの基本的な問題は、そういうところにあるのであって、それが思想の問題であって、たんなる自然過程は思想の問題でないというのは、それは、啓蒙の問題で、カタライザーとしてどう媒介できるかにすぎないということで、本当の思想の問題はそんなところに存在しないということを申しあげれば私としては、皆さんにお伝えすることの具体的なことはすべて終わるわけです。
これからは質疑とか討論の過程でもっとこまかいこと、もっと別のことについても話しあっていきたいと思います。せっかく来たんですからできるだけおつきあいして帰りたいと思います。これで・・・・。」
このような吉本隆明氏の言明は、当時私たち左翼学生からは保守派論客としか見えていなかった江藤淳や福田恆存に対する新評価とあいまって新鮮な驚きとなって私は一挙にその思想の虜となっていった。たまたま今回の出身校の恩師の卒業生にあててのことばやAFS留学生の外から見た日本のありかたを古い新聞から捜し当てて読んだのだが、いみじくもこの講演に裏から光を当てている感じがした。
恩師の言はある意味で知識人が大衆をリードすべき存在であるという視点に貫かれていた。しかし吉本氏はそのようなことはおぞましいと考えたのでないか。各人が生活の中で思想を持つのは極めて自然過程であって各人がそれぞれ自らどのように思想を構築するかその競いあいだと考えたのでないか。 AFS留学生の4名からなる座談会の見出しは「実践力に欠ける日本人 理論づくめでは駄目」とあった。きわめて具体的な提言である。もし吉本氏がこの高校新聞の記事を読むとすれば、どう言ったのだろうか。
主イエス様に出会うまで、私は熱狂的な吉本シンパであった。その吉本氏の実像は後生の人々を通じて明らかになっていく。講演集の月報に三浦雅士氏が書き連ねていることもその一つかも知れない。
結局、吉本氏も当然時代の子であって、新しい世代の代弁者であったのだ、と今にして思い知る。
しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。(ヘブル7・24〜26)
(※この講堂を沿って進み右側に位置した階段教室で半世紀前吉本氏は講演した。私の叔父はこの講堂に何度となく出入りしたことであろう。叔父も私もこの学園にお世話になったが、昨日叔父が亡くなったという知らせを聞いた。不覚にも叔父には余りこの学園のことを聞かず仕舞いであった。今となっては、生意気盛りで身の程知らずであった高校3年生の私に諄々と「衣食足りて礼節を知る」と経済学の効用を解き、諌めてくれた叔父がひとえに懐かしい。http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2015/04/blog-post_17.html)