2010年6月30日水曜日

山は動かなかった


 「山は動いた!」かつて社会党党首土井たか子氏が放った言葉である。21年前の7月の参議院選挙で社会党が46議席で、自民党の36議席を上回り、与野党の議席数が逆転した快挙の時であった。

 今回W杯サッカー選手権参加の日本チームの活躍は目覚しく、あわよくばベスト8進出と思わせたが、無念パラグアイにPK戦で敗退した。「山は動かなかった」。

 日ごろほとんどサッカーに見向きもしないくせに、今回は娘や妻に同調して、前半の試合と延長戦、PK戦をTVで視聴した。PK戦、もはや「運」しかない。選手もサポーターも、しかも敵味方双方が「祈る」しかなかった。そして「祈り」の結果が日本の敗戦であった。日本にとっては過酷な結果であった。しかし、誰一人選手を責める者はいない。「祈り」というものがそれほど人を謙虚にするのであろう。

 まだまだ本命をめぐるW杯獲得をめざし8チームの熾烈な戦いが続くことだろう。「敗軍の将、語らず」というが、一番悔しい思いをしているのは岡田監督かもしれない。勝ちチームにも優勝までの長いドラマがまだまだ続く。

 そして、このような真剣勝負の試合結果が、射幸心と金銭欲の虜にされた人々を悪へと誘惑する材料にされる世界があった。大相撲力士たちによる「野球賭博」である。

 この時期、サッカーにおける選手の活躍と大相撲協会における多数力士による不祥事が明らかにされたのはスポーツ界の余りにも対照的で皮肉な出来事であった。けれども、私たち一人一人にも人間の尊厳・栄誉の部分ともう一方でどうしようもない心の暗部・罪を明らかにしている出来事に思えてならない。

 パウロは「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」(1テモテ6・10)と語り、イエス様は「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。」(ヨハネ8・44)と悪に傾く人の心に、警告しておられる

 いよいよ参議院選挙も10日余りとなった。選挙の勝敗はいずれ明らかになる。国民の審判に注目したい。聖書は言っている。「たとい、私が・・・話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。・・・また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。」(1コリント13・1~2)。候補者の諸氏、声は小さくとも、くれぐれも自身の真摯な言葉で語りかけてください。

(写真はどこにもある日本の風景だが、「山」のように画面左から右に流れる濃緑の塊かのように見えるのは黒雲である。家人が「あんなところに、山があったの?」と驚いたように買い物から帰って来て「見て見て」と言うので、「そんな馬鹿なことがあるかい」とばかり出向いて、「雲」と確認した。ともに山を見て育ったので、こんな「雲」も「山」に見えたのだ。)

2010年6月28日月曜日

愛するMさんへ


 愛するMさん。ご結婚おめでとうございました。お父様が土曜日の結婚式に出るために点滴で体調を整え、その時に備えられているとお聞きしておりましたので祈っておりました。昨日いただきましたメールによりますと、父上の体調が許さず、病院前であなたの花嫁姿を見せることが精一杯だったことを知りました。けれどもあなたの心は充分満たされ、ご親族同席のうちに心暖まる、温かい結婚式だったと知り、大変嬉しく思いました。

 今日はあなたも一年半ほど前、お父様の病室でご一緒に会われたことのあるベックさんが10年ほど前ある新郎新婦のために結婚式で語られたメッセージを抜粋して載せさせていただきます。お読みくだされば幸いです。

 結婚は幸せのためであるべきです。けれども、どうして多くの結婚が不幸な結果になってしまうのでしょうか。それはいわゆる快楽原理が中心になって自分の快楽だけを求めているからです。結局、自分のことを大切にしてしまうからです。ただ自分のことばかり考え、相手がどのような気持ちでそれを受け止めているかについて考えない人は問題です。自分や相手を不幸にしようと思うならば、自分のことだけ考えればいいでしょう。

 結婚生活は、確かに一人のときほど簡単なものではないでしょう。なぜなら、あらゆることにおいて二人の思い、二人の考えが出て来るからです。生まれつきの自己愛からほんとうの愛が生まれるために結婚生活がある、と言えるのではないでしょうか。ですから、ほんとうの結婚生活とは問題のない結婚生活ではなく、その問題を絶えずイエス様によって解決してゆく結婚生活です。聖書に次のように書いています。

何よりも互いに愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(新約聖書 1ペテロ4:8)

もちろん、自分のちっぽけな愛で愛せよではなく、イエス様の愛をもって愛し合いなさいということです。イエス様の愛を経験した者はほんとうの意味で愛することができます。

 また結婚生活の愛の標準として聖書には次のようなみことばがあります。

キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。(エペソ5:25)

このことを聞いて「はい、かしこまりました」と言うのは簡単ですけれど、現実の問題としてはちょっと難しいのではないでしょうか・・・・。多くの人々は聖書を誤解しています。なぜならば、ああしなさいと書いてあるから、ああしなくてはいけないのではないかと、みな思っているのです。こういう人々にとって、聖書は一つの教科書のようなものですが、ほんとうは違うのです。

 もちろん、聖書はそれだけではなく、「あなたの敵を愛せよ。」と言っています。でもそんなことはとても誰にもできません。もし誰にもできないのなら、どうしてそんなことが聖書に書いてあるのでしょうか。それは守るためではなく、破るためです。神はそれが人間にできないことをおわかりになっているのです。わかりたくないのは人間です。傲慢な人間です。

 ですから結婚するお二人が「イエス様、私たちは二人とも今までわがままでした。現在もそうです。将来もそうでしょう。けれども、あなたはだめな者を捨てないお方ですから、ありがとうございます。どうぞこれからもよろしくお導きください。」という態度を取れば、イエス様は確かに導いてくださいます。そしてあなたがたの力となり、心の拠りどころとなってくださいます。

