彼とともに歩みし日の聖かりしことよ
麦の畠の中を
人なき荒野の小道を
疲れ、行きなやんで
幾度か私の腕に倚り給うこともあった
私は若かった
腕は強かった
この腕で負いまいらせた
主よ、今私は弱り、老い衰え、ふるえます
御手にすがらせ給え
御腕もて抱き給え
いかに御腕の強きことよ
黄昏は歩を進めて来ます
主よ、急ぎましょう
このやかましい街を去って
ベタニヤへと急ぎましょう
マリヤの微笑みが門で待っています
マルタの忙しい手が
楽しい夕飯を調(ととの)えています
ヤコブよ、早く来なさい、主は待ち給う
視(み)よ、ペテロは一足先に往く
何?友よ、『ここはエペソです』と!
『キリストは疾(と)くに御国に帰り給うた』と!
よし、よし、それは知っている
しかし私は、今再び故郷の山に登って
先生に触ったように思ったのだ
おお主の御衣に触れた人の
枯れたる手足に力の蘇(よみがえ)ったのを
幾度目撃したことであろう
その力を私の四肢にも感ずる
立て、今一度私を私の教会につれて往け
今一度!
主の愛を彼らに今一度語ろう
主の御臨在は今は特に近くに思える
主の御声は今日特に親しく感ずる
年とともに肉の面帕(かおおおい)は薄くなった私は
墓のかなたをさえ見透し得る
この面帕を取り去らんとて
主は今私に近づき給う
おん足音がきこえるではないか
私の頭をもたげてくれ
如何に暗いことよ
愛する私の群れの人々の顔さえ見えない
泣いているのか、あれは海の波の音か
黙せよ、わが子供らよ
神はその独り子を給うほどに世を愛し給えり
されば汝ら互いに相愛せよ、アーメン
恐れるこの世に私が遺す形見はこれだけだ
私の仕事は終ったと感ずる
私をつれて帰れ
街路は人で一杯か
(この詩は無名の方のものを青木澄十郎氏が訳されたものであるが、明日もその続きをお載せするから、結構長い詩である。氏は訳しながら私も主イエスをかように慕いつつこの世を去りたいと思いますと言っておられるが、青木氏自身の人生が掛け値なしのそういう人生だったと思う。まさに「文は人なり」である。青木氏は物の本によると1870年岩槻に生まれ1964年まで生きておられたと言うから、ちょうど先の東京オリンピックの年に召された方である。『聖ヨハネの最後の手紙』と題してヨハネについて次のように書いておられる。ヨハネはその晩年をエペソで過ごし、七つの教会の世話をしていたという伝説は確実なものであると見て良かろう。ロマのドミシャン帝の時にパトモスに流され、ネルバ帝の時に赦されて再びエペソに帰ったのであるから、黙示録の書かれた時はおよそ推測ができる。それは紀元95年頃と思われる。ヨハネは主イエスより5、6歳年少者であったと見てもこの時には95歳ぐらいである・・・)
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