2012年5月22日火曜日

祈り抜くことを教えてください。

玄関の登り口のコンクリートの隙間に一人生えしている草花。

  男性の名前をプリントアウトした資料が出て来た。作成した当時はこの方々のために祈ろうと思ったはずだ。しかし事、志とは異なり、三日坊主になってしまい、資料は散逸したままであった。久しぶりに見てみると、その中には、いつの間にか、もう忘れている方のお名前や、交わりから遠ざかっている方のお名前が何人もあり、辛かった。一方4名の方が、主を信じて召されていた。

 そんなことを話題にしていたら、家内が一つの詩を読み上げてくれた。読み上げているうちに、いつの間にか涙声になった。しかし、祈りは必ず聴かれているのよねと言うのだった。思わず自分でもその本が読みたくなった。手に取ると、それはちょうど「応えられぬ祈祷の問題」と題する記事の中に書いている以下の詩だった。良い詩なので紹介する。

未だ応えられず! かく幾年に亘る心の
悩みになが口唇のささげし祈りにても?
信仰は地に落ち、希望は離れはじめしか?
落とせし涙はすべて空しかりしや?
言うなかれ、御父なが祈祷を聴きたまわざりきとは。
いつか—いずこにてか—汝は心のねがいを得るなれば。

未だ応えられず! なれが初めて
一つの願いを御父の座に供えし時は、
その願いを知らせ奉るに心せきて
求めの時すら惜しむほどなりき。
幾年かは過ぎたりと言えども、
希望を捨つるべからず。
いつしか—いずこにてか—主は汝に応えたまわん。

未だ応えられず! されど言う勿れ、
神賜わざりきと。
汝が務めなお残りおるやも知れず。
汝が初めて祈り始めし時、その務めは始まりたり。
神、自ら始め給いしは果たし給わん。
祈りの香をたくことを絶やさざれば、
いつか—いずこにてか—汝は見ん神の栄光を。

未だ応えられず!
信仰に応答なきはあり得ざるなり。
信仰は『岩なる者』にその足を確くし荒れすさぶ嵐にも雄々しくそびえ、
いとすさまじきいかずちにも動ぜず。
全能者ききたまいしを信仰は察知し、
いつか—いずこにてか—事は成されんと叫ぶ。

(『祈りの小径』S.チャドウィック著蔦田真実訳の本の中の最後に載せてあるE.B.ブラウニングの詩。彼女は「時は春、/日は朝、朝は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、神、そらに知ろしめす。/なべて世は事も無し。」のロバート・ブラウニングの夫人である。)

主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。あなたは彼の心の願いをかなえ、彼のくちびるの願いを、退けられません。セラ あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。彼はあなたに、いのちを請い求めました。あなたは彼に、とこしえまでの長い 日々を与えられました。(旧約聖書 詩篇21:1〜4)

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