2009年12月31日木曜日

Se son rose, fioriranno.


 あわただしかった一年、それが凝縮されたかのような12月になった。

 年末、12月23日次男が結婚に導かれた。多くの人々の祝福と祈りをいただいた結婚式だった。式では双方で6人余の方から祝辞をいただいたが、その中のお一人が標題のイタリヤのことわざ(もしそれが薔薇ならば咲くだろう)を紹介してくださった。

 ところが、それで終わると思いきや、その方は思わず次のように言って祝辞を閉じられた。信夫さんの「信」とは信ずることでしょう、恵さんは「恵み」です、これは何か偶然とは思えません、お二人の結婚の宣誓を聞いていて、そう思わざるを得ませんでした、お二人が末永くお幸せでありますようにお祈りします、と。

 次男の名前が小説『塩狩峠』の主人公にちなんだ名前であることは、以前紹介させていただいた。ところが、新婦の恵さんはお祖父様を通して、幼き時から、目に見えない神様に仕える信仰を体得したということだった。ご来賓の祝辞はその「信夫」と「恵」という両者の名前が切っても切れない関係にあることを慧眼にも見抜かれてのご挨拶であったように思う。ところがこの両者の関係を物の見事に作品化している文章に一昨日出会った。マルチン・ルターの「ガラテヤ大講解」の以下の文章である。直接には「(彼らは)キリストの福音を歪めようとした」(ガラテヤ1・7)の註解ではあるが・・・。

 律法の義が支配するならば、恵みの義は支配できない。反対に、恵みの義が支配すれば律法の義は支配できない。一方が他方に譲らなければならない。神がキリストのゆえに罪をゆるしてくださることを信じることができなければ、あなたはどのようにして、律法の行ないかあなた自身の行ないによってゆるしてくださることを信じるのか。このように、恵みの教えはどのようにしても、律法の教えと両立できない。律法の教えが全く否定され、取りのけられて、恵みの教えが確立すべきなのである。

 ルターのこれらのことばに若干の注釈をつけ加えさせていただくならば、「恵み」とは神が私たちのわがまま(=罪)のためにご自分の独り子イエス・キリストを十字架にかけられた事実を指している。本来私たちが罰せられるべきなのに、その身代わりとしてイエス・キリストが罰せられた、だから「恵み」であるのだ。この「恵み」は、このイエス・キリストの恵みを「信仰」をもって受け入れる者をとおして体得される。「律法」の教えとは、これに反して、このイエス・キリストの十字架は無用・無意味とし、自分の力、徳行で神の前に十分正しくなれるという考えである。 ルターは、この「律法」の教えがいかに強力に人を支配しているかに言及しながら、さらに次のように続ける。

 こうして、恵みと信仰の義が放棄され、律法と行ないの、いまひとつの義が高められ、守られることになる。だがキリストは彼に属する者ともども、弱くあり、福音は愚かな説教である。逆に、この世とその君、悪魔は強力であり、さらに肉(=キリストを認めない、生まれながらの人間のこと。引用者註)の知恵はよりよい外見をもつ。だが、悪魔がその手下とともに、欲するものを打ち立てることができないことは、われわれの慰めである。彼は何人かの人を撹乱することはできるが、キリストの福音を覆すことはできない。真理は危険にさらされることはあるが、滅びることはない。攻められることはあるが、征服されることはない。なぜなら「主のことばは永遠に存続する」(1ペテロ1:25)からである。

 律法と行ないを確立するよう教えることは非常に小さいことのように見えるが、それは、人間の理解力が理解できる以上の害をもたらす。それは恵みの認識をあいまいにするばかりでなく、キリストをそのすべてのいつくしみともども取り除いてしまい、パウロがここで言っているように、福音全体を歪めてしまう。このような大きな悪の原因はわれわれの肉であって、それは罪の中に沈んでいるから、行ないによる以外に、そこから出るほかの手段を見ることがない。こうしてわれわれの肉は律法の義のうちに生き、自らの行ないに信頼を寄せようとする。だから、信仰や恵みの教えについては全くか、ほとんど知らない。だがそれなしでは、平穏な良心を得ることは不可能である。(『ルター著作集第2集11巻』1985年刊行、84~85頁から引用)

