2012年5月31日木曜日

どのように集まるべきか

  5月最後の日であったが、今月二度目の家庭集会を開かせていただいた。
 メッセージは「光と暗闇」と題し、2コリント6:14〜7:1が引用聖句であった。創世記を通してロトの生き方を追い、私たち自身の危うい生き方はないか、とそれぞれの心が探られた内容であった。私自身、光である主イエス様にもっと照らされる必要を覚えさせられた。

 一方、証しされた方は「主を伝える」と題し、ご自身がどれだけ主に愛されて来たか、本来内向的である自分がそのことをまわりのひとびとに語らずにはおられなくなった主の恵みを現在進行形の形で(祈りの課題とともに)率直に語られた。この日の集会もたくさんの人々が集まって来られ、主にある交わりをそれぞれ三々五々続けられた。

 この機会に、集会とはどうあるべきか、ウオッチマン・ニーの文章を一部引用させていただく。題は「どのように集まるべきか」である。

 どのように私たちは集まるべきでしょうか。聖書は基本的な原則をしいています。すべての集いは主の御名によらなければなりません。この意味は単純です。私たちは主の権威の下に集まり、また彼を中心にするということです。私たちがいっしょに集まって来ることの目的は主と会うためです。私たちの引力は主にあるからです。私たちが集会に行くのは、ある兄弟たちや姉妹たちに会うためではないということを明らかにしておきましょう。集会の魅力は彼らにあるのではないからです。主が中心です。私たちは、多くの兄弟姉妹たちと連れだって、主の前に出るのです。

 なぜ、私たちは主の名において集まるのでしょうか。それは、肉体的に言うならば、主はここにはおられないからです。もし主が肉体的にここにおられたとすれば、彼の名はそれほど目立たないでしょう。しかし主がおられないので、御名がいっそう注目されてくるのです。今日、私たちの主は肉体的には天におられますが、彼は名前を地上に残して行かれました。それで今日、私たちは彼に近づくために、主の名において集まります。主は、もし私たちがそのように集まるならば、私たちの真ん中におられるという約束をしています。それは彼の霊が私たちの集いの真ん中にあることです。

 私たちが集まるとき、私たちは説教者の話しを聞きに行くのではなく、主に会うためなのです 。これは、私たちが自分のうちにしっかりと確立しておかねばならない概念です。だれかある人の話しを聞きに集まるとするならば、私たちは主の名においてではなく、その人の名において集まることにならないでしょうか。多くの人々は新聞に説教者の名を宣伝します。無意識のうちに彼らはこういった人のまわりに人々を集めようとしています。

 私たちの主は天におられますが、彼の名が私たちの真ん中にあり、御霊がおられるので、彼が私たちの中におられるのです。御霊は主の名の保管者です。彼は主の名を保護し、見守るために遣わされます。主はすべての名にまさる、あの名を高揚するためにここにおられます。それゆえに私たちは主の御名へと集まらなければなりません。

 以上、ウオッチマン・ニーの集会についての原則が語られている文章の一部を紹介させていただいた。改めて集会とは何かを考えさせられるいい文章だ。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(新約聖書 マタイ18:20)

2012年5月30日水曜日

いのちに至る悔い改めという「狭い門」

Der breite und der schmale Weg(Matth. 7,13.14)
人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」と言って、神をほめたたえた。(新約聖書 使徒11:18)

 人生において、我々は幾たびも、閉ざされた戸の前に立ちます。そのたびに、腹を立てたり嘆いたりするのです。

 しかし、どんな扉に比べても、神の国の門ほどに広く開かれているものはこの世にないということを、知らねばなりません。

 イエス・キリストの最初の群れは、このことを知りませんでした。ペテロから「異邦人でもこの門を入ることができる」と初めて聞いた時、彼らは神への賛美をほとばしらせたのです。異邦人でも! 無神論者でも! 自分を無価値だと思う人でも! この門を入り得るのです。

 「異邦人にも!」——神の御子が我々のために十字架にかかられて以来、このことばは、神の国の門がいかに広く開かれているかを、示し続けています。

 しかし、同時に、この広い門は「狭いくぐり戸」でもあるということは、注目すべき事実です。この戸は、「悔い改め」ということばの中に立っています。主イエスは仰せになりました。「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。・・・いのちに至る門は小さく、その道は狭い」と。

