しかし、そんなに大事な組織化の結果は、御霊にある以前の自由の何ものかが失われ始めたことを意味した。一つの監視態勢がすぐに集会で導入されることになった。つまり信者の住所、仕事、家庭などの完全な記録がある集会は、もし人が出席しないようだったただちにそのフォローがなされることを意味していた。主の食卓に「囲い」がかけられたのだ。あなたは正式に仲間に入れられ、名前とともに印をつけられた。もはやあなたは新生し、主を愛しているという自らの証だけで受け入れられることはないだろう。過去において主の食卓はいつも良心と聖霊の確信が人の心に十分な働きが与えられたところであった。
しかし今やあなたが他のクリス
チャンとのつながりから離れ、ミーティング・ホール教会に引き渡されることがまず注意深く調べられたのだ。そしてウオッチマンの1940年の一人の兄弟に対する助言、「聖霊が上海においてもチンタオ(青海)においても同じことをするように期待しないように、聖霊に自由に働いていただきなさい」ということが、すぐに働きの中心で強い権威主義者の手で強制される組織化に席を譲るようになったのだ。ウイットネス・リーは当然「組織化」の概念と関係がないと注意深く言い、
飲み水をふくんでいる一杯のコップのようにこれらのお膳立ては霊的なことを伝える器に過ぎないのだと釈明した。しかし彼は教会の誰にでも、従順であるように熱心に勧めた。「まず問わないで何もするな」と彼は勧め「堕落した人は自分が喜ぶことをするのだから。ここに秩序がある。ここに権威がある。教会は厳しい訓練の場所である」と言った。
(『Against the tide』P.179~180。今日のところで14章Withdrawal は終りである。果たして、これは何と訳せば良いのか、「撤退」なのだろうか。次回からは15章Returnである。全文で20章だからまだまだ話は続く。この当時のウオッチマン・ニーについては別の証言〈1948年の6月から10月までの訓練生張兄弟のもの〉がある。「20年間、わたしはただ、すでに何かを持っている人たちにさらに多く持たせ、求めている人たちに助けを受けさせたにすぎませんでした。この訓練が成功するか失敗するかは、すべてあなたがたがどういう人であるかにかかっています。もしあなたが、あらかじめ占有され、自己満足しているのでしたら、助けを受けることはないでしょう。しかしもしあなたが真に前進したいのでしたら、わたしはあなたがさらに前進するよう助けることができ、もしあなたが幾らか光を持っているのでしたら、あなたがさらに光を受けるよう助けることができます。わたしの務めは、あなたを復興することでも変えることでもなく、この途上にあるあなたを導くことです。わたしの務めは、家に座っている人たちを押し出し、歩むように強いることではありません。」〈『今の時代における神聖な啓示の先見者 ウオッチマン・ニー』ウイットネス・リー著P.258〉それにしてもウイットネス・リーについて前回も今回もAngus Kinnearはauthoritarianと断じている)
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。(新約聖書 2コリント3:17)
日本語の表現で一点分からないところがあるので、恐れ入りますが、教えていただけますか。
返信削除「ウオッチマンは~要請された」とは、ウォッチマンが要請したのでしょうか?
あるいは他の人(ウィットネス・リー?)がウォッチマンに要請したという意味でしょうか?
K.K@千葉県
はい。ウオッチマンが要請された、と言う意味です。念のため、原文を示します。Watchman was asked to supply fifty-two lessons of systematic instruction in Christian fundamentals... 実は私もウイットネス・リーとの関わりが気になるところでその辺は慎重に訳そうと思いますし、著者であるAngus Kinnearの立場も気になるところです。なおこの52のテーマはすべて別の資料で明確にされています。たとえば、その中には(1)バプテスマ(2)過去のことに始末をつける(44)頭のおおい(50)教会の権威などがあるようです。次の15章ではさらに両者の関わりが詳しく書かれています。注意して御読みくださっていることとても感謝です。今後もご指摘ください。
返信削除早速ご回答くださり、ありがとうございます。
返信削除因みに、私は「別の資料」を所有しています。(日本語版では3冊になっている書籍ですね)
この出版社がWEBサイトや各種書籍の前書きに記載しているコメントを見ても、ウォッチマンとウィットネス・リーとの正確な関わりが把握できないように感じますので、このような文献を読ませて頂けるのはとても感謝です。
追伸:
先日は短い時間でしたがお交わりくださり、ありがとうございました。
K.K