 二人が恵みの認識をあいまいにするのでなく、福音に全幅の信頼(信仰)を抱いて結婚生活をスタートしてもらいたいと思う。それが、主イエス様の恵みをまだご存じないご来賓の方をして、咄嗟のうちに思わず言わしめた祝辞の本意ではなかっただろうか。

 式後のあわただしい一週の間に、両人は沖縄に出かけ、さらには一昨日は病臥中の私どもの祖母を滋賀に訪ねた。また昨日は新婦のお祖父様ご夫妻を千葉のお宅、西荻の私の従兄宅などを訪ね、夜は長男主催の家族全員が集合する会食会に出席できた。そして今朝、新婚生活の拠点となるパリの家へと旅立った。恐らく今頃は疲れでぐったり来ていることだろう。しかし、そこには心地良い主のあわれみと守りがあることと信ずる。

 寄り添うて 恵みと信仰 百合の花

 最後に愛する兄が結婚式の冒頭で読み上げられた聖句と二人が結婚のために導かれた聖句を掲げておく。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103・2)

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(1ヨハネ4・16)

2009年12月4日金曜日

クリスマスと涙 クララ


 クリスマスと言う夜のかげに、いかばかり多くの涙が注がれたことでしょう。サタンのしえたげに泣く人類の涙、み心込めて創造された父なる神の憂いの御涙から生まれたその夜!

 天使のみ告げに服従し、神のみ手に身を委ねしよりのマリヤが恥と苦しみの涙、ヨセフが彼女のただならぬを知れる時の苦痛の涙、主が天の宝座を捨て罪ののろいにある肉体に、限りなきご不自由とご苦難の生活に移り給うその夜よ! 揺籃の上に指す十字架の閃きよ!

 罪の犠牲に定められ給いしこの君のご誕生を見て、のどかな喜びをしておられるでしょうか。死に定められた小羊を見てさえ、わたしたちがあわれみの心は動くではありませんか。なおさら、愆(とが)なき神の御ひとり子が犠牲の御門出に涙なきものがあるでしょうか?

 天の万軍は恐れかしこみ、賛美の声を涙にうるおしたことでしょう。地の万象は涙の露に夜をうるおしたことでしょう。ああ、クリスマスの夜! われらが罪の生みしこの夜! 神のご愛の現れしこの夜よ! さりながら、罪のあがなわれんため、唯一の道なるこの夜よ!

 恐れをもって感謝し おののきをもって喜び
 聖き聖名に感謝せん

1 愛はこの世にくだって来られた
  かわいた土から若木のように
  われらが慕うべき美しさもない
  これぞわが主のみ姿である
   愛はこの世にくだって来られた
   かわいた土から若木のように

2 主は侮られて人に捨てられ悲しみの人で病を知っていた
  かくもなやめるわが愛の主を
  ああわれさえも彼を尊ばなかった

3 われわれのとがのために傷つけられ
  われわれの不義のために砕かれた
  迷い迷って背けるものの不義を
  主は彼の上におかれた

4 暴虐なさばきによって取り去られ
  生けるものの地から絶たれたのだと
  よろこび給う神のみ旨は
  彼の手によって栄え行く

5 ああ死に至るまで魂を注ぎ出し
  とがある者と共に数えられ多くの人の罪を負い
  とがある者のためにとりなしをした

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネ3・16)

(文章は聖書を除いて、『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著の12月1日の項から編集引用。写真は古利根川の鴨二羽。「鴨二羽と 眺めし川面(かわも) 天の雲」)

2009年12月2日水曜日

病床にあった妻の夫への手紙(2)


 いつの間にか、師走に入ってしまった。私たちの親しんできた、あの遠い昔の異国の一女性の果断なく続く病との闘いは、その後どうなったであろうか。

 前回お載せした彼女のその後を、簡単にスケッチしてみよう。「彼女はまた新たに、専門医の診断を受けねばならなかった。」のだ。しかしその間も彼女を愛する人々の祈りは続いていた。彼女はその事を感謝する便りを夫に次のように記している。

 (ジュネーヴにて、1930年11月11日)
・・・それから皆さまがわたくしのために、お祈り下さったのでございます。このやうな啓示の対象となるために、わたくしのやうに苦しむといふことは、苦しみ甲斐のあることではございませんでせうか。わたくしの心は感謝で一杯でございます。もしまた神様のためにお仕事が出来るやうになりましたら、それを大きな愛をもってすると、お誓ひいたします。

