2010年6月1日火曜日
小早川宏遺作展より(中)
以下に掲げるのは、昨日に引き続いて小早川宏遺作展に寄せられた奥様の文章「人柄と生活の思い出」である。
家庭人としては穏やかなユーモアのある、幼い子供のような人でした。私の投げる直球も、緩やかなカーブに変えられていて、いつも周りに春風の吹いているような人でした。私の母の二十年にわたる介護の生活もぐちひとつこぼさず、車を出して食事に、お花見に、と優しく支えてくれました。
そして気丈な母も最後には「小早川さんのおかげで、ここまで来られた・・・」と九十四歳の生涯を終えて、天国に旅立ちました。このような生活の重荷と難病を与えられながら、最後の三年間は病気の怖さも知らず毎日食べたいものを食べ、安心してゆったりと生活することができました。二回の写生旅行と二回の個展もでき、この時は絵描き仲間からも評価される大きな祝福を頂きました。
美味しいものを食べるのが大好き、落語やチャンバラ、漫画などなど、時を過ごすことの天才ではないかと思いました。病気であまり外に出られなくなっても、小さな楽しみを見つけていました。
「さて、農作業に行くかな・・・」と言って、狭い庭に出ては土を掘ったりパンジーを植え(眺めるときの方が多かったようですが)過ごしていました。秋になると「さて、収穫に行くかな・・・」とザルを持って、他の人が見向きもしない小さな種だらけの柿をもいで、日だまりの中で嬉しそうに皮をむいてはほおばっていました。また、「世の中の様子はどうかな・・・」と、二階の窓から下の道路をのぞき込んでいました。(私にはひげ面の老人が道行く人にどのように映るかが心配でしたが)。
いつも「おゆだねポン」(何があっても神にゆだねること)が口癖でした。心はいつも現実から離れていて、この世に生きる人ではなかったかのように思わされます。
こんな調子でいつものんびりしている人たちでしたが、絵の方は調子が乗って描き出すと、またたくまに沢山の絵ができていました。どこにそんなエネルギーがあったかと思わされます。時どき「良いのができたよ、見てもええが・・・」と言うので、のぞいてみて「いいじゃないの」というと、子供のように嬉しそうに「あっしは、いい絵しか描きません」と、少しおどけて言いました。
若い頃は、私の容赦のない厳しい批評が彼の絵の上に飛びました。すると聞こえないふりをしていましたが、後でそっと手直しをしていました。でも、最後の方は独自の境地に入っていたので、私は美味しいものを作って彼を喜ばせることだけに専念したのです。
あまりにものどかなこんな生活も、突然閉ざされる日が来るとは夢にも思いませんでした。
いよいよ明日はその顛末の文章をご紹介したいと思います。私が生前宏さんとお交わりしたのは、宏さんの義父に当たる方のご遺稿を活字化する作業でお近づきになり、お会いしたのが最初で最後でした。今から三年ほど前でしょうか。もうすでに難病を発病されていましたが、そんな素振りは微塵も感じられませんでした。冬の風で窓ガラスがガタピシと音を立てかねないころでしたでしょうか、台所のテーブルでご一緒に軽食をいただきお祈りしたことを覚えています。アトリエはその台所につながるようにして設けられていたでしょうか。今はその懐かしいお家も壊され新しくなったと聞いています。その折、ここで奥様がご紹介されるゆったりと悠揚迫らぬ態度で応接してくださいました。
いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。(新約聖書 使徒20:32)
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