2025年5月12日月曜日

「シービービー」と私たち

蛙啼き シービービーと 歩み居り
 「明日から暑くなる」と、もっぱらの天気予報だが、今日はなぜか寒く感じる。夕方、いつもの散歩コースを歩んだが、足元が昨夜の雨のせいか、ぬかるんでいた。けれども、上着をまとってちょうどいい散歩日和だった。

 最近同伴者は私に数歩遅れてついて来る。私としては同伴者と、飛び交う鳥や蝶々を眺め、会話を交わしながら歩みたいのだが、同伴者にはそれよりも大切なことがあるらしい。この一月たらずの間にたくさんの草花はあちらこちらで生い茂り、私たちの背丈に追い迫る勢いだ。同伴者はそのことが気がかりのようだ。雑草が蔓延(はびこ)るのが許せないようだ。

 盛んに雑草の種が飛ばないようにと草をちょん切っているのだ。私は自然派で伸びるなら伸びていい、むしろ生態系を壊すから「やめろ」と言うのだが、一向に気にしない。使命感を感じているようだ。そんな同伴者が、散歩も最終地点に差し掛かったところで、写真のシービービーをまた見つけて草笛を吹いてくれた

 実は二、三日前に同伴者がシービービーを採って、試みに草笛を吹いてみたのだ。その時私はその所作を知らず、耳の側で何やら聴き慣れない音が聞こえて来たので、てっきり補聴器が壊れたのだと思った。が、そうでなく、同伴者が私を驚かせようと私の耳元で草笛を吹いたのであった。そう言えば、その時すれ違った、乳母車に赤ちゃんを乗せた若いお母さんが、何か顔を輝かせて私たちの方を見ていた。老夫婦が「シービービー」と草笛を吹いて楽しんでいる、微笑ましいと思ったのだろう。

 その時、同伴者は実に何十年ぶりだと喜んで言った。私にとっても幼い時に女の子たちが楽しそうに草笛を吹くのだが、自分では出来ないので、それっきりだった代物であったので童心に帰って嬉しくなった。

 だから同伴者に今日も草笛を所望したのだ。ところで、すぐそばには未だ田植えをしていない田が広がっていた。その田んぼにどれだけの蛙がいるのだろう。それこそシービービーの草笛の音、何のその、特有の啼き声を聞かせてくれた。今夜にでも雨が降るのだろうか。

 家に帰ってこの記事を書くうちに二枚の写真を見せ、同伴者に写真はどちらが良いか尋ねたら、完全に意見が分かれた。最初の冒頭の写真が私の載せたい写真。下を良いと言うのが同伴者の考えだ。読者はどちらがいいと思われるだろうか?

 さて、私がこの記事を書く気になったのは、二千年前のイエス様と弟子たちの牧歌的な記事が念頭にあった。そのくだりを以下に写しておく。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。(新約聖書 マタイ11章28節〜12章1節)

2025年5月8日木曜日

ゴールデン・ウィーク(下)


 「ゴールデン・ウィーク」とはサラリーマンにとっては、大変な息抜きの期間であろう。それがあればこそ、日常の精魂尽き果てる仕事も耐えられるというものだ。そこへ行くと、年金生活者は毎日が日曜日だから、一年365日、身の回りのちょっとした風景にも魂が癒される瞬間を味わう恵まれた身分であり、現役の皆さんには申し訳ない思いがする。しかし、そうとも言い切れない。いかなる形を取ろうとも後述するように、ゴールデン・ウイークは魂の真の安息があって初めて味わえる境涯ではなかろうか?と思うからである。

 さて、木内昇さんは『北越雪譜』を基礎資料とし、30近い文献をもとに『雪夢往来』(※1)という小説を書き上げられた。最初この本の題名は漠として意味が通じなかったが、二度読みだけでなく、じっくり考えてみると、良く考えられた作品名だと思う。第一、「往来」という言葉に万感の思いが込められている気がする。それは北方丈雪の越後の人である鈴木牧之が東南寸雪の暖地の人々と「往来」することによって、自らの経験を、すなわち「雪国」の生活を伝えたいという「夢」が如何にして実現したのかを丁寧に追っている作品だからである。