 そして今一度ローザンヌに引き返された。そして同じように病と闘っている友人の手紙を引用しながら彼女は夫に次のように認める。

(ローザンヌにて、1930年11月14日)
・・・ピエチンスカ夫人はその手紙の一つの中で、大体次のやうなことを書いて居ります。「すぐに今のこの瞬間をこえたところを眺めようとするわたくし共の想像力を用心しませう。そしてこの想像力が神様の御心の先回りをしないやうに、今のこの祝福を神様に感謝することで満足しませう。」・・・本たうにさうでございます。どうぞ神様が力をお与え下さって、神様がお送りになるものは良いものであれ、苦しいものであれ、それが御心である限りは受け容れることが出来ますやうに。その秘訣は絶えず祈って神様に近く身をよせて、事情が良くなったからと言って、すぐ簡単にやめてはならないといふことだと存じます。苦しい時に神様に向かって呼ぶことは、比較的やさしうございます。それは自然なことでございます。けれども、すべてが具合よくいってをります時には、怠惰がすぐに訪れます。・・・・

 その後も病状は一進一退する。ある時には外出できた。それはニフェネジュの街角だった。家族連れの子どもたちを見、ロンドンの夫のもとに残してきたわが子を思い出し、涙を人知れず流す。母親ならではの悲しみだ。こうして彼女の品性は大いに練り清められてゆく。それとともに、意外や彼女の健康は日一日と確実なものになっていった。ジュネーブから来た専門医が、驚嘆してそれを保証する。この間、夫への手紙は11月10日、20日、22日、24日、26日、30日と認められている。メールもない時代、かえって手紙を通してゆったりとした人々の愛の交流があった。その良き時代をはるかに想い出させられる、というものだ。今から79年前の今日認められた彼女の手紙を載せよう。

(ジュネーヴにて、1930年12月2日)
・・・さうでございます。わたくし共のお祈りは聞き届けられたと申してよいのでございます。わたくし共には救いが与えられた―しかも、わたくし共自身もお医者さま方も二月前には本たうに予期していなかったやうな、大きな救いが与えられたと申してよいのでございます。G先生のところへ参ります前に、わたくしはベッドの前でひざまづきました。そして帰りました時にも、またさういたしました。

勿論、「すっかり癒りました。すっかり決定的に癒りました」と、あなたに申し上げられましたら、本たうによろしうございましたでせう。けれども今の状態はわたくし共の信仰生活にとりましては、それよりも多分ずっと尊いのでございます。

それはパウロの場合と同じやうに、「肉体の刺」ではないでございませうか。そしてわたくし共もパウロのように、「汝の恩寵(めぐみ)われに足れり」と言ふことを学ばねばならぬのではございませんでせうか。また活動をはじめるかも知れないかういう病気の源を、自分は相かはらず身中(みのうち)に持っている、しかもやはり神様は自分を支へて強くして下さる―このやうに考えますことは、良いこと、また素晴らしいことでさへございます。

・・・そして身中(みのうち)に持って居りますこの危険物は、わたくしを絶えず目覚ませておくのではございませんでせうか。また、自分が日毎に、いえ、一瞬毎に、圧し迫られて、神様の方へ向けられるやうに感じるのではございませんでせうか。わたくしを(人間的に申しまして)破滅させかねないものから、その御恵みだけが日々護って下さる(さうわたくしは心の底から信じます)あの神様の方へ、自分が向けられるやうに、感じるのではございませんでせうか。

もし急にすっかり癒るやうなことになりましたら、わたくしは神様に溢れるやうな感謝でお礼申したことではございませうが、また次第にそのことをすっかり忘れてしまったかも知れません。今のやうな状態なのでわたくしはそれを忘れないのでございます。このこと、おわかりになっていただけますでせうか。さうでございます。神様はわたくし共に大きな救いをお与え下さったのでございます。この救いは体をすっかり癒していただきましたよりも、多分そのままで、ずっと大きな救ひでございます。

どうぞわたくしのためにお祈り下さった皆さまに、皆さまのお祈りは聞かれた、聞きとどけられたと、おっしゃって下さいませ。二月前の死の怖れの後で、仕事をまた始め、また子供たちのところへ帰って育てることが多分出来る、といふ可能性を眼の前に見るとは、何といふ救ひでございませう。いいえ、すべてあれで良かったのでございます。すべては良いのでございます。きっとあなたも、わたくしに賛成して下さることと存じます。