 狭い門とは「悔い改め」のことです。悔い改めとは、古い生活からの方向転換であり、神なき生活、神のおきてなき生活、この世の霊に従う生活、神の御霊を無視した生活、自己義認と罪の生活——それらからの方向転換です。それは大きな第一歩です。重大な決断です。そしてまことに狭い門なのです。

 あの大いなる門はすべての人に開かれています。が、そこを通って行く人には、それは狭い門であるとわかるのです。

 主よ! 我らを、そこを通り行く者としてください。 アーメン

( 『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著5月30日の項より引用。)

 昨日火曜日一週間前に64歳で召された一人の私たちの愛する奥様の葬儀が吉祥寺集会で行われた。胆嚢がんの宣告のもと三年八ヶ月の闘病生活であったが、その困難な試練を通してその方のご主人お子様がいかにして主イエス様を信じ受け容れなさったかをお聞きし、主の測り知れない恵みを味わわされた。

 「火曜日」は長年ずっと聖書の学びが行われて来た。たとえ葬儀があっても、この時間帯が当てられることはなく、午後行われたものだ。ところが今回は葬儀が学び会そのものとなった。そしてそれは国籍を天に持つ者は、ともに同じ神の家族であるという意味で姉妹とも言うべき奥様が病の中でどんなに忠実に主イエス様に従って行き、まわりのまだ主イエス様を知らない方々への福音伝達をなさったかを端無くも証しする機会となった。

 ご遺族のご挨拶の中で、ご主人は召される二日前の奥様親しい方との会話を紹介なさった。お見舞いされた方が、天国への道の話をされ、「今日は(貴女は)一段と輝いていますね、他の病室はどこも暗いのに、この部屋だけは明るいですね。(からだはやせ衰えていたが、目だけは輝いていたようだ)」と言われたところ、奥様である姉妹は「私は狭い門から入ります。」と確信に満ちた答えをされた、と言うことだった。

 その時、すぐには(信仰をもって間もない——実は召される21日前に奥様と同じ天国へ行きたいと強く思わされ洗礼を希望し、奇跡的にそれが実現したのだったが)自分には何を言っているか意味が分からなかったが、主イエス様が狭い道から入る道を用意してくださったのだと感謝の気持ちで一杯だった、と述懐された。

 ところが召されて後、つい先日のこと、奥様がドイツ・ミヘルスベルクで購入された絵(それまで長年サイドテーブルに置いてあったのに不覚にも気づかなかった)が目に入り、ああこれが「狭い門」だったのだと実感が湧き、その絵の存在さえも知らなかった奥様に対する無関心への悔い改めをなさり、それにもかかわらず、妻の病を通して自分もともにこの狭い門をくぐって天国に行けることを確信し感謝の気持ちを持ちました。今日はその記念にその絵もこのように額にして持ってきました、と高々と示された。その時、葬儀会場には一瞬微笑みがさざ波のように広がって行くのがマイクを通して伝わって来た。このような席では普通は泣き言、悲しみしか聞かれないのに会場を支配しているこの爽やかさは一体何なのだろうかと思わされた。

 様々なご事情で出席がままならなかったご遺族の関係者は4名だったが、ご主人と二人のお子様、そしてお母様や弟様ご家族に、姉妹の不治の病という代価を払わされた主イエス様は確実に家族・親族全員を「狭い門」をくぐり抜けさせ、天の御国へと招かれた。その真実な主イエス様のみわざが輝き、会場全体を喜びに包んだ証しが、これまたやんごとなき事情で出席できなかった私にも収録を通し伝わって来た。

 ちょうどタイミングよく今日手にしたブッシュ氏の引用聖書箇所はその「狭い門」という意味の一つの説き明かしであった。ご主人が会場で示されたであろう絵は、奥様がまだ病を得る前にドイツでご一緒させていただいた折りに購入したあの絵に違いない。故人の信仰を忍び冒頭にその絵を載せさせていただいた。