 先ほどの聖句に「キリストが愛したように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」とあります。これはどういうことかといいますと、ほんとうの献身です。他人、すなわち相手に対する全き自己否定であります。自己否定と献身、これこそが愛するお二人の結婚の特徴となりますように。ほんとうの愛とは自分の幸せではなく、相手の幸せを願うことです。相手のために自分自身をささげること、自己犠牲を喜んですることです。真実の愛とは、相手が喜ぶことを喜ぶことです。

 聖書は主なる神の秩序について次のように言っています。

すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男である。(1コリント11:3)

この秩序こそ祝福された結婚生活の秘訣です。この主の秩序を正しく守る者は間違いなく祝福されます。もちろん、男が自分の意思、自分の理性を主なる神のみこころに従わせるということは決して簡単ではありません。ほんとうはおもしろくないことでしょう。けれど、それだけではなく、女が自分の意思や感情を男の意思に従わせるということも、同様に簡単ではありません。けれども今の世の中はいったいどうなっているのでしょうか。男が主なる神を恐れず、主に逆らい、女が男に従おうとせず逆らい、そして子どもが親に逆らうということになっているのではないでしょうか。ですから人間は悩む者になってしまったのです。

 女のかしらは男である、と聖書は述べていますけれど、夫婦の関係は決して上下関係ではありません。夫が生活の主導権を持っているということに過ぎません。これは特権なのか重荷なのかわかりませんけれど・・・・。自分はいつも正しいと思い込んでいる人は結婚しないほうがいいでしょう。何かがあって二人の間に重苦しい空気が流れるようなときは、「悪かった、ほんとうにすまなかった。」という一言を言うことが大切です。

 最後に有名なドイツの最初の総理であるビスマルクが妻に宛てた手紙をもって私の勧めを終わりたいと思います。非常にすばらしい手紙です。ビスマルクの告白でもあり、また証でもあります。

「私はおまえを主にあって心から愛するために結婚した。私はこの世にあって外で冷たい風が吹き、凍りつくような寒い晩などに、暖炉の火が赤々と燃えている暖かい我が家を心から切に求めたがゆえに、おまえと結婚した、と言ってもいいだろう。私は暖炉のように暖かいやさしい心を持ったおまえを大切にしてゆきたいと思う。そのために私は、そのかまどの中に木の枝をくべ、火が消えないようにするために、あらゆる悪からおまえを守り、小さなともし火が風に吹き消されないように、一生懸命になりたいと思う。というのは、主イエスのあわれみを除いては、おまえの愛よりも尊いものはないからだ。」

(写真は、昨年12月次男の西軽井沢国際福音センターでの結婚式で、新婦の友人が撮影されたものを拝借させていただきました。)

2010年6月25日金曜日

しかし、神はおられる カウマン夫人


 サー・W・エドマンド・アイアンサイド将軍は、エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエによってある時、信仰の欠如を責められた、すばらしい物語を語っています。それはイタリア軍がエチオピアを占領していた時のことでした。皇帝はイギリスに亡命して暮らしていました。将軍はハイレ・セラシエに、その廃位をめぐる痛ましい状況について語り、「陛下はいったいどうなさるおつもりですか」と尋ねました。

 皇帝は将軍の顔をじっと見つめ、静かに答えました、「しかし、神はおられます!」と。

 今日の私たちの世界は、疑惑と不信と恐怖のふんい気の中に全く閉じ込められてしまっています。これらは、戦争というたこのような怪物(その怪物の恐ろしい触手は、世界のあらゆる地、あらゆる気候の下にある人々に差し伸ばされ、まといついています)に、一見のがれる道がないほどまでがんじがらめに捕らえられているこの世から生ずる明らかな副産物なのです。もし私たちが物事を人間的な立場から判断するなら、すべては望みがないように見えることでしょう。「しかし、神はおられます」。歴史の中で、聖書の偉大な真理を再調査することが必要な時があります。無限のかたが有限の者を助けるために来られることを学ぶ必要のある時があります。人間的な手段が限界に達した時、神の可能性が始まります。そして私たちは、不可能が神によって可能とされる栄光を見いだすのです。

 私たちの神はどれほど偉大なかたでしょうか。私たちは神にどれだけの信頼を置いているでしょうか。神は私たちにとって、生きた輝かしい現実であられるでしょうか。それとも、はるか遠くの天国におられ、ご自分の子供たちの叫びを聞こうとされない神なのでしょうか。

 そのようなことは絶対にありません!

 私たちが神について確信を持つことができるということを知るのは、すばらしいことです。私たちが信仰のすさまじい試練を通過するように召される時、神の目的と計画の小道において荒れ狂うあらしの中を通り抜けることを神が許される時に、神のご臨在を確信することができるのはすばらしいことです。ひどいあらしが外で怒り狂っている時、信仰は確かなものとされ、ますます輝かしいものとなるのです。

 スペインの無敵艦隊に対して、イギリスの敗北は避けがたいように見えました。スペイン王は、イギリス国民を地球の表面から抹殺してしまうと豪語していました。彼の無敵艦隊はいつでも出動できる準備を整えていました。それはまことに暗黒の時でした。「しかし、神はおられます!」 いなずまはきらめき、海は荒れ狂いました。そしてついに、強力な艦隊は、こっぱみじんに粉砕されてしまったのです。イギリスの暗い夜は、神の愛のご干渉によって輝かしい日の出を迎えたのでした。

 ナポレオン・ボナパルトは、世界じゅうのすべての軍隊を完全に征服してみせると誓いを立てていました。彼は強大な軍隊を終結しました。キリスト者たちは堅く立って祈りました。神の雨がしのつくように降りだしました。そしてナポレオンは、最初の計画どおりに午前六時に戦いを始めることができず、正午近くなってからやっと攻撃を開始したのです。この遅延によって彼は敗北し、正義と自由が打ち立てられました。