私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。・・・このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(新約聖書 2コリント12・7~9)

(明日は寒くなるらしい。二三日前の拙宅のオキザリス。朝日を浴びているところを撮影した。)

2009年11月30日月曜日

魁皇と「ウルフの目」


 大相撲が終わった。優勝は白鵬で15戦全勝であった。私のひいきの力士は魁皇である。やっとこさ千秋楽に勝って、給金を直した。ほとんど駄目かなと思わせながらこの一年間勝ち越してきた。特に今場所は十日目に通算805勝をあげ、力士記録第二位になった。

 その日は一方の古参力士千代大海が負け越してしまい、大関陥落の日になってしまった。東京新聞の見出しは「大関明暗」と主見出しを付けた。いつも読む元横綱千代の富士の相撲評記事「ウルフの目」は両記事の対角線上にあり、いやが上にも私の目を引きつけた。千代の富士は807勝で第一位の記録保持者であり、一方、千代大海の親方である。このコラムを私はNHKの北の富士や舞の海の解説と合わせて愛好している。彼らの愛が紙面にまた声にあふれているからである。

 ウルフ(元横綱千代の富士のこと)はその日、「地元で新記録を」と九州場所で九州出身の魁皇が残り5日間で自分の記録を塗り替えてほしいと書き、一方で大関陥落の千代大海に次のことばを書いた。

 残念ながら、私の弟子である千代大海が大関を転落することになった。長い間、大関を務めてきたライバルが大記録をつくろうとしている。千代大海も魁皇の姿を見て、もう一度頑張ろうとしている。その意思を尊重して、来場所を見守ってやりたい。

 いい親方を持って千代大海も幸せな男だ。ところで、今日のウルフの目は、「魁皇、記録が励みになる」と自身の記録にあと一勝と迫った後輩力士に賛辞の言葉を送っている。

 最後の最後で魁皇が勝ち越し、かど番の危機を脱した。立ち合いで右上手を取りに行ったが、琴光喜が前みつを狙って出してきた左腕を抱えて瞬時の小手投げで一蹴(いっしゅう)した。これで幕内勝利が806勝となり、来年初場所でわたしの記録(807勝)が塗り替えられるのが確実となった。・・・808勝から積み上げる新記録が37歳の体を刺激してくれるはずだ。左四つから得意の右上手を取れば、まだまだファンを楽しませる相撲がとれる貴重な存在だけに、一番でも多く、その相撲を見せてほしい。

 これはこれで魁皇という年齢とともに衰えてゆくしかない大関に最大限の励ましの言葉を送っている。角界には私の知らない問題が隠されているのかもしれないが、こうした記事を読んで、励まされない人はいないのではないか。たかが格闘技ではない。大相撲と違い、ボクシングでは内藤選手がチャンピオンの座を亀田選手に奪われたのも昨日のことであった。

 パウロは2000年前、闘技、ボクシングをする選手を引き合いに出しながら自分の人生を次のように語った。もって銘とすべきことばでないか。

闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは、朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は・・・空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に(福音を)宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(新約聖書 1コリント9・25~27)

(写真は栃木県大平下近辺の山々。車窓から紅葉にまみえる風景を撮影しようとしたが、これが精一杯だった。「霜月の 錦秋残し 師走へ」)

2009年11月27日金曜日

生命の躍動


 昨日、今日と暖かい日和である。今年は暖冬らしい。

 このところ、毎日のように古利根川の土手を歩いている。川は温(ぬる)み、春のような気配すら覚える。桜の木々の咲き揃うころは残念ながらまだ見たこともない。そのころはいつも関西にいて、気がついたら、桜の花がすっかり散ってしまった後に、決まって川にやって来るからだ。

 それとはちがうが、晩秋も終わり、初冬に向かっている今、季節はずれの桜並木をひたすら歩くのだが、中々いいものだ。今は花でなく、葉っぱが色づきながら散って行く季節だ。土手を染める枯れ葉は散歩を決め込み、行き交う一人一人の足もとで、かさこそと音を立てる。静寂のうちにもその音が人の息遣いとともに近づいてき、人の暖かさを覚えるからだ。

