「伊吹山」です。手前の川は、「姉川」のつもりです。先週土曜日(9/7)、米原発大垣行きの列車の車窓から撮りました。伊吹山は父の故郷です。その父は農学校を卒業して師範を目指しました。残念ながら、不合格でしたが、臨時教員養成所に入り、教員の道を歩んだようです。それが戦前の父の姿でした。
しかし、私が父の仕事を知った時は、教員でなく、農林省の食糧検査官としての父でした。私は父にそのへんの事情を尋ねることもなく、また父も話さなかったために、詳しいことは知らず仕舞いでした。その父は1981年(昭和56年)に69歳で召されました。
召されて後に、父の日記やアルバムなどを見て、父の思いを少し知るようになりました。師範を受験する際の猛勉強も日記に記していましたし、教員になってからの記録には「姉川」のことが書いてあり、私にとって。車窓からとは言え、いつも食い入るように見る風景の一つです。
この伊吹山(※)には二回程度登った記憶があります。多分父に連れられての登山だったと思いますが、それ以上の記憶がありません。ほとんど、この山野を駆け巡ったであろう父は。夫を戦争で亡くした母が嫁ぎ先のお家存続のためにと切望した家(私が後継として誕生することになる)に婿養子として、入りましたが、伊吹の実家は猛反対だったようです(戦争未亡人の家に男子たる者が何を好んで入るのかと・・・)。
そのために父もそうおいそれと伊吹には帰らなかったのではないでしょうか。そしてそんな私が何も知らないまま、ましてや夫婦間の愛情も知らないうちに、私に植え付けられた感情は父の「不甲斐なさ」でした。この微妙な私の感情はいつの間にか、父に対する尊敬心を持つことなく、育ってしまいました。主なる神様は無条件に父を尊敬せよとおっしゃっているのに。これが、私が気づかないうちに持ち続けた「罪」のひとつの始まりでした。
今、私はそのことを思うて、父に済まなかったと思い、車窓からこの伊吹山を眺めるのです。私の好きな萩原朔太郎の「旅上」には、フランスへの憧れがありますが、私にとって「車窓によりかかる」ことはそれとまた違った父恋しさの感情にとらわれる時です。
※この伊吹山について、東京新聞社説(8/11)で「山の花畑は夢の痕跡か」と題して「山の日」にちなんで書かれていました。冒頭、「日本百名山」の著者である深田久弥の文章が伊吹山について述べた文が一部紹介されていました。<薬草の山として知られた。(中略)。織田信長が南蛮人に命じて海外の薬草をもたらさせ、この山に方五千町の薬園を作った>
子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。(新約聖書 エペソ6章1〜4節)
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