2009年11月18日水曜日

1984年12月24日のクリスマス・イヴ


 先日ある方からお電話をいただいた。数年来、会わず仕舞いで、一度お訪ねしたいと思いながら、果たせないでいるご家族であった。ご夫妻には今二人のお子さんがいらっしゃる。私はそのご夫妻の独身時代からの知り合いである。

 今から四半世紀前に新座の自動車教習所(身障者のために開設されていた)に出かけて行き、クリスマスをともに祝ったことがある。彼らはその時、二人して身体に障害を持ち、運転免許を取ろうとしていた時だった。所内ではじめて出合った彼らの間には恋が芽生えたようであった。私はそのことは何も知らず、不慮の事故で障害を持った女性(実は私の教え子)をお見舞いに出かけ、はからずもその男性(その時が私は初対面であったが)もその場に同席した。小さな持参のクリスマスケーキを前に賛美をし、ささやかな交わりを持ち祈ったように覚えている。

 その二年前、彼女が高校三年の二学期の終業式の当日であったと記憶するが、救急車で東京の日本医科大学に搬送される事態が起こった。その時、先生方が車に同乗し付き添って出かけた。当時、副主任の先生が学年主任の私に向かって「先生、あなたの出番ですよ!」と言われた。日頃、イエス様の福音を同僚にも伝えていた私がその場に最もふさわしいと考えられて咄嗟のうちに言われた言葉であった。尻込みをする私は後から背中を押されるようにして、祈りながら、自転車、電車を使って千駄木まで急行した。

 幸い手術はまだ始まっていなかった。突然の出来ごとで気も動転していた、彼女のおじいさんに、「私はキリスト者ですが、病室に入って祈らせていただけないでしょうか」と申し上げたところ、応諾を得た。病室には顔にも擦り傷があり、血の気をなくした彼女がいた。彼女に「希望は失望に終わることがない」(ローマ5・5)とみことばを読み、主イエス・キリストの御名によって祈ることができ、病室を出た。いのちは取りとめたが一時は半身不随になるとも言われていた。ところが、手術は成功し、一年半後には装具をつけながら歩けるまでに回復した。

 その時をきっかけとして、私は彼女の救いを祈り始めた。彼女は何度かお見舞いするうちに、手術時の激痛をはじめ、自分でどうしようもない時、頭に大きな字で「希望」と書いて耐えられたことも話してくれるようになった。私は聖書の言葉が彼女を支えてくれたことを知って嬉しかった。ところが彼女がイエス様を信ずるには時間がかかった。彼女は自分が神様の前でとんでもない罪人であり、自分なんかは赦されないと考えていたからである。のちに彼女にみことばの光が差し込み彼女は信仰を抱くようになったが・・・。

 教習所で出合った彼は、生まれながら障害を持って生まれたが、神様を求めて教会に通ったことのある人だった。そののち二人が結婚するので証人になってほしいと言って来た。私は内心不安であった。障害を持っている人同士がどうして結婚できるのか、と思ったからである。(結婚式は私たちが集っていた教会でしていただいた。)結婚後、この私の思いが全く人間としての浅はかな思いにすぎなかったこと、神様の深い計画があったことを知らされた。肉体的には障害の程度が重度である彼こそ肉体的に障害の程度の軽い彼女の心の痛みを受け入れることのできるのに、もっともふさわしいパートナーであったことが次々判明したからである。

 その後、教会には出席することは年に数えるほどであった。二人とも信仰がハッキリしなかったからである。ところが、私たちが教会から集会に出てすぐに彼らを招いたらやってきて、ベックさんとお交わりをし、その日のうちに救われた。不思議なことであった。彼女にとっては、救われないと思っていた自分の罪のために、イエス様が十字架にかかってくださったことが瞬時に受け入れられたようであった。一方、彼の方は小さい頃から不自由な体で友だちにいじめられ、親に話すと悲しむと思い、誰にも言えずにいた。その悲しい、口惜しい思いを、空を見上げ、「神様!」と訴えていたそうだ。そのお方がベックさんとの交わりを通してイエス様であることを知ったのだ。彼らが喜びにあふれて拙宅を後にしたのを思い出す。

 実は最初「尻込み」と書いたが、それは当時彼女は私の在籍する高校の中でも中々の努力家で成績も最優秀の部類に属する生徒であった。それに対して私は学年主任であり、本来なら彼女にとっては尊敬の対象であったかもしれない。ところが当の私は何となく後ろめたい思いをもって彼女に日頃対していたのである。それは彼女に世界史を教えていたが、私の知識は少なく教える自信もなく、いつも申訳ないという思いがあったからである。だから私は自分のようなものがイエス様を伝えることはできないと思っていた。ところがそのような無価値な私でなく、聖書のみことばが彼女を救うことを私はこの経験をとおして教えてもらったのである。

 最近、聖書の中でパウロについての記事を読んでいたら、次のように書いてあった。「私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心した」(1コリント2・2)パウロは私と違って大変な博学であった。にもかかわらずその博学を捨て、「十字架のことば」を伝え続けた。今日私が述べたことは私の拙い経験であったが、このパウロの言葉が何となくわかるような気がして一連の出来ごとを書いてみた。

キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならない・・・十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(1コリント1・17~18)

(写真は林立せるカラマツ。長野県御代田町にて。)

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