 そんな平和なさなか、昨日は思わぬものを川中に見てしまった。最初遠く土手から見えたのは、川の真ん中辺りで泉がわくかのように下から水が絶えず上がってくる光景だった。不思議に思い、近寄って見るとそれは泉でなく、大きな魚が水の中で動いているためであることがわかった。一匹か二匹かつかめなかった。時おり腹も見せる。さかんに体を動かしては、またもぐって水面に浮かび上がるが、一点にとどまっていて泳いでいるような気配はない。産卵なのだろうか。

 確かめようと石を投げたが私の石はあらぬ方向に飛び、しかも半分ほどの距離を飛んだに過ぎなかった。二三回試みた。比較的近くまで飛んだか、と思いきや、その瞬間、空から一羽の鳥がその近くに飛び降りた。鳥もまた私と同様にどこか空から見ていたのだろうか。それとも私が投げた石が落ちるのを遠くで見ていたのかもしれない。あとで、魚には悪いことをしてしまったと思った。

 その鳥は水面に顔を出し、のたうちまわっているその魚に近づいていった。その後、数十分の間その鳥は果敢にもその魚に挑戦していき、ついに自らの獲物としてしまったのだ。そしていつまでもその場から離れず、とうとう動かなくなったその魚を嘴で引きずっては、もっと浅瀬に運んで行った。どうしてその魚が泳いで逃げてゆかなかったのか、今もってわからない。また鳥が近づく前に、なぜあのように川中で身を持て余していたのかもわからない。

 一方川面には、まるでそのような惨劇があるのも知らぬげに多くの鴨が編隊をなしてその近くを泳いで行った。白鷺やかいつぶりも川を歩いたり泳いだりしていた。私たちもその場を離れた。改めて川の中をじっくり眺めてみると、今の時期、川の深さはそれほどでない。と同時に川中に大きな魚が何匹も泳いでいることに気づいた。道理であんなにもたくさんの鴨をはじめとする水鳥が川に成育しているのだと合点した。

 散歩から離れて帰ろうとして再びあの格闘の場面にもどってくると、まだ鳥はそこにいた。ところが今回は私が近寄ると後ずさりし、魚から離れ、川中に入って行き、盛んに口をすすぎはじめた。それも一度や二度でない。その所作は何回も何回も続いた。そしてそのあげくには羽根をきれいに洗い清めているのだ。それは大仰とも思えるが実に丁寧な仕草であった。そして居ずまいをきちんとすると、その鳥は羽根を拡げ空高く飛翔していった。鳥には鳥の礼儀があるのだろう。そんな厳粛さを感じさせられた。

 弱肉強食とは言え、都市空間の中でこんなに豊かな自然の息吹が川にあることを改めて感じさせられた散歩だった。

 家に帰り、夕食の膳になぜか「飛魚」が出た。鳥がどのように魚を食べるかつぶさに観察していただけに、いつになく真剣に食べざるを得なかった。「飛魚」は種子島のMさんのご両親からいただいたものだった。思えば去年の今頃は病床のMさんを何とか訪ねてお見舞いできないかと祈り、最後のお交わりができたように思う。若くして30代で召されたMさんを思い、一見弱肉強食に見える川中で見た自然の摂理をも思わずにはおられなかった。そんな私に聖書は語りかける。

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(旧約聖書 イザヤ11・6、8~9)

2009年11月22日日曜日

神と偕に歩む生涯 クララ 


 「サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう」(黙示録3・4)

 よい習慣が品性という衣をきるように、真の信仰は必ず実践(歩み)という衣をまといます。生きた信仰に徹底した一人の人がいます時、世界は改革されます。

 十六世紀、あの腐敗した宗教界のただ中に立ちあがって「義しき人はその信仰によって生きる」と生命を賭して叫んだ信仰の勇者ルターによって世界は目ざめました。

 十八世紀の英国は機械文明の危機に際し、あわや血の革命が起ろうとした社会状態の瀬戸際に、ウエスレーのメソジスト運動が起り、英国は破滅より救われましたのみならず、生命の流れが世界をうるおしました。

 サルデスの人たちが白い衣をきて神とともに歩みつづけたとありますが、歴史に輝く信仰の勇者たちはみな神とともに歩んだ人たちです。ヤコブは「霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである」と言っています。