2012年5月25日金曜日

「一丁目一番地」とCD

 今週の火曜日に学びと同時に一人の方が証してくださった。その日はちょうど奥様が25年前に受洗なさったと言われた。そして、ご自身がその後どうして主イエス様を信じたか一つ一つ不思議なことを、すなわち全然主イエス様を求めようとしなかった自分があれよあれよと言う間に、主を信ずるに至ったかを証してくださった。そして結びに「今日は自らの救いを中心に証しましたが、その他渡米、失職など身辺にまつわる過去21年間の歩みを一々語るなら語りきれません。まさしくヨハネが言う通りです」と最後に以下の御言葉を読まれた。

イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。(ヨハネ21:25)

 お聞きしていて、さもありなんと思って聞いていた。ところが昨日二三時間の間に私が経験したことも全く主イエス様のみわざとしか言えないことばかりであった。実はその前の日から、一人の方にCDをお渡ししようと祈っていたのだ。その方とはここ10年ほど会っていず、お宅がどこなのか覚えていない人だった。

 ただかつて散歩途中にその方と同じ苗字の表札の家を見つけて所在を知っていたので、見つけるのは楽勝だと思っていたが、中々見つけられなかった。それでもあっちこっちうろついてやっとその家を捜し当てることができた。ところが玄関の扉が閉まっていて生憎不在のようだった。ポストに入れようとしたが筆記具がないため、これは説明も書けず、まずいなと思い始めた。

 でも鍵は閉まっているようにも思えないので、もう一度挑戦してみたら今度は難なく開いた。玄関先の呼び鈴を押してご挨拶したら、見掛けぬ方だった。「こちらは○○さんのお宅ですか」と念を押してお聞きしたら「違います」という返事が帰って来た。とんだ勘違いに初めて気づき「申しわけありません」と謝り、そのお宅を辞去した。私が自信をもって、○○さんのお宅だと思いこんでいたのは、飛んでもない見当違いで苗字は同じだがその方とは縁もゆかりもないお宅だったのだ。

 これでは、番地を知らないし、探しようがないなとは思いながら、またその附近の表札を頼りに歩き回っていた。その後、5分ほどしてか、近くを子ども連れの若い女性が通りかかった。横顔を見ると○○さんの知り合いでもあり私の知り合いでもある方だった。これはいい助け舟だとばかりに、彼女なら分かるはずだと教えを乞うた。「ここじゃなくって、向こうの方だ」と弧を描いてくれるのだが、彼女もくわしい場所は知らないようだった。それでもありがたかったので、ありがとうと言いながら、気を取り直して今度はそちらの方を一軒一軒探したがそんな調子で見つかるはずがなかった。

 やはり無理だ、図書館にでも行って地図を見て調べるしかないと観念したが、図書館までは遠いし、行くまでに閉館するだろうし、行ってまた戻って探すのも大変だと思い、20年ほど前にお宅を伺ったかすかな記憶を頼りに、原点に帰って別の方角から探すことにした。そしてその附近をまた一軒一軒探していたら、今度は別の通りがかりのご婦人がどなたか家をお探しですか、と深切にも声をかけてくださった。「○○さんです」と申し上げたら、「ああ、○○さんですか、次の角を曲がったところ、そうそう家の前に車のあるお家ですよ」とおっしゃった。

 その奥様にお礼を申し上げる間もなく、その方面を見たら、○○さんが玄関を出て今しも車に乗ろうとされているところだった。駆け寄り、ご挨拶した。10年ぶりくらいだったろうか、ちょうどお出かけの時だったので路上でお話をし、件のCDをお渡しした。

 もちろん、心は天にも昇る思いであった。何しろCD をお渡しできますように、という祈りをささげていたからである。それにしては、番地も確かめず、家に投げ込もうにも説明するための筆記用具も持たず極めて不十分な出で立ちであった。それにもかかわらず奇蹟とも思えるその○○さんと玄関先でお会いしCDを直接お渡しすることができたのであった。