 そもそもこの夢は江戸へ縮の行商に行ったことが端になっている。その辺の事情が次のように鈴木牧之の本名である「儀三治(ぎぞうじ)」(※2)として作中で語られている。

 江戸とは絶えず繋がっておらねばならぬーーそれが、二十歳を過ぎた頃から儀三治にまとわりついて離れずにいる思量なのだった。縮は江戸にも卸すゆえ往き来を絶やさぬよう目配りをしておきたいという商売上の理由もあったが、かつて行商で江戸を訪れた折、人々が越後国についてあまりに無知であったことに落胆してからというもの、己の故郷をあまねく知らしめられぬかと、そんな希求が湧いて鎮まらぬのだ。雪深いこの塩沢を特段誇りに思うわけでもなかったが、始終空っ風が吹いて、少し表を歩くだけで髷から着物の中まで砂まみれになるあの江戸に住む者たちから、「越後・・・・ああ、山越えて裏っ側にある国だろう」と軽んじられるのもまた癪だった(※3)。(『雪夢往来』17頁)

 商いの傍、書画に打ち込む儀三治については

 話がまとまらぬまま会は夜半にお開きとなり、儀三治はひとり、自室に据えた文机に向かう。家中はとうに寝静まっている。燭台の小さな灯りを机脇に置き、誰にも邪魔されず書や絵を描く刻を、彼はなにより愛おしんでいた。不思議なことに、そうしていると本来の己に立ち戻れるようで、気持ちは凪いでいくのに総身の血道が躍るような昂揚を覚えるのである。(同書14頁)

 著者木内昇さんが描く小説の出だし部分のほんの一端を写してみたのだが、抑制された文章はこのあと394頁ばかり続く。そして「本来の己」に立ち戻るための書画が、鈴木儀三治(鈴木牧之)の『北越雪譜』であったことが証されていく。寛政年間から天保年間に至る中央文壇の戯作者のそれぞれの生き方が、鈴木牧之の悲願と言ってもいい、『北越雪譜』の板行に至るまでのおよそ40年近い歳月の流れの中で語られて行く。

 山東京伝(1761〜1816)、滝沢馬琴(1767〜1848)(※4)、十返舎一九(1765〜1831)など、この錚々たる中央の戯作者の伝(つて)を頼りに、版本刷りを手掛けてくれる版元の引き受けで『北越雪譜』は天保12年(1841年)にやっと陽の目を見る。しかもそのことが可能になったのは、山東京伝の弟である山東京山の助けがあってのことである。

 本小説の最終頁(394頁)で、鈴木牧之が身罷(みまか)ったのちも安政5年90歳になるまで生を存えた山東京山(相四郎)の臨終の場面を作者は設定し、次のように語っている。

「わしは戯作に出会って、幸せだったのかのう?」
誰に言うでもなく、闇に向かって独りごちる。その様を見詰めていた猫は、相四郎に添うように床の上に横になると、やがて甘えた鳴き声をあげてから目を閉じた。猫に誘われたわけでもなかろうが、ひどい眠気が襲ってくる。相四郎は、ようやっとすべての枷が解かれた軽い身体で、深い眠りへと落ちていく。

 これぞ、まさに「ゴールデン・ウィーク」の落とし所かも知れぬ。相四郎の眠りがそれを象徴するように思う。作家稼業は決して楽ではない。しかし「己」を取り戻すための作業であるとしたら、200年前の苦渋を極めた先人たちの歩みも間近に思えるのでなかろうか。著者がこの小説はあくまでも「フィクション」ですと帯で断っておられるように絶えざる問いかけがこの作品の良さであるように思う。「蔦重」がテレビ大河ドラマで話題になっているのを知っている。その蔦重は戯作者の思いが世間に伝えられるように道備えをする大切な役割を果たすこともこの作品を通して考えさせられた。