 主イエスは神の愛の証明者として僕のかたちをまとわれました。葡萄の木につながっている枝が実を結ぶように、主と歩む者は輝きます。

 エノクは神とともに歩んだと記されています。彼は大家族の中に在りて三百年、神に喜ばれる生活をしました。三百年と言えば世代もうつり、思想も変化し、言葉や信条を越えて生活の事実においてどんなに恵みを要し愛情の知恵を要したことでしょう。新約に教えられていますように、互いにゆるしあいなさい。互いに忍び互いに愛しあいなさいとは、家族生活の大切な法で、エノクは神とともに歩んだがゆえに勝利を得たのです。

 ノアの時代は悪い時代で悪が地にはびこり、暴虐が地にみち、恵み深い神も遂に洪水をもって滅ぼされたほど、悪の時代でしたが、ノアはその時代の流れのうちに在りながら、押し流されず神に従い、洪水の後人種の始祖となって、嵐にも風にも倒されませんでした。神とともに歩むならどんな時代にも勝てるのです。

 サムエルの伝を見ますと「わらべサムエルは育っていき、主にも、人々にも、ますます愛せられた」とありますが、サムエルは幼くて最悪な環境の中に送られました。エリの家庭の不道徳な息子たち、悪しき習慣のうちにある人々、まことに理想的でない環境の中に在りながら神の前に育って大いなる神の人となりました。大家族の中にも、悪しき時代にも、不信な環境にも信仰は勝利の力です。

 セント・パウロ寺院を建設中、一人の石工が厳密に寸法を正しく仕事しました。なぜそんなに寸法を注意するのかと問われました時、「神の宮を建てているのです」と答えました。私どもの信仰はやがて金の測りざおをもってはかられる時が来ます。神の聖言の寸法に無関心であってはなりません。日々の生活が聖言の実践の舞台であることを覚え、神と偕に歩みつづけ、どんな立場にも勝利者であり得ますように!

(文章は『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著11月21日の項より引用。写真は昨夕の古利根川。今や川は鴨とかいつぶりの天下だ。「河岸に 鴨並びたり 水の幸」)

2009年11月21日土曜日

結婚生活の意義(仮題) 畔上賢造


 以下の文章は畔上賢造氏がパウロのコリント人への第一の手紙7・25~31をテキストにして「時は縮まれり」と題して書かれたもののうち、附論として置かれた文章である。書かれた年代は大正12年から昭和4年までの6年間のいずれかの時期に書かれたものである。ほぼ80年前の文体は今の読者にとっては読みにくいと思うが、そのまま再録した。(『畔上賢造著作集第5巻』256頁以下)

 今や世界の混乱は日に増し甚だしく、不義罪悪はいたるところに横行し、道義は腐って泥土に塗れ、狂乱の舞踏全地に漲る。かくて人類はただ悪魔の冷笑と歓喜とに糧を送りつつあるに過ぎない。誰かこれをもって滅亡の前の乱舞狂踏と見なさざるものぞ。げに世の終末は近よりつつあるではないか。げに今は「現在の危急」を経験しつつあるではないか。げに「時は縮まっている」ではないか。さればパウロのこの戒めは、今において甚だ有力である。われらは今の時を知りて確信をもってするところの独身選取者に向かっては大なる敬意を払わねばならぬ。

 しかしながら、同時にわれらはすべての未婚なるクリスチャンに向かって独身をすすめることはできぬ。より重き責任に当たり、より大なる義務を取り、より深き経験を味わわんために、積極的の結婚生活選取をなすも、また大いに有意味である。無意味にして軽率なる結婚はむしろ為さざるを可とする。今や一時の感情を基礎として率急なる結婚生活に入り、百年の悔いを身に招くもの甚だ多い。かくの如き生活は、単純にして平和なる独身生活に劣ること万々である。人は妻を娶るとき、また人に嫁せんとする時は、慎(重細)密なる注意を要する。信仰と祈りとは第一に立つ。そして常識もまた充分に用いられねばならね。而して主の導くところに喜び従うの用意深からねばならぬ。人のすることなればわれもしてみんというが如き心をもってせられたる結婚は、全然無意味である。積極的なる確信に立ち、より重き責任に当たり、より豊かなる経験を味わい、よりよく神と人とに仕えんとの心をもってしてこそ、真にクリスチャンらしき結婚というべきである。

