イヌタデの 盛んなる秋 訪れる |
果たせるかな、家内は「イヌタデ」だと宣った(※)。それにしてもなかなか可愛い葉っぱだなと、写真を見て思っていたが、この雑草めとばかり限られた時間の中で「イヌタデ」を根っこから片っ端に引っこ抜いて、やれやれ一安心と思いながら、こちらに昨日遅く帰ってきた。
家に帰って、ネットでさまざまなことを調べるうちに、「イヌタデ」は「アカマンマ」とも言われ、先端に赤い果実を咲かせ、秋の季語であることを知った。途端に我が行為の愚かさを想うた。考えてみれば、確かにこれまでは気がつかなかったが、秋の訪れとともに「イヌタデ」は芽を出すべき草花として、今や人類が不倶戴天の敵と称する「沸騰化」の夏にもかかわらず、ちゃんと育って、今地上に姿を現したのだ、むしろ感謝こそすれ、何と短見な行為よと我ながら恥ずかしくなった。
かの憎き「どくだみ」についても、稲畑汀子に
十薬をはびこらせたる庭に住む
を初めとして様々な俳人の方が、いろんな観点から俳句を詠まれていることを知った。
遅まきながら、私も風流を解したいなと思わされた。
※家内の言 そのときパッと名前が出てきた。父のおかげだと、小さい頃お父さんに連れられて草花を愛でたことを懐かしんだ。そして、これも牧野富太郎盛んなりしころの小学校教員であった父の姿であったとも言う。
神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。(新約聖書 1テモテ4章4節)
0 件のコメント:
コメントを投稿