 それに私が○○さんの家を探している途中に、実はもう一人の不思議な出会いを体験させていただいていたのであった。それは私のかつての教え子で、今は二児の母親になっている方との10年ぶりの再会であった。そしてその立ち話の間に10年前に知らなかった事実が彼女の口をとおして明らかにされたのであった。教え子も私もお互いに顔をほとんど知悉していないと言ってもいい時間の空白があったのにだ。そしてそもそも○○さんの家はほとんど出かける寸前までは、その前にお訪ねしお交わりするご夫妻に依頼してCDを渡す計画であった。ところがどうしてもご夫妻が渡してくれないかも知れないと思い始め、ご夫妻の家を辞去してから自力で無鉄砲にも家を探すと言う不確さになった事情があった。

 そして冒頭では省いたがもう一つ大切な祈りをささげていた。それはそのご夫妻との交わりを主が祝福してくださるようにという短い祈りであった。(けれどもここ何年も祈り続けていることであった)ところがその日はご夫妻とともにその件のCDをお聞きし、主のみわざを素直に双方で認め合い、喜ぶことができるように、今までのお互いの関係を一歩前へ進めてくださっていたのだ。

 これらすべてのことを通して私がすべて主イエス様がそうしてくださったと言うのも無理からぬことと御承知願えることであろう。まさにこんなことを一々書き上げていたらヨハネ、また今週証をしてくださった方ならずとも、私もまた、時間も、書くスペースも足りないだろう、と言わずにはおれない。

 ところで件のCDとはそれぞれお父さんがアルコール中毒から救われて召された証や友人が末期がんの闘病の中で主を信じて天に召された喜びと自身の信仰の確信をそれぞれ短く証された20分足らずの話を収録したものである。

2012年5月24日木曜日

我、キリストにありて、いのちの王たらん

歴史的な精確さ

 聖書中エステル書は多分一番多くの批評家から大攻撃を受けた本であって、彼らはこの本を信用する価値のないものとしています。しかしヘロドトスの書き物やフランス人のドーラフォイ氏[註]によって発見されたクセルクセス王のシュシャンの宮殿のものを総合してみればエステル書の記事はすべて真実であることがわかります。

註 M.ドーラフォイ氏はルーブル美術館のbithan(宮殿、大宴会の間や王室の間)に設置しており、今では誰でも大理石の舗石や宴会の間の敷石にその跡を見ることが可能です

 宮殿と庭園の相互の位置関係はエステル書の記事と符合しています。アハシュエロス王(歴史上はクセルクセス王)の浮薄で気まぐれな性質と、彼の豪勢な宴会やペルシヤの廷臣の名前、黄金の椅子、金笏(きんしゃく)、印、書記官、急使などの記事がこの書にありますが、皆歴史上の事実であります。(略)

救い

 エステル記中の人物を様々な型として入念に説明する人もいますが、ここには単純な事実が顕わされているのです。すなわち民のために自分の生命をも喜んで投げ出そうとする人です。ここに私たちはエステル書のキリストを見出すことができるのです。エステルは主の写真でありますが、主はただ生命を与えようと思われただけでなく、実際に私たちのために生命を捨てて下さったのです。そのとりなしによって私たちに救いが確かなものとなったのです。

機会

 けれどもこの書には私たちにとって実際に学ぶべき教訓があり、それは神様が与えられた機会を十二分に用いることの重要性であります。それは私たちにとっても他の人にとっても生死を分ける力が働く機会となるのです。モルデカイは神様が働いておられることを確信していましたのでエステルに伝言して「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4:14)と伝えたのです。

 私たちは自ら与えられた機会はさほど重要でないと考え、自らの影響の及ぶところは小さいものに過ぎない、大したものでないと考えるかも知れません。「もしエステルのように立派な皇后になったのなら、その時になって別に考える 」という人がいるかも知れません。しかし「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない」のです。ああ、あなたよ!あなたがどんな人であろうと、どんな境遇をお持ちであろうと、あなたは「ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配する」(ローマ5:7)ために召されているのです。

 あなたはその機会を見逃さないように注意しなければなりません。神様は私たちめいめいの人生にそのようなご計画をお持ちなのです。私たちはご自身の栄光のために神様が最善に用いることができるためにそのところにおいておられるのです 。もし私たちがそこで失敗するなら、神様は他の方法を用いてご自身の計画を実現されるでしょう。けれども私たちとしては大いなる損失を招くのです。エステルのように私たちもまた神様の御用のためには生命でも何でも捨てる覚悟をしていなければなりません。