 私はアメリカ最初の東洋伝道者アドニラム・ジャドソンの結婚について思う。彼がビルマ伝道に志して、一小帆船に身を託して、当時の危険なる東洋航海をなせしは、なお未だ若き二十五歳の青年の時であった。この時彼はすでにアン・ハセルチンと呼ぶ二十四歳の婦人と婚約の間にあった。出帆に先立ちて二人は結婚し、その新婚の旅はカルカッタ行きの二檣(にしょう)帆船カラバン号をもってする大西洋およびインド洋上の航行であった。

 時は1812年の春いまだ浅きころ、最初のビルマ伝道に二人協力して当たらんがために結婚および新婚旅行をなしたのである。世にかくも意味ふかき結婚がかつてあったであろうか。しかもアン女史は外国宣教師ジャドソンの妻としてよりも、むしろ、自ら一個の外国宣教師として出発したのであった。そして米国においてはそれまでに、女性の身にして外国伝道のために国を出でし者一人もなかりしため、彼女の東洋行きについては世論囂々(ごうごう)としてこれを非難したのであった。当時にありては女性の外国伝道などは甚だしく生意気であると見られたのである(百年前の米国にこのことありしを知りて、われら今日のヤンキー・ガールを思うとき、失笑を禁じえないものがある!)。もって彼女の勇気を知るのである。かかる重き責任を分担せんための結婚ならば、よし囂々たる世人の反対あるとも、主の嘉(よみ)し給うところであることをわれらは知る。

 ジャドソンのビルマ伝道は幾多の苦難が伴った。若き妻の苦心もまた一通りではなかった。夫は誤解のために入牢し、彼女は身重の体をもって異人種の冷たき眼にとり囲まれて、全き天涯の孤客たりし間も永かった。ジャドソンのすべての努力において彼女はその補助者として働くこと十四年、遂に1826年10月24日、夫の不在中に病んで斃れた。時に三十八歳であった。二人の間に生まれし一女も間もなく世を去った。

 孤独の活動八年の後、ジャドソンは一宣教師の未亡人を娶りて再び家庭を造った。彼女また努力奮闘の性格を備えて伝道上に多大の貢献をなし、白人中ビルマ語に最も精通せる人として、彼の聖書の土語翻訳を助くること多大であった。しかも遂に疲労は病を持ち来りて、彼は彼女の回復を計るべく、一先ず相携えて本国に帰ることとなった。しかも夫のこの心づくしも空しく、船が孤島セントヘレナの沖を航行せる時に遂に彼女は斃れた。

 その翌年彼は米国において第三の妻を娶った。彼女は文学者として名ある婦人であったが、幼時より宗教的傾向強く、ことに一生涯に一度は外国伝道者たらんとの志を抱いていたため、遂にジャドソンの第三の妻となりて、ともに東洋伝道のために出発した。二人の結婚については、宗教界にも文学界にも賛成する者は一人もなかった。宗教家たちは、彼が小説作者の如き軽佻(けいちょう)の女を娶ることをもってその晩年の光輝を蔽うと難じ、文学者らは、彼女が年老いたる一外国伝道師に嫁してその天才を消耗するを惜しんだ。

 しかしながら外国伝道という共通の一目的のために結びて、二人の結婚は幸せであった。彼女また彼の良き妻として、彼の多難なりし晩年をよく助けたと言う。彼は三度妻を娶りて、何れも皆東洋伝道のための結婚であって、かかる積極的意味を持つ結婚なりしゆえ、いずれも幸いなる結婚たることを実証した。軽率にして無意味なる結婚をわれらは排す。クリスチャンはクリスチャンらしく結婚すべきである。

 以上が、畔上氏の文章である。私はこの著作集をKさんから今秋譲っていただいたが、この巻のみボロボロであり、形がくずれている。その上、多くはないが随所に薄く赤線が引かれていた。それだけこの本がよく読まれた証拠であろう。Kさんのお母さんは山梨で英語の先生をなさっており、畔上氏の弟子筋に当たる藤本正高氏の講筵に連なっておられた方である。ちょうどこの本の出版は昭和16年であり、前年ロンドン勤務のお父さんと結婚なさっていた。ご両親が互いに読まれたのではないか。

現在の危急のときには、男はそのままの状態にとどまるのがよいと思います。あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありません。たとい処女が結婚したからといって罪を犯すのではありません。ただ、それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに会わせたくないのです。兄弟たちよ。私は次のことを言いたいのです。時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のようにしていなさい。世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。(新約聖書 1コリント7・25~31)