高校校舎、道路に面した校門は伊勢湾台風で壊れた |
昨日、一年ぶりに高校の同窓生と会うことが出来た。先日新幹線車内でお会いしたIk君も元気な姿を見せてくださった。総勢25名で一夕をともにした。関西からわざわざ二名の方がお見えになったが、あとは東京、横浜、千葉、埼玉に在住する者が集まった。昨年は37名集ったので、10名強の不参加者になった。この一年間に二名の方が亡くなられ、欠席者の三分の一はご病気のゆえであった。
毎年12月の第一土曜日に招集される同期会は実に根気強く持たれ、今年で32回目を数える。私は同期会の中では新参者の部類に属し、過去三年間続いて出席できたが、それ以前は散発的に二、三回 参加した程度に過ぎなかった。ところが昨年と今年と名簿順の幹事の役がまわってきた。そして幹事は同姓同名の二人であったことも以前このブログhttp://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2013/12/blog-post_9.htmlで書いた通りである。
同期会は初めに前座のようなものがあり、出席者の中から一人が何か気の利いた話をしてくださる。一昨年は「道中記」の紹介、昨年は珍しい苗字の紹介とそれぞれ工夫を凝らして話をしてくださる方がおられた。今年はめぼしい方が思いつかなかった。そこで思い立ったのが三年間の高校新聞に描かれている誌面の紹介だった。
たまたま、帰省時に家で見つけた赤茶けて破れかかっている新聞が三号ほどあり、内容がすばらしかったのでその他の号も見たくなり、高校に出かけて縮刷版のコピーをいただいて帰って来た(※)。年間5号、三年間で15号、ブランケット判で46枚の大部の資料であった。縮刷版のため文字は細かく読むのもままならなかったが、何かこれを追求すれば、皆さんに喜んでいただける話ができると思うようになった。それで我流でもあり、氷山の一角のものにすぎないとは思ったが、各学年の特徴を追ったA4版で4頁にまとめた資料を名簿と一緒に出席者に配布した。
ただ、もともと懇親が目的だから、当方が用意した資料は必ずしも必要なものではないとは承知していた。ただ準備に何日もかかり仕上げたものなので披露しないでこのままみすみす帰ってくるのも惜しいので機会をうかがっていた。ところが参加者の一人の方が資料を見て、「何よ、今更。高校時代! あなた、あの高校時代がそんなに良かったの!」と一蹴された。この一言は鮮やかだった。私は瞬間自らの作業の無意味を悟った。
結局、皆さんの前でこの「高校新聞史」を話すのは、当初私が考えていたものの三分の一程度に削減せざるを得なかった。結果的にはこれはこれで良かった。以降、24人の方々がこもごも近況報告をなさり、現在の自分(史)を語られ、校歌斉唱のあと、会はあっと言う間に散会の時を迎えることができたからである。その自分(史)の大半は闘病経験であったり、健康法であったり、老後や死後の身の処し方が中心であった。
(※この内容については今年の5月の二つのブログで紹介した。http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2015/05/blog-post_26.html http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2015/05/blog-post_28.html )
そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」(2列王紀20・1)
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