(聖書通読の個所がエステル記にさしかかったが、参考のために名著『66巻のキリスト』167頁を紐解いてみた。教えられるところ多かった。この本の邦訳は遠く大正3年1914年笹尾鉄三郎氏により翻訳されているが、何しろ表現が古風である。原著http://www.thebookwurm.com/amh_tc.htmを参考に上掲のごとく意訳を試みた。なお、文中ロマ書の文語訳は「一人のイエス・キリストにより生命に在りて王たらざらんや」である。エステルは王妃であった。我らもまたキリストにあって王なのだ。王は王として歩むべしとは原著者ホッジキンと翻訳者笹尾の証でもあった。我らもその跡を継ぐ者でありたい。)

「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(旧約聖書 エステル記4:16)

2012年5月23日水曜日

ふさわしい祈りを求めて

カーネーション、ありがとう!こんなに見事に咲いたよ!!

 昨日は10度寒くなると言われ、喘息を持つ家内を家において、ひとりで火曜の学び会に出かけた。一日不思議なことばかりであった。第一は当日のメッセージが「祈りが聞かれない理由」であった。これって前日このブログで載せさせていただいた記事のもう一つの答えでないの、と思わされたからである。よくは読んでいなかった昨日の記事を写してみる。

 神が祈祷に答え給うことに疑いはあり得ない。この点について聖書は十分に明白に語っている。これほど明瞭なことは他にあり得ないことである。凡ての人はいつでも、いかなる場所でも、また凡ての必要のために、祈るべく命ぜられている。祈祷が聞かれるとの確証は、豊富である。約束は鮮明であり、聖書は実例と激励に満ちている。「凡て求むる者は得」るとはキリストご自身の言である。(マタイ7:8)。約束の範囲についていえば場所について(テモテ前2:8)、時について(ルカ18:1、テモテ前4:17※)、また題目について(ヨハネ16:23、マタイ21:22、ピリピ4:6)も限界はない。人にかかわる事はみな神の御関心事であり、正式に祈祷の題目なのである。神は我らの必要を聖なる事と俗なるものに分類し給わず、霊的なものと物質的なものを区別し給わないのである。我らの罪の赦しのために祈るべく教え給うた御方は、また「我らの日用の糧を日毎に与え給え」とも祈るべく教え給うたのである。

 然しながらこの題目を我らが学ぶにつれて、条件や限定づけがされている事が明らかになって来たのであった。祈祷には法則があるのである。制限なき約束が、諸条件にとりかこまれたものであったのである。・・・
(『祈祷の小径』183〜184頁より。※この個所はない。なお英文原稿http://www.raptureready.com/resource/chadwick/chadwick16.htmlにあたってみたが邦訳者のミスでもない。)

 昨日のベックさんのメッセージでは、まさしくそのものずばりの条件7つが語られた。すなわち祈りが聞かれない理由は①不従順(マルコ6:5〜6など)② 隠された罪(詩篇66:18など)③無関心(イザヤ62:6〜7など)④聖書をおろそかにする(箴言28:9)⑤強情(ゼカリヤ7:11〜13)⑥心の不安定(ヤコブ1:6〜7)⑦不純な動機(ヤコブ4:3など)の7つであり、その裏返しがそのまま聞かれる条件であるからである。

 主の御心は永遠のいのちにある。永遠のいのちにあずかるためには何としてもこれらの7つの項目は妨げになる。家族の救いは主の約束であるが、それは家族との妥協によるのではない。イエス様ご自身が家族を退けられた(マタイ12:46〜50)。その実が結んだのはイエス様の死後であった(使徒1:14)ことを指摘された。救いはひとりではなく、全家族である。そしてそれは私たちがみことばに聞き従うかどうかが大切であり、私たちがあれをするこれをするではない。主が何をしてくださったかが大切だと冒頭語っておられた。

