金環日食下の今朝のバラ |
もう四、五年前になろうか。ある古本市で以前から著書を通してお名前を知り、30年ほど前には何回かお話を聞いた方が所持しておられたたくさんの本に出会った。律儀なその方の性格を反映してか、その方の本には氏名印が捺してあったのでそれとわかった。それにしても哀れさを覚えた。恐らく遺族の方がそれらを出したのだろうと推察されたからである。人づてにその方はお子さんもおられなかったことを知っていた。
それにしてもその本の出し方は異常とさえ思われた。一例を挙げるなら、研究社の大英和辞典までが出されていたのだ。私など、母が高校進学だったか、中学進学だったか忘れてしまったが、身分不相応なこの大英和を買って来てくれたことを思い出す。小さな辞典ならともかく、こんな大きな辞典が何の役に立つのかとその時思ったし、利用した回数も数えられるほどしかない。そんな辞典も数年前に処分してしまった。
ところが私よりは数年先輩になるその方の蔵書としてその英和辞典があったのである。私としては二重の懐かしさを覚えた。それと言うのも、戦後間もなく、これからは英米文化とばかりに恐らく出版されていた代表的なものの一つだと思ったし、苦学なさったその方も私と同じようにひょっとして教育熱心な母親から乏しい財布を割いて買い宛てがわれたのではないかと思い、親しみを覚えたからである。でもその時、その英和辞典はさすがにその古本市では買い求めなかった。
その代わり、10数冊のその方の手持ちの信仰書を買い求めた。その中には聖書があった。今も手許にある。実に奇麗に使われた聖書である。しかも克明な書き込みがある。所々にはギリシヤ語さえ併記してある。ちょっとした註解つき聖書よりいかほどか気の利いている代物である。何しろ、その方が苦心して取り組まれたであろう思索の跡を見る思いがするからである。ただそうは言っても人様の手あかのついた聖書である。書棚に鎮座ましますだけで、そんなに手に取って見ることはなかった。また一方、その方の御著書の考えには福音よりもご自分の正義感が貫かれており、以前の教会時代の私なら共鳴したであろうが、今となっては大変苦しい生き方であるなあーと思わされており、これまた書棚に納めたままで手に取って読むことはなかった。
ところが昨日、日立に出かけた際、帰りに水戸まで電車でご一緒した一人のご婦人と
何気なく会話をしていて、会話の終わりの方で、私の方からその方のお名前を出したら、そのご婦人が目をまん丸くしたのである。そして「あなたは○○さんを尊敬しているんです
か、どうですか」と事と次第によっては私にも覚悟があると言わんばかりであった。私もそれが余り良い評判のようにも思えない話になりそうな予感がしたので、「いやー、良くは知らないのですが。これこれこういうわけで某所の古本市で本を沢山手に入れたのですが」と申し上げた。彼女は言下に、「言うことはいいんですよ。でもどうですかね。言うこととやっていることがちがうんですよ。人間的な人ですよ」と言ったのである。これには驚かされた。彼女の妹さんがよくその方を知っており、どうもその方をとおしての話のようであった。
でも冷静に考えるなら、あり得ることだと思わされた。本を書いたり、たとえば、このブ
ログでもそうだが、物を書くということと実生活が異なることはあり得ることだと思い当たるふしがあるからである。それにしてもキリスト者にとって、この言っていることとやっていることとは違うというのは余りにも致命的であり、私にとっては大変ショックな話ではあった。
今朝、いつものように聖書通読に務めたが、久しぶりにその方の聖書を書棚から取り出し、ついでに今日の通読個所を彼の聖書で確かめた。彼の小さな字で私が今朝読んだ2歴代誌23章から32章のややこしい王列伝の中には小気味よく王の代替わりごとに王名が朱書されていた。たとえば29章の冒頭には「ヒゼキヤ王」と書かれ、その前の「アハズ王」は28章の冒頭にと極めて几帳面な字が納まっている。私が何の気なしに文章を追って行く聖書もその方のお陰で随分頭が整理できた。役に立ち、読み込まれている聖書だと改めて思わされた。一方、聖書が正直に王の治世を功罪ふくめて叙述していることにも思いを馳せないわけにはいかなかった。
昨日の知人からうかがったその方の生き方は余りにも私にはショックな話ではあったが、何事も白日の下にさらされる主の前に正直に生き、主にだけ頼りたいと強く思わされた。ちなみにその方がその聖書の個所で赤の傍線を引いた個所を下に書き上げておく。
ヒゼキヤはユダ全国にこのように行ない、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行なった。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。(旧約聖書 2歴代誌31:20、32:7)
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