六人の 白衣の天使 巣立つ秋 |
翌日、今度は『みとりし』という、2019年に公開された映画を観た。いずれ訪れるであろう死を真正面に取り扱っていて、正直目を背けたくなる内容だったが、この映画もまた、死と女性の存在を深く教えられる内容だった。それと並行するかのように、岸田首相の内閣改造にまつわる発言「女性ならではの感性や共感力も十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」がいろんな方々から問題とされていた。しかし、果たして自分は無縁と言えるだろうかという思いが、実は私にはあった。
果たせるかな、そんな日の次の日に、久しぶりに図書館に行った。そして何の気なしに書架の新蔵書棚を見ている時、この本『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる著 中央公論新社 2023年5月刊行)を見つけた。孫娘が看護師を志していることもあって、この手の本に無関心ではない。しかし、「ナイチンゲール」ということばにはひっかかった。何か、立派な看護婦さんの模範的な行為が描かれているのではないかという警戒心(?)であった。そんなものは読みたくないという私の「わがまま」があった。
しかし、読んでみて驚いた。ここには連日観た映画の底辺を抉(えぐ)る「答え」が書かれていることはもちろんのこと、今もなお続く一国の首相自身も陥っている日本社会の陥穽(かんせい)を、一人の看護婦「大関和(おおぜき ちか)」の誕生の描写をとおして深く教えられ、考えさせられたからである。さしずめ、廃娼運動を始めた矢島揖子(やじま かじこ)のことばとして作中で語られているものなど、明治時代のこととは言え、今だに日本社会の根底にある病根を指し示す一つでないだろうか。
「公娼制度は遊郭の女たちだけの問題ではありません。金で女を買うことができる、それを政府が公認しているということが、この国の女性観に決定的な影響を与えているのです。富のある男が妾を囲うことが誉れとされるのも、女は金で買えるという考えがあるからです。」「政府は男には遊郭を用意しながら、女が不貞を働けば姦通罪に問うのですから、これ以上の不公平はありません」(同書118頁)
このような日本社会の病根に対して、下野国黒羽藩(現栃木県大田原市)の家老の娘という出自を持つ大関和(おおぜき ちか)が、妾(めかけ)を良しとする婚家を抜け出て、二人の子どもを持つ身として、その後いかにして自立していくかが描かれていく。婚家先での大地主の嫁の地位を捨てた彼女は生活の糧を得るために、最初携わった仕事は「女中」であった。その彼女がめぐりめぐって、どのようにして日本で最初の「看護婦」になり、それだけでなく、たくさんの看護婦を養成したか、その歩みが著者の筆を通して、ていねいに追われていく。
私はこの本を結局二回読まざるを得なかった。それは二回読んでも消えることのない感動の物語であったからである。そしてこの本の表紙絵(上掲のもの)こそ、そのなぞを一挙に明らかに示してくれる格好の絵でないかと思った。
時は、今を去る、135年前、明治21年(1888年)の秋のことであった。桜井看護学校での一年目の座学、二年目の病院実習を終えての修了証書が卒業生六名に渡されたが、それを記念して、同校の寄宿舎の庭で撮られた写真がもとになったイラストである。この本の中心人物である大関和は同校の生徒として、正面に座っているスコットランドから来た教師アグネス(40代)を中心にして向かって右に座っている。その左には和が何かと頼りにした戦友とも言うべき鈴木雅が座っている。いずれも28歳、29歳で、この時それぞれ二人の子どもを持つシングルマザーであった、それ以外の四人はいずれも20歳前後の若き乙女たちであったが、その六人のうち三人が看護婦に、そして残りの三人は看護婦でありながら廃娼運動にかかわっていくのだ。
職業としての看護婦が市民権を得る道と廃娼運動をとおし女性の真の解放を勝ち取る戦いは明治・大正・昭和の激動の時代の中で、相携えて進みゆく二つの働きであった。それが一枚の写真のナイチンゲール看護学校の制服を模した、「スタンドカラーの紺のロングドレスとその上に胸当てのある白いエプロンをかけ、動きやすい編み上げ靴を履いた」(同書98頁)日本初の看護婦誕生を記念すべき写真に盛り込まれていると私には思われてならないからである。そして、そのふたつの道は、大関和を、鈴木雅を終生終わることなく突き動かした動機であった。
主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。(旧約聖書 詩篇3篇1節〜3節)
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