うろこ雲 海を描いて 彼岸花 |
「ナイチンゲールはイギリスの看護婦です。クリミア戦争のとき、38人からなる篤志看護婦団を結成し、短期間のうちに野戦病院における死亡率を43パーセントから2パーセントにまで激減させることに成功しました。これによって看護婦の必要性を世に知らしめました。夜間、ランプを手に全長6キロもある野戦病院の病棟を巡回し、眠れない患者、苦しむ患者に寄り添う姿は、『ランプの貴婦人』『クリミアの天使』と呼ばれました」(同書76頁)
そして以下は「ナイチンゲール語録」と言ってもいいものだ。
「あなた方は、自分が十分な仕事を成し遂げたときに、『女性にしてはお見事です』などと言われることを望んでいないであろう。ましてや『見事だけれども、やるべきではなかった 。なぜなら、それは女性にふさわしい仕事ではないからだ』と言われるからといって、仕事をすることをためらうこともないだろう。あなた方は、『女性にふさわしく』あろうとなかろうと、とにかく良い仕事をしたいと願っているのだ。『女性にしてはお見事です』と褒められたところで、その仕事が優れたものになるわけでもないし、男性の仕事とされていることを女性がしたからといって、その仕事の価値が下がるわけでもない。どうかあなた方はこうしたたわ言に耳を貸さず、誠心誠意、神に与えられた仕事を全うしてほしい。」(83〜84頁)
「(矢島揖子は言う。)看護ぞれ自体によって救える命もあれば、看護婦という職業を確立し、女性の経済的な自立を図ることで、間接的に救える命もあります。ナイチンゲールも、They're a lady, be independent. Stand up by your foot.と言っています。『女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい。』」(91頁)
「看護婦は他人の噂をふれ歩くような人間であってはならない。作り話をしてはならない。受け持ちの病人に関して質問をする権限を持つ人以外から質問を受けても、何も答えてはならない。言うまでもないが、看護婦はあくまでも真面目でかつ正直でなければならない」(106頁)
「(白衣の天使は)花をまき散らしながら歩く者ではなく、人を健康へと導くために、人が忌み嫌う仕事を感謝されることなくやりこなす者」(122頁)
「Regardless to any work, it is only in the field is to be able to learn in practice.(どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶことができるのは現場においてのみである)」(176頁)
「病院の第一の条件は、患者に害を与えないことです」(185頁)
これらの断片的に記されている、ナイチンゲールの考え方は、読者である私にとっていずれもゆるがせにできないことばであった。そしてこの本において最後まで決着のつかない問題がナイチンゲールの本意をめぐって、大関和と鈴木雅との間で繰り返される。看護婦は献身・自己犠牲を旨とすべきかどうかという大問題であった。
「犠牲を払っているなどとは決して考えない、熱心な、明るい、活発な女性こそ、本当の看護婦といえるのです」「犠牲なき献身こそ真の奉仕である」(265頁)
その後、25日には東京新聞の「本音のコラム」欄で、看護師の宮子あずさ氏は「裸の王様」と題して例の女性差別の原点がどこにあるかを明らかにしていた。翌日26日には、某自治体の市長選挙の立候補者の出馬動機を紹介する文中に「信条はナイチンゲールの『白衣の天使とは人々の苦悩を背負う者のことである』という言葉だ」があった。偶然とは言え、私にとって、もはやナイチンゲールは単なる偉人ではなくなった。今夏の苦しい日々の末、このような人々の存在に遅まきながら気づかせていただいたことに尽きない感謝を覚える。
最後に蛇足ながら、二つの良書を紹介しておきたい。
『ナイチンゲール 看護覚え書 イラスト・図解 でよくわかる!』
(金井一薫編著 西東社)
『ナイティンゲール 看護覚え書 決定版 』
(ヴィクター・スクレトコヴィッチ編 助川尚子訳 医学書院)
神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。・・・そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。(旧約聖書 創世記1章26節27節31節 2章1節2節)
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