2009年11月7日土曜日

Mさんの葬儀


 水曜日、木曜日と召されたMさんの葬儀に出席した。

 Mさんとは礼拝の席でお顔を拝見したり、お越しになったときに握手をし、ご挨拶をする間柄であった。その時はいつもこちらに最大の敬意をあらわしてくださるので恐縮させらることが多かった。

 火曜日の早朝に召された。奥様と前日の夕べに食事をともにし、その後雑談なさっていたが、気分が悪いと言って横になられた。少し異常を感じられた奥様は、心配のあまり救急車でもお呼びしましょうかとすすめられたが、それには及ばないと言うことであった。その後しばらくしてさらに容態が悪くなり、人事不省に陥られたようだ。一緒におられた奥様には大変なショックなことだった。

 Mさんは某会社の営業マンとして会社の発展に貢献され、皆さんに信頼され、愛されたお方であった。仕事一筋に生きて来られた。2000年に一身上に経験なさったことを通して、奥様が受け入れておられた救い主イエス様の前に頭を下げられるようになり、自然と足が私たちが毎日曜日ささげている礼拝場へと導かれ参加されるようになった。今年の2月には会社を退かれ、普段も奥様と一緒に聖書を読み、祈る時が与えられようになった。奥様にして見れば、会社人間として、母子家庭と言われても仕方がないような状態から、永年祈っていたご主人の救いが実り、これから二人でもっともっと主をあがめ、ともにイエス様を知り求める生活をされたいと希望されていた。それがわずか半年あまりで閉じられたわけである。

 二日間の葬儀には親族はじめ会社の方、ご近所の方、キリスト者の方々と多くの方が出席され、心温まる葬儀であった。葬儀の親族の挨拶はご長男がされたが、お父様への親不孝を心から詫びる内容であった。お父様への愛を伝えたく泣かんばかりにしてなされる挨拶はいつ果てるとも知れなかった。傍に一緒に立たれた叔父様(お父様の弟さん)が、やさしくご長男の肩に手を置いて、「感謝します、だね」となだめられやっと終えられた。家族・親族を大事に誠実に生きて来られたMさんを髣髴させる瞬間であった。

 私は火葬場の席でお二人の会社の上司・同僚の方とお交わりする機会が与えられ、よりくわしくMさんのお人柄を知ることができた。「沈着冷静な人」と言うのが上司の方の評であった。また大学時代応援団長をなさっていたという意外な事実も知らされた。お骨納めの時その上司の方が「Mちゃん」と口に出しながら参加されていることも印象的であった。

 二人のお子様も立派に成長なさっているが、もっともっとお父様と一緒にいたかったであろうし、いろいろなことを相談したかったに違いない。63歳という年齢でご主人やお父様とお別れしなければならない辛さを思う。この11月という月は私にとっても父を亡くした月だ。それでも父は69歳の死だった。私には妻もおり、子どもも与えられ、すでに一家を成していた。それでも父を亡くした時は丸一日、二日泣いてばかりであった。大切なMさんを亡くされたこのご家族の心中を思い、大いに主の上からの慰めがあるようにと祈らざるを得ない。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(旧約聖書 エレミヤ29・11)

(写真は昨日知人3人と浦和市内のとある食べ物屋さんに立ち寄ったが、生憎満席で入ることが出来なかった。店先にこの花が咲いていた。「アプチロン」というのが店主の方による花の名前だった。)

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