秋来る 文化の宝庫 図書館 |
「夏の猛暑の日、和は若い看護婦たちと一緒に、鶏肉とネギを加えたうどんを作り、大鍋ごと井戸水で冷やしてから、「冷やしうどん」として提供し、住民たちから喜ばれる。育ち盛りの子どもたちは何杯もおかわりをし、白衣にエプロン姿できびきびと働く看護婦たちに憧れのまなざしを向ける女の子たちもいた。
和が額の汗をぬぐいながら辺りを見まわすと、安田がいつものように空き地の片隅に座り、食前の祈りを捧げている。以前に比べると、ずいぶんと痩せたようだ。顔色も悪い。近づいていき、「安田さん、どこかお悪いのではありませんか。私が付き添いますから、大きな病院で診察を受けませんか。すぐそこの慈恵医院が施療を行っています」と声をかけた。芝新網町の目と鼻の先にある慈恵医院は、創立以来、貧者への無償診療を続けていた。
安田は、「自分の体のごどは自分が一番よぐわがってるよ。大丈夫。心配すんな」と言いながら、うどんを口にした。そのとき、弱い地震があった。すぐに収まったのだが、安田は落ち着かない様子だ。
「安田さん、意外と気が小さいのですね』
和が軽口を叩くと、彼は少し躊躇(ためら)ってからこう言った。
「おらぁ明治29年の三陸地震のどぎ、大津波で家族をみんな亡ぐすたんだ。四人いだ子どもだづも全員亡ぐすたのさ。もう10年以上経づげっとも、地震がくっとあの日のごど思い出すておっかねぐなんだ。もうあんな思いは二度どすてぐね。みんな忘れでくて、遠ぐさ遠ぐさど歩いで、東京さ着いだのさ」
和は言葉を失い、無精ひげに覆われた安田の横顔を見つめる。この人はいったいどんな思いで、この十数年を生きてきたのだろう。深い悲しみや埋められない喪失感を知っているからこそ、自分を気遣い、心の命日に声をかけてくれたのかもしれない。それなのに「娘のことには触れないでください」などと突っぱねてしまった。
「このごとを人さ話したのは、看護婦さんが初めてだど、話せるようになったつうごどがなあ。少すは悲すみが和らいでいるのかもしれねえなあ。家族さは申す訳ねぇげっとも」
最後の方を独りごとのように言いながら安田がふり向くと、和が滂沱(ぼうだ)の涙をエプロンでぬぐっていた。この日、安田はうどんをほとんど残した。
二週間後に芝新網町に炊き出しへ行くと、安田の姿がなかった。和が自宅を訪ねると、すっかりやせ細った安田が、せんべい布団にくるまっている。彼は自分が末期の胃癌であることを知っていた。和は、炊き出しの雑炊を食べさせようとしたが、もはや彼の体は受け付けなかった。
「おらは耶蘇教さ出会えでほんとによかったよ。天国で子どもだづさ会えるど思うど、死ぬのもおっかねぐねぇ」
「天国へはいつでも行けますよ。もう少しこちらにいてください」
和が安田の手を握る。
「いや、おらはもう十分生ぎだ。最期に看護婦さんさも会えだ。そろそろ天国さ行がせでもらう。看護婦さんの娘さんさ会ったら、『母ちゃんは、人のために一生懸命に働いでだよ』ど伝えるよ」
安田が心に語りかける姿が目に浮かぶ。心が亡くなったばかりの頃、まわりから「心ちゃんは天国にいるから、いずれ再会できる」と言われても、まったく聞く耳を持てなかったが、今は安田と家族の再会を強く信じることができる。同様に、自分もいつか心に会えるような気がしてくる。
この日から毎日、和は安田の看護に通う。雲一つない秋晴れの午後、安田は家族が待つ天国へと旅立った。」
和の悲しみを癒すにふさわしい安田氏の最後の主にある証ではなかっただろうか。このあと和自身はさらに20数年生きる。そして公的には「大正12年9月1日の未曾有の大震災を経ましてから、兎角(とにかく)病気がちになりまして、ただ神の寵愛の中に静かに暮らしております」と昭和3年(1928年)に述べられていたが、四年後74歳で召されて行った。
今年は時あたかも関東大震災から百年が経過したとして、様々な追悼記事を目にする。大関和たちはその関東大震災の中でも機敏よく負傷者を救助する。それはいかに歳を取ろうと若き時に身につけたトレインド・ナースとしての気概であったと思う。そしてその救護活動は吉原の娼妓たちへと向かい、これが看護婦大関和の最後の仕事であったという。文字通り、その生涯を捧げることになったその成果は、百年後、衛生思想の普及、衛生環境の整備とともに、トレインド・ナースは、今日看護師となって女性だけでなく男性も従事する専門職になっている。
振り返れば、ここ3、4年、百年前のコレラや赤痢という伝染病に置き換わり、猛威をふるう新型コロナに振り回された日々であった。この間、このコロナという感染病予防とその治療のために医療従事者の方々がその最前線でどのように戦っていてくださるかは想像に難くない。そのような時に、その原点に立ち返るべく、この骨太で実に行き届いた著作『明治のナイチンゲール 大関和物語』を江湖にお送りくださった著者に深甚なる感謝を捧げたい思いで一杯である。
『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。・・・・』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(新約聖書 マタイの福音書25章37節、40節)
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