 更に、ナポレオンは、五十万のフランス軍の精兵を引き連れてモスクワに遠征しました。大虐殺、大破壊が、世界の土台を脅かしていました。突然、雪の一片が彼のほおをなでました。彼は笑ってそれを払いのけました。十数個の雪片が降って来ました。ナポレオンは再び笑いました。しかし、その笑いは前ほど大きくはありませんでした。あらしはますます激しさを加え、ついに大吹雪が引く続き襲って来るようになりました。兵士たちや軍馬は、この大吹雪の中でもがき苦しみました。そしてついに、五十万のフランス兵が、ロシアのステップ地帯に凍死体となって横たわったのです。

 このフランス軍の指揮者は、かつて、「神は最強の軍隊の側におられる」と言いました。彼のこの言葉はまちがってはいません。ただ彼は、神がご自分の軍隊を天に持っておられることを忘れていたのです。

 一九四〇年の五月から六月の初めにかけて、三十三万五千人のイギリス軍はダンケルクの砂浜で包囲されました。彼らは地上からぬぐい去られてしまうのではないかと思われました。ドイツの陸軍、海軍、空軍は、これに対して無慈悲に強力な正確な攻撃を加えました。彼らに残されたのは、ほんのわずかな海岸の砂地だけです。たとい天地のあらゆる力を動員したとしても、この人々を救い出すことは不可能であるように思われました。死は確実であるように見えました。しかし、神は霧を送られたのです。霧はしだいに濃くなり、ついに毛布のように撤退地を包みました。こうして全員が無事に救出されたのです。

 「しかし、神はおられます!」 神はご自分の太陽を持っておられます。雪を持っておられます。霧を持っておられます。神はすべての環境の主であられるのです。「主の道はつむじ風と大風の中にあり・・・」(ナホム1・3)

 最近の緊迫した事態は、神の子たちのうちにゆるぐことのない信仰を生み出しています。キリスト者の哀れな弱い信仰は、あおられて燃える炎となり、私たちは神以外に助け手のないことを、いやおうなしに知らされています。詩篇の記者であるダビデは、「われらは火の中、水の中を通った。しかしあなたはわれらを広い所に導き出された」※というあかしを私たちに残しました。その場所は神ご自身でした。神を見いだし、神の無限の資源を見いだす時、私たちはすべてを持つのです。

 そうです、もし私たちがヨブのように、ただ神の御手だけを見ることができるなら、それは確かに、私たちを悩ます多くの試練から、苦痛を取り去ることでしょう。ヨブは、きらめく剣の背後に神の御手を見ました。いなずまの背後に神の御手を見ました。神があらしに翼をお与えになるのを見ました。彼はそれを、すっかり略奪され何一つ残っていない家の恐ろしい静寂の中にあって見たのです。「主が与え、主が取られたのだ」――これが彼のあかしでした。そして彼は、「主のみ名はほむべきかな」という賛美の言葉を付け加えたのです。

 ヨブが灰の中にすわって、「彼われを殺すとも我は彼に依頼まん」と言うことができた時、彼の信仰はクライマックスに達しました。

 私たちの信仰が、もうこれ以上耐えられないというところまでテストされる時、私たちは上を見上げ、そして信頼しましょう。そうすれば私たちは、キリスト者であるエチオピア皇帝と同じあかし――「しかし、神はおられます!」というあかし――を持つことでしょう。

(『一握りの穂』原著1955年刊行 松代幸太郎訳1964年13~16頁より。※詩篇66:12。写真は先日義妹の家の庭で見かけた「雅」。「バレリーナ」が画面の左側に咲いており、下にはブルーのイソトマが咲き乱れていた。)

2010年6月24日木曜日

人間、この不可思議な存在


 何日か前、「養女」を迎え、洋服を着せてやった話をしたが、その後一人じゃ可哀想と言うことになって、にわかに二人の娘が誕生した。今日はお披露目にその写真を撮った。三人の娘はいずれも孫娘の一人一人を頭に思い浮かべて制作された。出来上がってみると、愛くるしくそれぞれの特徴がつかまれているようで楽しいことこの上ない。

 目鼻顔立ちとよく言うが、人形も眉毛一つ、目一つで表情が随分と異なるものだ。創造主の足元にも及ばないが、人間は人間で「ホモ・ファーベル(工作人)」である。

 最近、我が家では東京新聞の夕刊に連載されているクライマー山野井泰史の生き様がちょっとした話題となっている。他の記事はさておき、その記事に熱中している。現在第43回目になっているが、第32回から11回に分けてギャチュンカンの北壁登頂と下山の詳細が語られている。7500メートルとほぼ4、500メートル手前で奥様の妙子さんがダウン。彼一人登頂に成功する。

 以後二人して傾斜60度の岩壁(氷壁)を下山する9日間の極限状態での夫婦共同の死力を尽くした闘いが述べられていく。下山した彼らの手足の指は凍傷のため夫泰史が10本なくなり、妻妙子は残されたのが足の指二本だけというすさまじさであった(もっともこの損傷はそれまでの登頂の結果失った累算がそうなったのであるが・・・)。

 いずれにしても常人が想像できない二人の生き方である。山野井氏は言う。

 僕は山のことを四六時中考えているんです。だから、いまでもいろんな人と登りますけど、技術はともかく、山のことばっかり考えている人と登るのは楽です。モチベーション低い人と登っていると、山以外のことを考えているのを感じちゃうでしょう。そういうのは嫌なんです。山に行ったら、山のことだけ考えていてほしいんです。・・・・(山に登って)歴史を刻みたいとか、そういうことを考える人もいるでしょうけど、僕はそんな気持ちもない。なんか悲しい言い方になりますけど、たとえ忘れ去られたってそんなにつらくない。忘れられたとしても、僕は楽しく登っているでしょうね。(6月10日夕刊第31回より引用)

