2009年11月27日金曜日
生命の躍動
昨日、今日と暖かい日和である。今年は暖冬らしい。
このところ、毎日のように古利根川の土手を歩いている。川は温(ぬる)み、春のような気配すら覚える。桜の木々の咲き揃うころは残念ながらまだ見たこともない。そのころはいつも関西にいて、気がついたら、桜の花がすっかり散ってしまった後に、決まって川にやって来るからだ。
それとはちがうが、晩秋も終わり、初冬に向かっている今、季節はずれの桜並木をひたすら歩くのだが、中々いいものだ。今は花でなく、葉っぱが色づきながら散って行く季節だ。土手を染める枯れ葉は散歩を決め込み、行き交う一人一人の足もとで、かさこそと音を立てる。静寂のうちにもその音が人の息遣いとともに近づいてき、人の暖かさを覚えるからだ。
そんな平和なさなか、昨日は思わぬものを川中に見てしまった。最初遠く土手から見えたのは、川の真ん中辺りで泉がわくかのように下から水が絶えず上がってくる光景だった。不思議に思い、近寄って見るとそれは泉でなく、大きな魚が水の中で動いているためであることがわかった。一匹か二匹かつかめなかった。時おり腹も見せる。さかんに体を動かしては、またもぐって水面に浮かび上がるが、一点にとどまっていて泳いでいるような気配はない。産卵なのだろうか。
確かめようと石を投げたが私の石はあらぬ方向に飛び、しかも半分ほどの距離を飛んだに過ぎなかった。二三回試みた。比較的近くまで飛んだか、と思いきや、その瞬間、空から一羽の鳥がその近くに飛び降りた。鳥もまた私と同様にどこか空から見ていたのだろうか。それとも私が投げた石が落ちるのを遠くで見ていたのかもしれない。あとで、魚には悪いことをしてしまったと思った。
その鳥は水面に顔を出し、のたうちまわっているその魚に近づいていった。その後、数十分の間その鳥は果敢にもその魚に挑戦していき、ついに自らの獲物としてしまったのだ。そしていつまでもその場から離れず、とうとう動かなくなったその魚を嘴で引きずっては、もっと浅瀬に運んで行った。どうしてその魚が泳いで逃げてゆかなかったのか、今もってわからない。また鳥が近づく前に、なぜあのように川中で身を持て余していたのかもわからない。
一方川面には、まるでそのような惨劇があるのも知らぬげに多くの鴨が編隊をなしてその近くを泳いで行った。白鷺やかいつぶりも川を歩いたり泳いだりしていた。私たちもその場を離れた。改めて川の中をじっくり眺めてみると、今の時期、川の深さはそれほどでない。と同時に川中に大きな魚が何匹も泳いでいることに気づいた。道理であんなにもたくさんの鴨をはじめとする水鳥が川に成育しているのだと合点した。
散歩から離れて帰ろうとして再びあの格闘の場面にもどってくると、まだ鳥はそこにいた。ところが今回は私が近寄ると後ずさりし、魚から離れ、川中に入って行き、盛んに口をすすぎはじめた。それも一度や二度でない。その所作は何回も何回も続いた。そしてそのあげくには羽根をきれいに洗い清めているのだ。それは大仰とも思えるが実に丁寧な仕草であった。そして居ずまいをきちんとすると、その鳥は羽根を拡げ空高く飛翔していった。鳥には鳥の礼儀があるのだろう。そんな厳粛さを感じさせられた。
弱肉強食とは言え、都市空間の中でこんなに豊かな自然の息吹が川にあることを改めて感じさせられた散歩だった。
家に帰り、夕食の膳になぜか「飛魚」が出た。鳥がどのように魚を食べるかつぶさに観察していただけに、いつになく真剣に食べざるを得なかった。「飛魚」は種子島のMさんのご両親からいただいたものだった。思えば去年の今頃は病床のMさんを何とか訪ねてお見舞いできないかと祈り、最後のお交わりができたように思う。若くして30代で召されたMさんを思い、一見弱肉強食に見える川中で見た自然の摂理をも思わずにはおられなかった。そんな私に聖書は語りかける。
狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(旧約聖書 イザヤ11・6、8~9)
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