 第二はこの集会の後、三人の方々との不思議な交わり(その内には、みことばだけを求めて、どなたの知り合いもないまま、初めて出席され、どういうわけか私に声をかけられ、近くのレストランでお交わりすることになった初対面の方との出会いもあるのだが)を体験させていただいたことである。そしてそれらはそれぞれ祈りのうちに結び合わされている事柄、そしてこれから祈り始める事柄に満ち満ちていたのだ。第三は帰って来て、夜、家内の親友から、交わりのうちにあった一人の方が天の御国に凱旋されたニュースを知らされた。ご主人は今回召された奥様を看病する中で病院で洗礼を受けられたことを前に聞いていた。柔和なご夫妻の笑顔を思い浮かべ、慰めと大いなる祝福を祈った。主のなさる事は不思議である。

 最後に昨日の集会メッセージで引用された聖句を載せる。

いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。(新約聖書 使徒10:33)ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。(使徒16:31〜34)

2012年5月22日火曜日

祈り抜くことを教えてください。

玄関の登り口のコンクリートの隙間に一人生えしている草花。

  男性の名前をプリントアウトした資料が出て来た。作成した当時はこの方々のために祈ろうと思ったはずだ。しかし事、志とは異なり、三日坊主になってしまい、資料は散逸したままであった。久しぶりに見てみると、その中には、いつの間にか、もう忘れている方のお名前や、交わりから遠ざかっている方のお名前が何人もあり、辛かった。一方4名の方が、主を信じて召されていた。

 そんなことを話題にしていたら、家内が一つの詩を読み上げてくれた。読み上げているうちに、いつの間にか涙声になった。しかし、祈りは必ず聴かれているのよねと言うのだった。思わず自分でもその本が読みたくなった。手に取ると、それはちょうど「応えられぬ祈祷の問題」と題する記事の中に書いている以下の詩だった。良い詩なので紹介する。

未だ応えられず! かく幾年に亘る心の
悩みになが口唇のささげし祈りにても?
信仰は地に落ち、希望は離れはじめしか?
落とせし涙はすべて空しかりしや?
言うなかれ、御父なが祈祷を聴きたまわざりきとは。
いつか—いずこにてか—汝は心のねがいを得るなれば。

未だ応えられず! なれが初めて
一つの願いを御父の座に供えし時は、
その願いを知らせ奉るに心せきて
求めの時すら惜しむほどなりき。
幾年かは過ぎたりと言えども、
希望を捨つるべからず。
いつしか—いずこにてか—主は汝に応えたまわん。

未だ応えられず! されど言う勿れ、
神賜わざりきと。
汝が務めなお残りおるやも知れず。
汝が初めて祈り始めし時、その務めは始まりたり。
神、自ら始め給いしは果たし給わん。
祈りの香をたくことを絶やさざれば、
いつか—いずこにてか—汝は見ん神の栄光を。

未だ応えられず!
信仰に応答なきはあり得ざるなり。
信仰は『岩なる者』にその足を確くし荒れすさぶ嵐にも雄々しくそびえ、
いとすさまじきいかずちにも動ぜず。
全能者ききたまいしを信仰は察知し、
いつか—いずこにてか—事は成されんと叫ぶ。

(『祈りの小径』S.チャドウィック著蔦田真実訳の本の中の最後に載せてあるE.B.ブラウニングの詩。彼女は「時は春、/日は朝、朝は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、神、そらに知ろしめす。/なべて世は事も無し。」のロバート・ブラウニングの夫人である。)

主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。あなたは彼の心の願いをかなえ、彼のくちびるの願いを、退けられません。セラ あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。彼はあなたに、いのちを請い求めました。あなたは彼に、とこしえまでの長い 日々を与えられました。(旧約聖書 詩篇21:1〜4)

2012年5月21日月曜日

有言実行のみ

金環日食下の今朝のバラ

 もう四、五年前になろうか。ある古本市で以前から著書を通してお名前を知り、30年ほど前には何回かお話を聞いた方が所持しておられたたくさんの本に出会った。律儀なその方の性格を反映してか、その方の本には氏名印が捺してあったのでそれとわかった。それにしても哀れさを覚えた。恐らく遺族の方がそれらを出したのだろうと推察されたからである。人づてにその方はお子さんもおられなかったことを知っていた。