 妙子は世界でもトップクラスでしょうね。女性としては世界の三本の指に入るし・・・(同上第32回)

 差し詰め、彼らは「ホモ・ルーデンス(遊びをする人)」と言うことになろうか。登山家としてすべてのものを失った感がある彼らだが、今日のくだりは第43回「再出発」となっていた。まだまだどんな挑戦が続くのであろうか。当分目を離せない記事だ。

 パウロは1900何年か前に次のように言った。

私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。(新約聖書 ピリピ3:8~9)

 山野井氏の眼中には山しかなかった、のに対し、パウロにはイエス・キリストしかなかった、と言うことが明らかであろう。パウロは「ホモ・プレイズ(神を讃える人)」であった。

2010年6月23日水曜日

国会図書館通い


 ここ数週間、国会図書館に通っている。昨日も地下鉄「永田町駅」を下車して図書館へと急いだが、たまたま目の前の信号が赤信号だった。待つのも癪なのでそのまま右折して行こうとした。もっとも、そこはいつも警視庁の方が四、五人立っておられて通行人をチェックしておられたのを知っていたし、何週間か前にはテレビカメラが構えられ腕章をはめた記者らしき人が何人もいたので、その界隈が何らか重要な場所で、警備を必要とする場所だとは察知していた。でも、何ゆえそのような警備がなされているのか分からなかったので、それを知りたさに警察官の前を行き過ぎようとしたら、止められて尋問を受けた。「どこへ行くのか」という尋問だった。正直に「国会図書館だ」と答えた。すると、彼はなぜわざわざ遠回りするのか不審に思ったのだろう、私が横断歩行しようとした地点を指し示し、そちらから行けるでしょう、と言われた。私は、逆に、いつもこのあたりに来るが、警備が厳重になされるので何故か教えてくださいと尋ねた。「民主党の会館ですよ」と言われ、見上げてみると、それまで気がつかなかったが、屋上の看板が目についた。たちまち合点した。

 私の道の歩行は認められ、そのまま直進して議事堂前の交差点を左折していつも通り国会図書館にたどり着いた。その日は6週間目にあたるその本の通読の続きだったが、その数時間前吉祥寺で同じ本をあるご婦人の方が貸してくださり、もはや私がのこのこと図書館まで出かける必要はなかったのだが、いつの間にか習いは性となり、自然と足は別の本を探す名目にして国会図書館へと向いてしまっていた。ところが国会図書館に通うレーゾンデータルを失くされたようで私としてはいつものように弾む気持ちもなくなり、内心穏やかでなかったので、前述の冒険心が起きたのだった。

 今度は別の絶版本で手に入れにくい本を探して読みに来ようと思っている。読書好きな人間にとって家の中にワンサと山積みされる書物は場所ばかり取り、迷惑である。私もこれまで何度か本を処分してきた。それでも本はいつの間にか増えてゆく。対策は持たないことである。そこで思い立ったのが図書館利用であった。その点、国会図書館は県立や市立の図書館に比べて当然であるが蔵書数が多いので助かる。それでも求める本がない場合がある。まして私のように信仰書を求めている人間には限界がある。ところで国会図書館カウンター前にある標語「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8・32)はイエス様の言葉だ。ギリシヤ語も併置されている。一度記念に写真を撮りたいと頼んだら断られた。だからその全容をお示しできないのが残念だ。

 それにしても都心まで一時間足らずのところに住んでいる者にとってこの図書館の存在はありがたい。その上、どこよりも照明が行き届いていて、読書人にとって採光が十分であることはこの上もない。私の書斎よりもその明るさはやわらかで優しい感じがする。あんなに天井高く蛍光灯があるのに書見台に座るとそこは天国だ。これからも利用して行きたいと思っている。

 ついでながら今まで無関心であった国会議事堂構内も一度は見学したいと思っている。国会議事堂や東京大学構内が道路脇に巷を睥睨している感がするのはこちらの姿勢(敬して遠ざかる)にも問題があるのであろう。まして正規の手続きを踏まずにこれら施設に入ろうとする不心得者の闖入を阻むための造作が必要なことやまたそのために警備する人がおられるのはやむをえないことだ。何ヶ月か前、案内されて慶応大学に行ったことがある。三田の学舎は道路からすっと入って行ったら、そこが学の殿堂であった。福沢諭吉の精神「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と言えり」(「学問のすすめ」)が生きていると一瞬早合点したが、考えてみると案内者がいたからこそ、恐らく大学の荘厳な外観も眼中に入らず、中に入れたことに過ぎないのだと思い知った。

 聖書は言う。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」(新約聖書 1テモテ2:4)神は、一人一人に仲介者イエス・キリストを通して、はばからずして神の懐に参入できる道を今も用意していてくださるのだ。そしてそれは国会図書館の標語のごとく、私たちが罪・咎の縄目から解放され、まことの自由を享受できる生活である。

(写真は先日長野県御代田地方で見かけた自生せる野生のアマリリス。誰かこの創造のみわざを否定する者がいるだろうか。)

2010年6月16日水曜日

政治家の責任


 昨晩の国会議事堂南通用門である。50年前、全学連の学生たちが集まり、この通用門を突破し構内になだれこもうとして一人の女子学生が亡くなった現場である。警備している警察官に尋ねてみたら、午前中には献花が行われた、と言う。国会構内では国会の会期末で新内閣誕生と同時に選挙戦突入になり、議員たちの駆け引きが今も続いていることだろう、と思った。

