2010年6月2日水曜日

小早川宏遺作展より(下)


 今日の絵は冊子の巻頭近くトップバッターとして奥様が編集された遺作集に載せられていたものです。何かほのぼのとした温かさ、勇気のようなものを頂く思いがします。残念ながらスキャンしたもので色のすばらしさが再現できていないのが作者に申し訳ないと思っています。過去二回に分けて奥様の書かれた文章を掲載させていただきましたが、今日の文章が最後になりました。なお「はじめに」の文章を載せていませんでしたので、それも併せて再録させていただきます。

 はじめに

 主人が昇天して二年が経ちました。七十歳になり、絵描きとして自分の絵の道がやっと見えてきたところでした。
 生活の中のさまざまな問題や、難病との闘いの中にあって、信仰を支えに生きて参りました。その中にあっても、生涯を穏やかにユーモアに満ちて生き抜いた一人の絵描きの証として、遺作展を機に、この画集を出すことにいたしました。
 朝に夕に「良い絵を描かせてください」というのが、主人の心からなる祈りでした。
 主人の好きな聖書のみ言葉を絵の途中に入れさせていただきました。絵と共に主人の心を味わっていただけたら幸いと思います。

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の影の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられますから。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

             詩篇23:1~6

 病気と最後の別れ

 この時間は、私にとって主人がくれたすばらしい宝物のような時でした。病気は骨髄線維症という血液を作れない病気で、分かったときはその合併症で、食道に沢山の静脈瘤ができていました。そして、もう手の施しようもなく、それが破裂したら命の保証はないというものでした。
 けれどもそれから三年間は何事もなく、「普通に過ごせたのは奇跡です」とお医者さんたちがおっしゃっていました。
 その日、2008年5月9日は突然にやって来ました。急に吐血があったので、集中治療室に緊急入院しました。
 腕には点滴管をつけ、鼻から食道へは止血のための風船を入れられ、身動きのできない状態でしたが、不思議なほど穏やかで平安でした。
 口がきけないので手振りで冗談を言い、まわりを笑わせ不安の影はみじんもありませんでした。私は三週間そばに付き添っていましたが、結婚して初めて本当に心が一つになって、朝に夕に心を合わせて祈ることができました。
 主人の祈りは家族、親族への祝福の祈りでした。すべては人の思いを越えて神の懐の中にいるような日々が続きました。主人は別人のように平安で何があっても動ずることがなく、間際まで周囲を笑わせ安心させていました。
 が、最後には吐血を繰り返し「苦しい、苦しい、死ぬのも楽でない・・・」と言いながら、急に静かになったと思ったら、その瞬間、彼の顔に笑みが浮かんでいました。
 この時私たちには見えませんでしたが、主人は神の顔を見、子供が父の懐に飛び込むように、み腕に抱かれて天に昇っていったのだと思いました。
 その後の主人の顔の神々しいまでの美しさは、忘れることができません。このことは主人が天国のあることを教え、そしてまた、私も旅路を終えたときには、天国で主人と再会できることを確信させてくれました。
 残された寂しさはいつもありますが、この希望を持って生きていきたいと願っています。主人の生前は沢山の方々の温かい支えと交わりと祈りを頂いて心より感謝しています。主人との二十五年間は、困難もありましたが共に祈り闘って、試練はことごとく恵みに変えられました。
 すばらしい勝利の日々であったと心から感謝しています。

2 件のコメント:

  1. 最後のとき 主は その人が天に引き上げられた表情を与えてくださるのですね。

    私も母を 最近なくしましたが 昇天にふさわしい表情でした。 

    残されたものへ天国への希望を指し示してくださるのですね。
    アーメンです。       ナム

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  2. 投稿ありがとうございました。お母様が天の御国に召されたのですね。素晴らしいことです。このブログ欄で何度かご紹介していたAさんも7月10日、私より先に天国に召されました。ご遺族から平安であった様を聞いて慰められています。

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