彦根東高校新聞(64、65合併号 71号) |
それは私の中学三年の時のことでした。定期試験で数学の先生からクラス一同、みんなひどい点数をもらって愕然と色を失い、生徒控え所である雨天体操場で、そのことについて皆でワイワイ話し合っていました。丁度日華事変の始まった頃で、雨天体操場の真中からむこう側半分には、近日中に中国の野戦に出かける兵士が沢山泊っていました。彼らは出動するまでのひとときを半ば持て余し気味に、小銃の手入れをしたり、外套を背のうに結びつけてみたり、身の廻りの品を整とんしたりしていましたが、私達はその横で兵士たちには全然無関係なこと、即ち何故あの先生はあんなひどい点をくれたのだろう。あの先生が怒ると数学だけで遠慮なく落第させるそうだなどと心配そうに話し合っていたのでした。
その時突然、その兵士の中の一人のおっさんが私たち中学生に向かって大きい声でこうさけびました。「ヨカ、ヨカ、零点たっちゃ飯は喰わるる!」その兵士は召集される前におそらく百姓でもしていたのでしょう。陽に焼けた真っ黒な顔をほころばせながら私達にこういう意味のことを叫んだのです。いいじゃないか。学科が零点でも人間は御飯が喰えるんだ。その声が余り大きかったので今までざわついていた広い雨天体操場が一瞬急に静かになりましたが、それはすぐに兵士たちの大きな爆笑にかわりました。私達中学生もその爆笑につりこまれて思わず一緒に笑い出しました。みんな心の中で何かほっとしたような気になって。
それから十年たちました。敗戦後のその頃、私はソ連の捕虜として将校待遇の特権も取り上げられ、連日激しい肉体労働におわれていました。きびしいノルマにおわれて穴を掘り、石を割り、小麦粉の袋をかつがされました。みるみる身体は衰弱しやがて栄養失調になり、手足はやせ細りましたが顔はうっとうしい位大きくはれました。弱り切った一人の捕虜に毎日の肉体労働は余りにも重荷でした。今日一日仕事ができるだろうか。明日は本当に倒れてしまうのではないだろうか。私はとうとう人生のギリギリの瀬戸際に追い込まれたのでした。
人間は肉体が衰弱すると頭脳の働きも鈍って意識がもうろうとなってくるものです。こうなりますと一人の捕虜が持っている学歴とか教養とか知性というものは如何にも無力なものでした。一時あれほど流れた汗も今は全く出なくなりました。私は鼻汁をたらしハアハアと荒い呼吸をしながらノロノロと毎日身体を動かしていました。あらゆる虚飾を削りおとされて今、私は一人の単純な肉体労働をする捕虜になりました。そしてこの弱り切った捕虜がそういう混濁した意識の中ではっきり聴いたのはあの「ヨカ、ヨカ、零点たっちゃ飯は喰わるる」という叫びでした。俺はやっとあの叫び声の意味が分かったような気がする。しかし、俺はもう死ぬかも知れん、私はそう思いました。
それからもう十年たって、卒業していくあなたがたにこの文章を書いています。あなた方の大部分は将来頭脳を使う職業につくだろうと思います。これは大切な職業です。しかしそうであるが故にこれだけの事をあなたがたに言いたいのです。
一、こんな悲惨な体験はしなくても宜しいが、厳密な意味での労働を味わわないで人生の全部は分からないのじゃないか。
二、あなた方は何らかの意味で社会の指導者になってもらう人たちだと思います。そうでなくても中堅分子になってもらう人たちです。その場合「ヨカ、ヨカ、零点たっちゃ飯は喰わるる」と叫ぶ事のできるいわゆる大衆を自分は将来指導する立場にたつかも知れない或いはそういう大衆とつきあってゆくのだという謙虚な気持ちを忘れないでほしいということです。
(帰省中、高校時代の新聞を引き出して眺めていた。その中で、一年の三学期の1959年の3月7日に発行された64、65合併号に掲載されていた21人の教師団が卒業生に贈る言葉の中にあったある先生の文章にまず着目させられた。上記の文章がそれである。恐らくご自身の戦争体験とそれらを突き抜けるかのような一兵士の何気ない言葉に闊達さを発見し、労働する者の強みを通して、何が人間にとって大切かを考えさせようとなさったのでないだろうか。肝心の最後の提言は大変なエリート意識があふれていて辟易させられるが、高校進学率が50%台、大学進学率が10%台という背景があると思う。私はこの先生に「一般社会」という科目を教わった。内容がつかめず苦労した科目でつねに60点そこそこの成績だったように記憶する。後年、私も教師になり「現代社会」という科目を通して高校生諸君とともに社会のあり方を考えるなんて当時は想像もしなかった。
「時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。」箴言25・11
次に、もう一つ気づかされたことがあった。それは21人の教師団が贈られることばの最初の先生のそれは逆に最も短く「人はパンだけに生きるにあらず」マタイ伝とあったからである。久しく私はこのことばをどのようにして知ったのかがわからなかったのだが、この新聞の先生の言葉を通して知るようになったのでないかと思った。けれども、このことばは確かに聖書のことばにはちがいないが、その半面しかあらわしていない。語られる先生にはその信仰がなかったからであろう。だからその同じ新聞紙面に上のような「キリスト教」と題する生徒の投稿が載せてあるのは大変な編集の妙だと一人感心した。そして、その生徒が展開するのは上記の先生の人生観をも凌駕するかのような論評であるからである。明日はそれを紹介しよう。)
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