 それにくらべこの静けさは何なのだろうかと思った。私以外にも、もう少し年嵩のいった方がその辺をたむろしておられた。年恰好からいって樺さんと同世代に見えた。私はと言えば、当時高校三年生、しかも田舎の高校生だった。安保条約の意味を深く考えもせず、当時の新聞論調の支配するまま、民主主義の危機を思わされ義憤を覚えていたに過ぎない。

 たまたま昨日は関西から帰途、東京に立ち寄り、このところ利用させていただいている国会図書館で読書し、そのまま帰るつもりでいた。ところが今日が「6月15日」とあって、いつもは横目で見ているに過ぎない国会議事堂がなぜか気になり、尋ねて見ることにした。ところが国会図書館に面する通用門は北に当たるのだろう、件の南通用門を探すため、結局は議事堂を一回りする羽目に陥った。一巡りしながら、「国会は国権の最高機関」という憲法条文が頭を掠める。それにしてもこのいかめしい建物(人を寄せ付けようとしない)と警備の物々しさは何なのだろうか。余りにも国会議事堂は「私」から遠いのだ。

 樺さんについてはほとんど何も知らないが、ブントに所属していて当時の自治会とのギャップに直面しながらもそこから逃げる事なく誠実に行動しておられた方だと知った。(文芸春秋7月号「安保50年5時間大座談会」の記事による)その座談会は樺さんの同級生お二人と3年先輩でいずれも大学の研究者となられた方をふくむ座談会であったが、「樺さん没後50周年は、同時に安保改定50周年と不可分に結びついているのに、昨今の普天間問題は総理の資質とか5月期限という問題に矮小化されて、安保条約に基づいて基地があるという肝心要の問題が解決されていない」という当然の指摘がなされていた。

 50年とは長い期間のように思うが、やはり一瞬のような思いもする。その50年という時を隔てて、鳩山前首相の不用意な言動もあって、今日では沖縄の一島における全県民を上げての反対運動が展開している。今や50年前にアメリカが日本国内で燎原の火のごとく拡がっていった全学連を中心とする一大安保反対運動を見ていたように、今度は同じ日本人である私たちが沖縄本島を見ている、という構図に変わっている。しかし、50年前も50年後の今日も事態は何も変わっていない。政権は変わり今やあのころまだ中学生や小学生であった人々が政治の中枢にいる。それも庶民出身であると自称する人々だ。彼らが誠実に国の政治に邁進されることを祈るばかりだ。

 座談会には樺さんが高校時代に書いた詩が披露されていた。

 そこには みにくさがある
 アメリカ革命にあったように
 フランス革命にもあったように
 人間のみにくさがある

 そこには悲惨さがある
 それら以上の悲惨さがある

 しかし
 よりひたむきな清純さが
 自由以上の自由を求める心が
 そこにはある
 こんな風に私は思う

 「そこ」とは政治運動をさす。余りにも楽天的な見方であると言われても仕方がない。しかし樺美智子さんは恵まれた家庭で育ち、知的でかつ人々への愛に生きた人だったようだ。この詩は一方でその内側に神様しか保障し得ないきよさを求める思いがあったと読めなくもない。22歳の若さで亡くなったこの人の急を聞き収容先の警察病院へといち早く駆けつけ、最初になきがらに対面した友人が言われるには、「目の周りだけが赤味を帯びていたが、透き通ったような白いきれいな顔だった」という。50年経った今も、死因が圧死であったか扼殺であったかわからない、と言う。

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。柔和なものは幸いです。その人は地を相続するからです。義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(マタイ5:3~6)

2010年6月11日金曜日

I will dwell in the house of the Lord for ever.


 月曜日病床にある友Aさんを訪ねた。友はすっかり痩せてしまった。しかし、その中から彼は私に三つのことを言った。

 まず彼の言ったことは「自分の人生の三分の二は良かった。しかし悪いことをたくさんしてきた。」であった。私は「君の過去の罪は、全部イエス様が十字架で代わりとなって罰を受けられた。だから、神様に赦され清算されているから、今や大丈夫だよ、安心してね。」といつも彼に言っていることを繰り返した。うなづいていた。

 次に「きよくなりたいな」であった。「いいよ、いいよ。こんなみじめな私を、主よ、導いてください。と祈ってればいいんだよ。僕たちは神様の前に裸になって祈ることができるんだよ。心が貧しくあれば、神様は必ずきよくしてくださ るよ」というようなことを言った。

 最後に「子どもに何を残して行けばいいのかな?」と彼。私「信仰の遺産だよ」彼(幾分とぼけて)「遺産なんて、少しも金を残していないぞ!」私「ちがうよ、信仰の遺産だよ。最後 まで主イエス様に頼ってればいいんだよ。きっとイエス様は働いてくださり、神様のご栄光があらわされるよ。それだけで十分だよ。」彼「ウン、イエス様に頼り続けるよ」と自分にも言い聞かせるかのように言った。

 そして終わりに詩篇23篇を私が朗読した。朗読し終わったら、もう一回読んでくれと言う。静かに聴いていたが、いたずらっぽく、最後の聖句について「主の家にいつまでも住まいましょう(I will dwell in the house of the Lord for ever.)、とあったけれど、主の家(天国)ではパソコンやるんかな」と言う。「さあ、どうかな。想像できないが、パソコンどころでないんじゃない」と答えた。そう言えば、お見舞いして開口一番言われたのは「いよいよ僕も天国へ行くけれども、淋しいから君もついて来てくれない?」だった。