※1 『雪夢往来』の表紙絵は鈴木牧之の描ける「塚山嶺雪吹図」である。『北越雪譜』に示されている鈴木牧之の文意もさることながら、絵筆の巧みさを思わずにはいられない。その辺を『雪夢往来』はすでに表紙絵で表している。
 
※2 儀三治は俳句を嗜み、句会を催していた。父恒右衛門の俳号が「牧水」でそれを継いで「牧之(ぼくし)」と名乗っていた。

※3 関西人である私が初めて栃木県の足利に降り立った際に経験したのもこの空っ風と砂まみれになる生活であった。これは大いなるカルチャーショックで湿気のある温和な風土である近江の地を懐かしんだものである。儀三治さんの話される雪国の生活とは『北越雪譜』を知るまではついぞ知りえなかった。それこそ川端康成の創作『雪国』の都会人が見た雪国の姿でしかなかった。

※4 滝沢馬琴については山東京伝に比して、どちらかというと悪し様に描かれているように見えるが、同書326頁に渡辺崋山が馬琴の長男の宗伯が亡くなった時、弔問に訪れたことが書いてあった。にわかに、この小説が身近になった。私がその足利で下宿させていただいた『巌崋園(がんかえん)』はその崋山が逗留したお家であったからである。もっともその史実を確かめたわけではないが・・・

 最後に昨日の伝道者の書の続きの部分を聖句として紹介しておく。

知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(旧約聖書 伝道者の書12章11〜13節)

2025年5月7日水曜日

ゴールデン・ウィーク(上)

 草むらの ムラサキツメクサ 優雅に
 今年のゴールデンウィークはあっと言う間に終わった。第一、いつから始まったか、その自覚もないまま、気がついた時には、もうそのウィークを抜け出てしまっていたのだ。なして、そのような羽目に陥ったかと言うと、一冊の本に夢中になったからである。

 その本とは『雪夢往来』(木内昇著新潮社)である。2月初めにこの本のことが東京新聞に出ていた。早速図書館にリクエスト。ところがすでに私の前に六人ほどのリクエスト者がいて、私のところには当分回って来ないことがわかった。私だけでなく、「木内昇」ファンがいるのだと改めて思わされた。それから4月下旬になってやっと私の番が回ってきた。待望の本だが、今や興味は薄れていたので、すぐ読まずに放置してしまった。

 2月当時北陸・東北・北海道など大変な豪雪だった。その時、私は『北越雪譜』を思わずにいられなかった(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/search?q=%E5%8C%97%E8%B6%8A%E9%9B%AA%E8%AD%9C )。そのような折、東京新聞の「推し時代小説」の案内文に接した。私の好きな作家である木内昇さんが、『北越雪譜』の著者である鈴木牧之(すずき・ぼくし)について書いているということだった。だから是非読みたかった。

 ところが、その冬も過ぎ、春の陽気とともに、いつの間にか興味が薄れてしまっていた。だから二週間の貸与期間も、他の私自身が3/16以来日夜取り組んでいる本(『聖パウロの生涯とその書翰』デーヴィッド・スミス著日高善一訳)の存在があり、打っちゃっておいた。ところが返済期限が間近に迫るにつれ、読まずに返すのも癪だという思いが沸々と湧いてきた。最後4日間がちょうどゴールデンウィークとぶつかったという訳だ。

 しかも『雪夢往来』というこの本は結局、二度読みする羽目に陥った。人々が物価高の今日、様々な工夫をしながら、ゴールデン・ウィークを外に出かけて行く姿をTVを通して横目で見ながら、木内昇さんの筆にしたがってほぼ200年ほど前の鈴木牧之(1770〜1842)の越後での生き様を辿ることになった。あとで気づいたのだが、ほぼ一年前も木内昇さんの『かたばみ』という小説を読んでいた(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/06/blog-post_14.html)。

伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探究し、多くの箴言をまとめた。伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。(旧約聖書 伝道者の書12章9〜10節)