 それにしてもその本の出し方は異常とさえ思われた。一例を挙げるなら、研究社の大英和辞典までが出されていたのだ。私など、母が高校進学だったか、中学進学だったか忘れてしまったが、身分不相応なこの大英和を買って来てくれたことを思い出す。小さな辞典ならともかく、こんな大きな辞典が何の役に立つのかとその時思ったし、利用した回数も数えられるほどしかない。そんな辞典も数年前に処分してしまった。

 ところが私よりは数年先輩になるその方の蔵書としてその英和辞典があったのである。私としては二重の懐かしさを覚えた。それと言うのも、戦後間もなく、これからは英米文化とばかりに恐らく出版されていた代表的なものの一つだと思ったし、苦学なさったその方も私と同じようにひょっとして教育熱心な母親から乏しい財布を割いて買い宛てがわれたのではないかと思い、親しみを覚えたからである。でもその時、その英和辞典はさすがにその古本市では買い求めなかった。

 その代わり、10数冊のその方の手持ちの信仰書を買い求めた。その中には聖書があった。今も手許にある。実に奇麗に使われた聖書である。しかも克明な書き込みがある。所々にはギリシヤ語さえ併記してある。ちょっとした註解つき聖書よりいかほどか気の利いている代物である。何しろ、その方が苦心して取り組まれたであろう思索の跡を見る思いがするからである。ただそうは言っても人様の手あかのついた聖書である。書棚に鎮座ましますだけで、そんなに手に取って見ることはなかった。また一方、その方の御著書の考えには福音よりもご自分の正義感が貫かれており、以前の教会時代の私なら共鳴したであろうが、今となっては大変苦しい生き方であるなあーと思わされており、これまた書棚に納めたままで手に取って読むことはなかった。

 ところが昨日、日立に出かけた際、帰りに水戸まで電車でご一緒した一人のご婦人と 何気なく会話をしていて、会話の終わりの方で、私の方からその方のお名前を出したら、そのご婦人が目をまん丸くしたのである。そして「あなたは○○さんを尊敬しているんです か、どうですか」と事と次第によっては私にも覚悟があると言わんばかりであった。私もそれが余り良い評判のようにも思えない話になりそうな予感がしたので、「いやー、良くは知らないのですが。これこれこういうわけで某所の古本市で本を沢山手に入れたのですが」と申し上げた。彼女は言下に、「言うことはいいんですよ。でもどうですかね。言うこととやっていることがちがうんですよ。人間的な人ですよ」と言ったのである。これには驚かされた。彼女の妹さんがよくその方を知っており、どうもその方をとおしての話のようであった。

 でも冷静に考えるなら、あり得ることだと思わされた。本を書いたり、たとえば、このブ ログでもそうだが、物を書くということと実生活が異なることはあり得ることだと思い当たるふしがあるからである。それにしてもキリスト者にとって、この言っていることとやっていることとは違うというのは余りにも致命的であり、私にとっては大変ショックな話ではあった。

 今朝、いつものように聖書通読に務めたが、久しぶりにその方の聖書を書棚から取り出し、ついでに今日の通読個所を彼の聖書で確かめた。彼の小さな字で私が今朝読んだ2歴代誌23章から32章のややこしい王列伝の中には小気味よく王の代替わりごとに王名が朱書されていた。たとえば29章の冒頭には「ヒゼキヤ王」と書かれ、その前の「アハズ王」は28章の冒頭にと極めて几帳面な字が納まっている。私が何の気なしに文章を追って行く聖書もその方のお陰で随分頭が整理できた。役に立ち、読み込まれている聖書だと改めて思わされた。一方、聖書が正直に王の治世を功罪ふくめて叙述していることにも思いを馳せないわけにはいかなかった。

 昨日の知人からうかがったその方の生き方は余りにも私にはショックな話ではあったが、何事も白日の下にさらされる主の前に正直に生き、主にだけ頼りたいと強く思わされた。ちなみにその方がその聖書の個所で赤の傍線を引いた個所を下に書き上げておく。

ヒゼキヤはユダ全国にこのように行ない、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行なった。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。(旧約聖書 2歴代誌31:20、32:7)