 何回お見舞いしたかは記録もしていないし、数えてもいないのでわからないが足繁く通うことは通った。いつものように二人でお祈りを終え、辞して最寄の駅まで歩いて行った。数分して奥様が自転車で追いついて来られ、ご主人の容態が悪いので今後は入院することになります、と言われた。長い間、許されて主にあるお交わりをいただいてきたが、いよいよ今日が最後であったことを自覚した。一瞬淋しい思いにさせられたが、彼とは十分聖書を通じて友情を保ち得たことを主に感謝した。

 翌日、『アブラハム・イサク・ヤコブの神』(ウオッチマン・ニー著)を読んでいたら、信仰の父アブラハムが女奴隷ハガルを通して子どもを設けたことの失敗について次のようなことが書いてあった。

 もしわたしたちがキリストを得て嗣業を受け継ぎ、神のために地上に立つためには、自己を持ち込んではならないのです。わたしたちは自分で動いてはなりません。自分で勝手に行ってはなりません。また自分で何をはじめてもいけません。必ず自分というものはかたわらに置かなければならないのです。これは最大のテストであり、最もむずかしいためしです。また神のしもべたちの最も容易に失敗する点でもあります。わたしたちは必ず覚えるべきです。それは神の働きの上では、単に罪を犯してはならないというだけでなく、自分がよいと思っても行ってはいけないということです。
 神の問題は、どうすればよいかということだけでなく、だれがすべきであるか、ということにあるのです。残念なことに、わたしたちが罪を犯してはならないということを人に勧めるのはやさしいのですが、自分勝手に行ってはならないと勧めるのはそれほどやさしいことではありません。願わくは神に導かれて、主に次のように申し上げることができますように
 「主よ。わたしはあなたの御旨に従います。あなたご自身がわたしのうちにあってあなたの御旨を行わせるのであって、わたし自身で御旨に従うのではありません。あなたであって、わたしではありません」
                            (同書94~95頁より引用)

 突然重病人を抱えられたご家族の心痛は大変なものがある。そのことも十分わかり、祈って出かけたつもりだったが、上記の文章を通して、果たして自分は主の思いより自分の気持ちを先行させていなかったか、特にご家族への配慮が十分であったか、大いに主イエス様から問われ悔い改めさせられた。しかし、お願いして何人かの方にお見舞いに行っていただいたがそれも許されたし、何よりも主にある多くの方々が今も祈り続けてきてくださっている。Aさんに対する主の思いはきっと私たちの思いをはるかに越えていることだろう。そのことが今新たな励ましになっている。

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。(旧約聖書 イザヤ55:8~9)

(一週間ほど前、目を楽しませてくれたニッコウキスゲが、昨日の朝は、三つも同時に花を咲かせていた。今朝はもうその花弁もそれぞれ閉じられようとしている。まもなくこの鮮やかな黄色も庭から姿を消すのか。来週から梅雨だと言う。主役は「隅田の花火」を始めとするアジサイへと移行しつつある。「友の言 忘れまじ三つ 花語り」)

2010年6月10日木曜日

キリストが人のいのちとなる ウオッチマン・ニー


 外側の矯正は役に立たない

 人は内側が悪いのですから、外側を矯正したとしても何の役にも立ちません。わたしに友人がいます。彼は南京から帰る途中、汽車が無錫を通過する時、小さな娘のために駅で泥人形を幾つか買いました。人形はどれも泥で作られています。外側にはとても美しい顔が書き込まれています。七歳になる彼女は、美しい顔をした泥の西洋人形をもらってうれしくてたまりません。すぐに母親の役を演じ始めました。少しそれを抱いていたかと思うと、またしばらくしてそれを下ろして寝かせます。食事の時間になると、彼女は人形にご飯を食べさせます。彼女はご飯とおかずを泥人形の口に押し込みながら、どうしてご飯を食べないのかと言っていました。そんなことをしているうちに、人形の顔には油とご飯がいっぱいついてしまいました。そこで彼女は母親がいつもするように、タオルと水で人形の顔を洗ってやりました。するとひとふきしただけで黒いものが現れてきました。もうひとふきすると、黒いものがもっと多くなります。ふけばふくほど、洗えば洗うほど、人形の顔はますますきたなくなるばかりです。ついには鼻や目や口などもなくなってしまい、彼女はどうしようもなくて泣き出してしまいました。父親は彼女に、「それを捨ててしまいなさい。もう一つ新しいものを買ってあげよう。泥人形は洗うことはできないんだよ」と言いました。

 命を交換しなければならない

 わたしはよくこの物語を思い出します。人の行為を改善しようとするのは、泥人形の顔を洗うのと同じようなことです。わたしたちは、高慢な態度を示さなければ、うそをつかなければ、立ち居振る舞いが穏やかであるならば、自分は良い人だと考えます。これはわたしたちの見方です。神は、人の外側が悪いのは内側が悪いからであり、必ず「いのち」を完全に取り換えなければならないと言われます。ですから、わたしたちの「いのち」は悪くて改良するのが不可能であることを認めて、必ず「いのち」を取り換えなければなりません。これがわたしたちクリスチャン信仰の根本的な点です。

 人が心に思うことは罪にすぎない

 ある日わたしは、いつも何か新しいアイデアを考えている友人と一緒に上海の大通りを歩いていました。その日、また彼は思いついて言いました、「わたしたちが他人の心を見抜くことができないというのはとても残念なことです。もしわたしたちが一目見ただけで、この人は何を考えているのか、あの人は何を考えているのかと見抜くことができたなら、これはとてもおもしろいではありませんか? わたしたちが人の心を見ることができないのは、実に残念なことです」。
 そこでわたしは彼に、「わたしたちが人の心を見ることができないのは、残念なことではなく、むしろ喜ばしいことです」と語りました。人が心の中で思っていることを憶測しようとしてはいけません。なぜなら、人の思うところはみな罪であるからです。わたしたちの思いの中にあるのは、どうやって盗むか、どうやって欺くか、どうやって裏切るかなのです。良い思いを見つけ出すことはとても困難なことです。すべての思いは、どれも公開できないものばかりです。幸いなことに、人の心は何本かの骨とわずかな皮によって覆われていますから、あなたには見えないようになっています。もし見ることができるのなら、急いで隠れなければなりません。

 人は主イエス様のいのちによって生かされる必要がある

 ですから、人の救いは、外側から始めることはできません。内側から始める必要があります。こういうわけで、主イエス様を受け入れ生まれ変わる必要があります。新しく主のいのちを得ることは、あなたの持っている汚れたいのち、悪いいのちを除き去り、それを新しいいのち、主イエス様のいのちと交換することです。これは魚に飛ぶことを学ばせるようなものではありません。魚の命を鳥の命と交換することです。そうすれば、自然に飛ぶようになります。罪を犯すいのちを捨てて、それを聖いいのちで置き換えることが、救いです。

(全集27巻『正常なキリスト者の信仰』153~155頁から引用。ただし引用に当たって引用者が表現を変えたところが数箇所ある。「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」黙示録22:17。友人からいただいた手作りの人形に帽子と洋服があてがわれた。一見美しくなった。しかし、言うまでもなくいのちは、人形には無い。当然だろう。この人形にも比すべき、いずれは座して死を待つしかない人間に、イエス・キリストにより永遠のいのちが、信ずるすべての人に無代価で提供される、と聖書は語る。)

2010年6月6日日曜日

悩みの地で クララ


「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」(創世記41:52)

 この証は何という輝かしい信仰の事実でしょう。これはまた人生の事実です。かつて主イエスは最後の聖晩餐の席で遺訓として仰せたまいましたお言葉に「あなたがたはこの世ではなやみがある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」とあります。

 ペテロも「あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむな」と記しています。悩みなしには神の子の姿は生まれません。荒くれた大理石の塊が悩みの槌で一打ち一打ち邪魔ものをのぞかれて、遂に立派な像が出来上がります。事実この世は恵みの主を十字架にかけ、彼に従う多くの人を悩ましました。これは主に忠実であった人々の通らねばならない道で、聖書にも、苦難とそれにつづく栄光を教えています。神の人達はこの経験の事実のうちに作られたのです。悩みは誰にとっても楽な事ではありませんが、これなしには神の作品とはなれません。

 旧約でキリストの型の一人とも言われるヨセフが、理由なき苦難に悩まされながら、どんな苦しみの中にも真実であられる創造者に自分の魂を委ねて、主とともに歩み続けました。誰であっても私共お互いは生まれつきの己が能力や、己が判断で悩みには勝てません。もし自分の意地や力をたのみますなら人生の小舟は失望の海に沈没してしまいましょうし、旅路を照らす灯は嵐に吹き消されますでしょう。悩みよりも強くしたもうはただの神の恵みです。

 少年ヨセフは唯一人エジプトへ奴隷として売られましたが、見えざる同伴者が共に在(いま)し、不思議な夢の解説によって彼は獄より出されて大臣とされ、彼の故にエジプトは飢餓の日にも穀倉は豊かに、彼の指には王の指輪がはめられ、国の富はヨセフの意のままでした。彼はかつての悩みの地で豊かにされた記念にわが子をエフライムと名づけました。「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」と。

 ダニエルの三友人が王の怒りの火に試みられた時にも、その思い煩いを一切神にゆだね、神の子と共に火の炉の中を歩み、王に呼び出された時は高い位に上げられ、神の聖名は崇められました。悩みは豊かな恵みにかえられました。悩みが悩みのままであるなら人生は空しい事ですが、信仰によって受ける苦難は栄光とかえられます。

 百姓がよい畑を求めますなら、鋤をもって深く土を返さねばなりません。石をのぞいてよくたがやすなら骨折った百姓は先ず実を収穫します。よい家を立てようと願い、ふかく土を掘り岩を土台とするなら嵐にも倒れません。今しばらくのあいだはさまざまな試練に悩まねばならないかもしれないが、有限の世界において無限の世界を見上げつつ悩みの代価を支払う事の喜びを学びたいものです。愚かな心も悩みの日に戸惑う事なく、よりよき神の御意思に導かれ、更に祈り、更に信じそして更に耐え忍びますわが生涯は悩みを乗り越えて、豊かな祝福の道に進みつつ栄光の証人となり得ますように。

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著160頁6月5日の項目より引用。二三日前に庭の「にっこうきすげ」がアジサイに取り囲まれる中で、一輪、今年初めて花を咲かせました。)

2010年6月2日水曜日

小早川宏遺作展より(下)


 今日の絵は冊子の巻頭近くトップバッターとして奥様が編集された遺作集に載せられていたものです。何かほのぼのとした温かさ、勇気のようなものを頂く思いがします。残念ながらスキャンしたもので色のすばらしさが再現できていないのが作者に申し訳ないと思っています。過去二回に分けて奥様の書かれた文章を掲載させていただきましたが、今日の文章が最後になりました。なお「はじめに」の文章を載せていませんでしたので、それも併せて再録させていただきます。

 はじめに

 主人が昇天して二年が経ちました。七十歳になり、絵描きとして自分の絵の道がやっと見えてきたところでした。
 生活の中のさまざまな問題や、難病との闘いの中にあって、信仰を支えに生きて参りました。その中にあっても、生涯を穏やかにユーモアに満ちて生き抜いた一人の絵描きの証として、遺作展を機に、この画集を出すことにいたしました。
 朝に夕に「良い絵を描かせてください」というのが、主人の心からなる祈りでした。
 主人の好きな聖書のみ言葉を絵の途中に入れさせていただきました。絵と共に主人の心を味わっていただけたら幸いと思います。

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の影の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられますから。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

             詩篇23:1~6

 病気と最後の別れ

 この時間は、私にとって主人がくれたすばらしい宝物のような時でした。病気は骨髄線維症という血液を作れない病気で、分かったときはその合併症で、食道に沢山の静脈瘤ができていました。そして、もう手の施しようもなく、それが破裂したら命の保証はないというものでした。
 けれどもそれから三年間は何事もなく、「普通に過ごせたのは奇跡です」とお医者さんたちがおっしゃっていました。
 その日、2008年5月9日は突然にやって来ました。急に吐血があったので、集中治療室に緊急入院しました。
 腕には点滴管をつけ、鼻から食道へは止血のための風船を入れられ、身動きのできない状態でしたが、不思議なほど穏やかで平安でした。
 口がきけないので手振りで冗談を言い、まわりを笑わせ不安の影はみじんもありませんでした。私は三週間そばに付き添っていましたが、結婚して初めて本当に心が一つになって、朝に夕に心を合わせて祈ることができました。
 主人の祈りは家族、親族への祝福の祈りでした。すべては人の思いを越えて神の懐の中にいるような日々が続きました。主人は別人のように平安で何があっても動ずることがなく、間際まで周囲を笑わせ安心させていました。
 が、最後には吐血を繰り返し「苦しい、苦しい、死ぬのも楽でない・・・」と言いながら、急に静かになったと思ったら、その瞬間、彼の顔に笑みが浮かんでいました。
 この時私たちには見えませんでしたが、主人は神の顔を見、子供が父の懐に飛び込むように、み腕に抱かれて天に昇っていったのだと思いました。
 その後の主人の顔の神々しいまでの美しさは、忘れることができません。このことは主人が天国のあることを教え、そしてまた、私も旅路を終えたときには、天国で主人と再会できることを確信させてくれました。
 残された寂しさはいつもありますが、この希望を持って生きていきたいと願っています。主人の生前は沢山の方々の温かい支えと交わりと祈りを頂いて心より感謝しています。主人との二十五年間は、困難もありましたが共に祈り闘って、試練はことごとく恵みに変えられました。
 すばらしい勝利の日々であったと心から感謝しています。

2010年6月1日火曜日

小早川宏遺作展より(中)


 以下に掲げるのは、昨日に引き続いて小早川宏遺作展に寄せられた奥様の文章「人柄と生活の思い出」である。

 家庭人としては穏やかなユーモアのある、幼い子供のような人でした。私の投げる直球も、緩やかなカーブに変えられていて、いつも周りに春風の吹いているような人でした。私の母の二十年にわたる介護の生活もぐちひとつこぼさず、車を出して食事に、お花見に、と優しく支えてくれました。
 そして気丈な母も最後には「小早川さんのおかげで、ここまで来られた・・・」と九十四歳の生涯を終えて、天国に旅立ちました。このような生活の重荷と難病を与えられながら、最後の三年間は病気の怖さも知らず毎日食べたいものを食べ、安心してゆったりと生活することができました。二回の写生旅行と二回の個展もでき、この時は絵描き仲間からも評価される大きな祝福を頂きました。

 美味しいものを食べるのが大好き、落語やチャンバラ、漫画などなど、時を過ごすことの天才ではないかと思いました。病気であまり外に出られなくなっても、小さな楽しみを見つけていました。
 「さて、農作業に行くかな・・・」と言って、狭い庭に出ては土を掘ったりパンジーを植え(眺めるときの方が多かったようですが)過ごしていました。秋になると「さて、収穫に行くかな・・・」とザルを持って、他の人が見向きもしない小さな種だらけの柿をもいで、日だまりの中で嬉しそうに皮をむいてはほおばっていました。また、「世の中の様子はどうかな・・・」と、二階の窓から下の道路をのぞき込んでいました。(私にはひげ面の老人が道行く人にどのように映るかが心配でしたが)。

 いつも「おゆだねポン」(何があっても神にゆだねること)が口癖でした。心はいつも現実から離れていて、この世に生きる人ではなかったかのように思わされます。
 こんな調子でいつものんびりしている人たちでしたが、絵の方は調子が乗って描き出すと、またたくまに沢山の絵ができていました。どこにそんなエネルギーがあったかと思わされます。時どき「良いのができたよ、見てもええが・・・」と言うので、のぞいてみて「いいじゃないの」というと、子供のように嬉しそうに「あっしは、いい絵しか描きません」と、少しおどけて言いました。

 若い頃は、私の容赦のない厳しい批評が彼の絵の上に飛びました。すると聞こえないふりをしていましたが、後でそっと手直しをしていました。でも、最後の方は独自の境地に入っていたので、私は美味しいものを作って彼を喜ばせることだけに専念したのです。
 あまりにものどかなこんな生活も、突然閉ざされる日が来るとは夢にも思いませんでした。

 いよいよ明日はその顛末の文章をご紹介したいと思います。私が生前宏さんとお交わりしたのは、宏さんの義父に当たる方のご遺稿を活字化する作業でお近づきになり、お会いしたのが最初で最後でした。今から三年ほど前でしょうか。もうすでに難病を発病されていましたが、そんな素振りは微塵も感じられませんでした。冬の風で窓ガラスがガタピシと音を立てかねないころでしたでしょうか、台所のテーブルでご一緒に軽食をいただきお祈りしたことを覚えています。アトリエはその台所につながるようにして設けられていたでしょうか。今はその懐かしいお家も壊され新しくなったと聞いています。その折、ここで奥様がご紹介されるゆったりと悠揚迫らぬ態度で応接してくださいました。

いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。(新約聖書 使徒20:32)